第52話 ファアリス

   *




『【ジェーMarine No.66ビー】がデリートされました。ポイントは獲得できませんでした』


 というメッセージをクミホは砦の屋上で聞いた。


 もっと早くにデリートされるものと思っていたが、予想よりも時間がかかった。その分マリン66号が仕事ができた。念話を使用不能にして敵の指揮系統を機能停止に陥らせ、《擬態》使いになりすました念話で偽りの指令を与え、敵を大混乱を引き起こし、敵の主戦力“アスタリッテ(旧名称:魔女)”に重傷を負わせ、さらには敵の司令官アリスを倒した。出来過ぎなくらいだ。


 マリン66号はマリンの分裂体をベースにバアルによる名前の上書きとクーフーリン社の《スキル調整》を施し作り出された特殊なドッペルデビルスライム。《分裂・同化》が変化した《分裂・同化・伝播》のスキルを保持していた。


 通常、ドッペルデビルスライムは同化をしないと分裂体の情報を統合することができない。情報の共有は同化したスライムの間でしか行われない。しかしマリン66号の《分裂・同化・伝播》は同化をしなくてもすべての分裂体が同時に情報を共有できるというスキルだった。


 いちいち同化せずともすべての分裂体が情報を共有できる……一個体に下した指示がすべての個体に共有される……《分裂・同化・伝播》は情報収集の革命を起こしうるスキルだった。しかし重大な欠陥があった。分裂体の1体でも精神汚染を起こせば、それがすべてのスライムに伝播してしまうのである。


 よってマリン66号は実戦に投入されることなく封印されていた。だがクミホの要請により今回初めて実戦に投入された。


 その効果は抜群だった。マリン66号1体の仕事でどれだけ状況が動いたことか。ここまでの成果はベームベームにもリコリスにもできなかったことだ。


 ジェービーとマリン66号を同化させるのは簡単だった。マリン66号をこちらの幹部に《擬態》させておけば、ジェービーの方から取り込んでくれる。ジェービーは幹部級になりすます手を使いすぎていた。


 ジェービーと同化したマリン66号の情報は、≪分裂・同化・伝播≫のスキルすべてのジェービーに伝播した。マリン66号の人格がすべてのジェービーを乗っ取った。マリン66号があっさりジェービーを乗っ取ることができたのは、おそらくジェービーはたくさんの《擬態》をこなすうちに“自分”というものが希薄になっていたからだろう。


 擬態使いはさんざん他人になりすました報いを受けたのだ。


 クミホは「ふううう」と深く息を吐いた。


(マリン、先生、リコリス様……ワッチは……ワッチはやりました……擬態使いを倒しました)


 マリンを殺害し、ベームベームを殺害し、クミホに重傷を負わせ、リコリスの死の遠因となった悪魔の《擬態》使いは今この瞬間にこの世から消えてなくなった。


 最も厄介な敵を、最も殺したかった敵を、今、この瞬間倒したのだ。それもおそらく擬態使いにとって最も屈辱を与える形で。これまで擬態使いが星屑の森にやってきたことを、擬態使いの手でファーリスに最も損害を与える形でやり返してやった。ジェービーの念話と司令官を失った敵の指揮系統はもはや機能しまい。


 頭の中のモヤモヤが晴れて、胸のつかえがとれていく気がする。


 クミホの脳裏で“勝利”の二文字が躍りはじめた。いやいや。まだ油断はできない。

 

(小夜たちはあと一押し……焔たちは全然余力がある……もっと削りたいところだけど強行せざるを得ないか)


 運用コストがかかり過ぎる銃器。


 自爆専門のようなアシッドスライム。


 お蔵入りになったマリン66号……。


 バアルに処分対象とされたアイテムとモンスターでも十分有効な働きができている。


 使えないクズでもお星様のように輝くダンジョン……星屑の森。その名を示す時が来た。


 仲間の劣勢にもかかわらずファーリスは何の手も打たない……いや打てない。もはやファーリスは仲間たちの状況を知ることすらできない。


 情報を制すものはダンジョンを制す……緩衝地帯の支配権を得るのも時間の問題だ。


 クミホは額を指で揉みながら、緩みそうになる気を引き締める。


(まずは小夜に世界召喚を使わせてやる)




