第54話 名前を呼んで
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カーソルによる攻撃を開始します→→
よろしいですか→→→
残り0秒→→
→はい
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こぽこぽ。こぽこぽ。
と水面に浮かんだ気泡がはじけるような音をクミホは聞いた。気のせいか。異様な空気が階層全体に漂っている。
不思議なほどの静けさの中、クミホは《気配鑑定》を使いながら周囲の様子をうかがう。敵の気配は感じられない。あれほどたくさんいた死者の軍勢すらもいなくなっている。
心なしか気温も下がって来た気がする。空を見上げると、黒くぶ厚い雲が太陽にかかりはじめたところだった。薄い陰が森を覆いつつある。
「なにが……起こるというの?」
意味不明な状況が続きクミホは精神的に疲れていた。フルートがギュッとクミホを抱きしめた。姉が妹を安心させようとするように。
「大丈夫……何が起きてもなんとかなるよ」
黒い雲が徐々に空を覆っていく。小さな雨粒が降ってきた。色がくすんだ葉に雨粒がぶつかり、ぽっぽつぽつりと不規則なリズムを奏ではじめた。
「雨……」
この雨こそが攻撃なのかもしれない……
「心配ない。自然の雨だよ」
クミホの懸念を先回りするようにフルートが言った。クミホを落ち着かせるように。
「一度戻ろうよ」
「そ、そうですね……」
クミホはサブマスター権限を用いて、自分とフルートの配置を変えようとしたが、
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カーソルによる攻撃を開始しています→→
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というメッセージに阻まれた。
このメッセージが表示されている間はダンジョン運営に関する他の操作をすることができないらしい。
ダンジョンマスターの権能を使用不能にする……
「これがカーソルによる攻撃……?」
だとしたらたしかに恐ろしい攻撃だ。ダンジョンマスターの権能が使えなければ新しいモンスターの補充もできなければ配置を変えることも階層を広げることもできない。ポイントの獲得さえできないかも知れない。
この攻撃を受けたのがクミホでよかった。もしバアルがダンジョンマスターの権能を失ったら、瓦礫の塔は終わっていたかも知れない。
ダンジョンマスターの権能同士がぶつかり合う緩衝地帯では予想不能なことが起こりうる……だからバアルは緩衝地帯に立ち入ることをしなかった……まさか、このようなイレギュラーが待ち受けているとは……
「……帰って対策を練りましょう……仕切り直しです」
「わかった。飛んで行こう」
フルートがふたたび飛竜形態に変じている。人間形態と飛竜形態の形態変化を繰り返したせいで、フルートは何も身につけていない。どこに出しても恥ずかしくない鍛え上げられた美しい体ではあるが……寒いだろうな。
(帰ったら服を用意してあげないと)
どんな服がいいかな。
練り上げた作戦があと少しのところで破綻し気落ちしていたクミホだったが、フルートのことを考えると少しだけ気が晴れた気がした。
フルートが翼を広げる。全長8メートルの巨体に飛び乗ろうとクミホがジャンプをする。フルートの背中と翼と地面、それらが、真上から見える。
「あれ?」
地面の上を何かが……黒い影のようなものが横切ったような。飛龍の影かと思って上空を見上げる。何もいない。ふたたび下を見る。今度はハッキリ見えた。手のひらくらいの大きさの黒い矢印の群れ……それが地面の上を滑るように動いていた。
「地面がなにかおかしい! 飛んで!」
フルートが羽ばたき飛翔を開始する。巨体がゆっくりと浮かび上がっていく。いくつかの黒い矢印がフルートの体の上を這い回っていた。
「フルート、体に変なものが」
「アギャ?」
フルートの体に付着し動き回っていた矢印が、背中のところでピタリと停止した。矢印の数は5つ。【↑↓←→←】という模様を描いていた矢印マークはぐにゃりと変形し文字を形作っていく。
【ジェービー】と。
倒したはずの《擬態使い》の名前がフルートの背中に表れクミホの顔が曇った。晴れたはずの擬態使いへの怒りがよみがえってくる。
「よりにもよって擬態使いの名をフルートの体に刻んだのですか!」
だからなんなのだ。動く矢印を使って擬態使いの名前を刻むのがファーリスの目的なのか。強制的に模様を刻む。それがカーソルによる攻撃というわけか。意味はわからないが、誇りを傷つけられるようでとにかく腹立たしいのは間違いない。
フルートの体が完全に地面から離れる。クミホはその背に飛び乗った。いやでも【ジェービー】の名前が目につく。
(あとで絶対消してあげますからね)
上昇していくフルートの背の上で、クミホは《気配鑑定》を使用し周囲の状況を確認する。
(え?)
【ジェービー】、【ジェービー】、【ジェービー】、【ジェービー】……
緩衝地帯で戦っていた仲間のうち何体かの名前が【ジェービー】に書き換わっている。バアル様がつけてくれた名前が擬態使いの名前に変えられている。ひょっとしたらあの矢印は刺青ではないのかもしれない……。
背筋がゾクゾク震えるのをクミホは感じた。
(そういえばフルートはすでに矢印の攻撃を受けてしまっている)
クミホは恐る恐るフルートに気配鑑定を行った……クミホは常時≪気配鑑定≫を行っているのだが、無意識にフルートには使っていなかったのだ。
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名 前:→→↑↑↑
種 族:グレートワイバーン
スキル:≪
適 正:≪武術適正:A≫、≪魔法適正:A≫
属 性:≪風属性:A≫、≪竜属性:A≫
好な物:リコリス、刻血術
見た目:ドラゴン
取得費:400,000,000ポイント
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「フルートの名前が……矢印に……」
クミホがゴクリと固唾をのんだ。
瞬間、画面に表示される矢印の形がぐにゃりと歪んだ。
クミホの脳裏に凄まじく嫌な予感がよぎった。
「や、やめろっ!! やめろおおっ!!」
【名前:ジェービー】
クミホの叫びも虚しく、フルートの名前がジェービーに変更された。
するとフルートの体が白い光に包まれる。飛竜形態は解け、体が小さく縮んでいく。空中に投げ出されるクミホ。炎のエレメントチェンジを行い、小出しにした魔法を推進力に姿勢制御を行い、縮みながら落ちていくフルートを空中で受け止める。
腕の中のフルートは軽かった。
「フルート!」
呼びかけるも返事はない。腕の中のフルートは人間でいえば生後間もない赤ちゃんの姿になっており、紺色の水着を身に纏っていた。クミホの腕の中でぐったりと眠っていた。
(この子……フルート、なんだよね?)
再度、気配鑑定を行う。
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名 前:ジェービー
種 族:ドッペルゲンガーデビルスライム
スキル:《擬態》、《分裂・同化》、《念話》、
適 正:≪武術適正:A≫、≪魔法適正:B≫
属 性:≪水属性:A≫、≪悪属性:A≫
好な物:美人
見た目:スク水少女
取得費:ghjkoicffポイント
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「フ……フルート……」
フルートの名前と……スキルと適正と属性と好な物と見た目と取得費が別物に変わってしまっていた。よりにもよってあの擬態使いと全く同じステータスに。
ここまで変わってしまったフルートをフルートと呼んでよいのだろうか。もはや別人なのではないか。というか擬態使いなのではないか……
カーソルによる攻撃とは……もしかしたら、
存在そのものを別のものに書き換える攻撃なのではないか。
フルートがこれから先、自分がフルートだったことを忘れて……ジェービーとして生きなければならないとしたら……だとしたらそれは……死ぬよりも……ずっと恐ろしいことかもしれない……
という疑念がよぎった。が即座にクミホは否定した。
(そんなわけないもん……この子はフルートだもん……きっと元に戻るもん……)
現実を受け入れられず、クミホの口調は幼くなってしまっていた。
(名前と姿とスキルと適正と属性が変わっただけだもん……中身は……心はフルートだもん……)
クミホはフルートを抱えたまま炎の魔法を推進力にして滞空する。地面に触れてしまえば今度は自分が存在を書き換える攻撃を受けてしまうかもしれない。飛行能力を持たないクミホにできる唯一の飛行方法だった。
腕の中のフルートが重い……。でも絶対に離さない。一緒に帰るんだ。
すぐ近く……上空200メートルを飛んでいる飛竜を見つけたクミホは放出する魔法の出力を上げる。かなりの魔力を消費しているが大したスピードは出ない。のろのろと上昇し、どうにか飛竜の背中にたどり着いた。炎の攻撃魔法で飛ぶなんてマネは二度としたくない。それくらい疲れた。
「はあ」
一息つきフルートを見る。腕の中のフルートはクミホの苦労も知らず、すうすう寝息をたてながらぐっすり眠っている。
「無事だね……よかったね……フルート……」
クミホは優しい眼差しでフルートを見つめる。フルートがうっすらと目を開けた。クミホと目が合うなり微笑みを浮かべた。子供が母親に向けるようなかわいい笑顔。
「ま……ま……」
フルートが小さな手をクミホに伸ばす。
「かわいい……ね?」
フルートの顔は擬態使いにしかみえなかった。フルートの面影はどこにもなかった。
名前も姿もスキルも適正も異なる別人にしかみえなかった。
赤ん坊がなぜかわいいのか。それは子孫を残していくうえでそのほうが都合がいいからだ。かわいい存在はかわいがられる。かわいい存在をかわいがるように本能がプログラムされているからだ。いつか聞いたバアルの言葉が脳裏をよぎった。
瞬間、クミホはフルートを空中に放り投げていた。
「あ……」
フルートが眼下の森に吸いこまれていく。遠ざかっていくその姿をクミホは冷たい目で見送った。
なぜ……離してしまったのだろう……
元に戻ったかもしれないのに……姿と名前は変わっても……心はフルートだったかもしれないのに……
なぜ……
呆然としていると、しばらくしてメッセージが表示された。
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【ジェービーを倒しました。50,000ポイントを獲得しました】
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そのメッセージを見た瞬間、よかった……やっぱりあれはフルートじゃなかったんだ……という思いとともに体中の血管がブチ切れそうなほどの怒りを覚えた。
「う、うわああああああああッ!!」
頭の中が怒りで真っ白になっている。もう何も考えられない。
「よ、よぉくもおおおおおおぉッ!!」
よくもフルートをジェービーに変えたな。よくもフルートをこの私に殺させたな……よくもよくもよくもよくも。
《気配鑑定》を使う。【ジェービー】、【ジェービー】、【ジェービー】……緩衝地帯の全域に現れている【ジェービー】の名前の数々!!
感じ取った【ジェービー】の名前に向かってクミホはつぎつぎに大出力魔法を放つ。
すべてのジェービーが消えるまで。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
何度もクミホは魔法を放った。やがてクミホの魔力が尽き果て魔法の発動ができなくなったときメッセージが表示された。
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【たくさんのジェービーを倒しました。300,000,000ポイントを獲得しました】
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3億ポイント!? クミホは思わず笑ってしまった。
「あははは! おかしいでしょ。だって1体50,000ポイントだよ!? 3億ポイントってことはワッチは6,000体のジェービーを殺したってこと!?」
いくら自分が強くても6,000体ものジェービーを倒すなんて……可能だ。そしてこの階層には6,000体近くの戦力を投入していた。そのすべてがファーリスによって存在を書き換えられてしまったとしたら。
「倒したのか……ワッチは……もともとは仲間だった……ファーリスに変えられた……モンスターたちを殺したのか」
ようやく冷静さが戻ってきた。
ジェービーは赤子のように弱かった。6,000体倒せてもおかしくはない。弱いモンスターをたくさん倒したところで、たくさんのポイントを獲得したところでファーリスに勝てるわけではないし、フルートが帰って来るわけでもない。リコリスもベームベームもマリンも死んだ。虚しいだけだった。
気がつけば徐々に高度が落ちている。クミホがめちゃくちゃに魔法を連発したせいで、魔法の余波を受け続けた飛竜が傷つき、飛行能力が著しく低下していた。クミホは竜の弱点属性である妖属性を撃ち続けていた。だから飛竜はその余波で致命的なダメージを受けてしまった。クミホに殺されたようなものなのに飛竜は最後の力でクミホを安全に地面に届けようと羽ばたいていた。
「ごめんね」
クミホは飛竜に向かってつぶやいた。また死なせてしまう。今更罪悪感はなかった。許される気も。せめて言葉の上では謝りたかった。
「ファーリス」
何度心を折れば気が済むのか。星屑の森が……世界を制した瓦礫の塔が最善を尽くしているのに、一度も勝てないなんてことがあるのか。最強の一角リコリス、魔王の右腕ベームベーム、そしてその意思を受け継いだ自分が投入された戦争で負けるなんてことがありえるのか。
地面が近づいてくる。ダンジョンのシステムが使えるようになっている。カーソルによる攻撃は終わったようだ。
(ということは階層を外に広げられるはず)
撤退する前にそれだけは済ませておきたい。一度階層をとってしまえば、次の作戦を立てるための時間を稼ぐことができる。時間さえあれば謎のカーソル攻撃の対策だってできるはずだ。
せめて。これだけは。
「10,000,000,000ポイントを使用し『階層を外へ広げる』」
「できないよ」
クミホと飛竜が着地したのと、その声がしたのは同時だった。飛竜はそれで動かなくなった。クミホは飛竜から飛び降りる。
「この階層はもうおれの支配下だからね……おれの名前を知ってるか」
声の主は黒いワンピースのドレスを着た美しい女性だった。いや……女性の服を着た男性かもしれない……。見とれるくらい美しい顔立ち……だが胸は……ない。
「ファーリス……」
「ども……お前のおかげで他に戦えるヤツがいないんだ……だからおれが終わらせにきた」
少し前に降り出した雨は次第に強くなっていた。周囲の森はクミホが乱発した魔法で破壊されている。地面はところどころ抉れ穴が空き、倒れた木々が転がり焦げた匂いを発している。
「ファアァァーリスゥゥゥ!!」
クミホは体中からあふれ出る殺意を全身全霊の叫びで表現した。降りしきる雨粒が殺意に震えて弾けとぶ。
ファーリスは少し困ったような表情をし、頭をポリポリとかいた。
クミホとファーリス。敵対するダンジョンのトップ同士が必殺の間合いで対峙した。
──クミホ VS ファーリス──
*
星屑の森との決着がつくまであと1話。
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