   *




───緩衝地帯、第30階層、バトルチーム:焔




 絶え間なく掃射される銃弾は鋼属性の魔法の障壁で防いでいる。空からは降り注ぐアシッドスライムは焔の精密な触手操作で受け止めふんわり優しく着地させ、着地した瞬間朱実が矢でブチ殺した。


「汚え花火だ!」


 と朱実が飛び散る黄色い体液に向かって汚い言葉を吐き捨てる。戦闘状態が続きテンションが上がってしまっていた。


 蜻蛉を欠いているバトルチーム:焔。だが3人編成でも敵の攻撃への対処は安定していた。


「レーナ! マスターたちとはまだ連絡とれんのか!? ジェービーがおかしなってから状況がさっぱりわからんやないか!」 


「マスターともアリスとも、ぜんぜん連絡とれない。わたしの念話も使えない!」


 森のあちこちに念話を妨害するアイテムが設置されている。発見しだい撤去しているが数が多くすべては撤去しきれない。それに撤去しても敵が即座に再設置するのでキリがないのだ。


 焔の頭上を飛龍の群れが飛んでいく。高度300メートルから爆発物をいくつも投下してくる。焔は「ふん」とつまらなそうに鼻を鳴らすと、伸ばした触手のひとなぎで爆発物をすべて払いのけた。


 続いて朱実が矢を放つも距離がありすぎる。飛龍の羽に一発当てるので精一杯だった。飛龍の1体が地に落ちていく。


「ごめんなさい、1体しか落とせませんでした」


「いや。ええウデや。あとはウチに任して!」


 焔の触手の一本から魔法で作ったピンク色の鳥が何羽も飛び出した。妖属性の自立魔法八咫烏。ピンク色の魔法の鳥が飛龍たちの後を追っていく。飛龍は焰の魔法から逃げていく。が、焰の魔法の方が速い。飛龍の体の上でピンク色の爆発が起き、飛龍がつぎつぎ墜落していった。


「それから遠くからこそこそ狙っとるヤツ!」


 焔の自立魔法の対象は飛龍だけではなかった。遠距離から銃撃をくり出す狙撃手たちに向けても放っている。弾丸が飛んできた方向から狙撃ポイントを予測、そこから自立魔法による探索を行い、狙撃手を発見次第攻撃に移る。倒せればよし倒せずとも狙撃たち手の行動を大きく制限できる一手だった。


 敵は焔たちに対して効果的な攻撃を繰り出せてはいなかった。まだまだ余裕がある。


「情報機関が機能せんならしゃあない。援護は期待できんし敵に居場所はバレとるし、ここはいったん退こか! ウチらだけでもだいぶポイント稼いだやろ」


「そうだね」


 焔たちが退却を決める。


 その時だった。


 パッと3つ光の塊が現れ、その中から3体の敵が現れる。すべて人型のモンスターだ。焔は《鑑定》を使って現れたのモンスターの所有スキルと属性適正を即座に看破する。


グレートヒェンGretchen

へレネーHelen

マルガレーテMargarete


 3体すべてが【メフィストフェレス】というモンスター、3体すべてが高いステータスと適正を持ち……さらに3体すべてが《世界召喚》のスキルを所有している。


「あかん、こいつらウチに世界召喚を使わせる気や!」


 世界召喚への最も有効な対抗手段それはこちらも世界召喚を使用すること。しかし世界召喚の使用後、焔は弱体化してしまう。


「《世界召喚:ファウゲーテ》」


「《世界召喚:ファウゲーテ》」


「《世界召喚:ファウゲーテ》」


 初手・世界召喚。様子見や対話をする気など一切ない。世界召喚が解除されたあとの弱体化など考慮していない。差し違える覚悟なくしてあり得ない。3体から迸る殺意の奔流を焔たちは感じた。


 3つの世界召喚が同時に発動した。スキルによって再現された異世界の環境が焔たちを飲み込んでいく。




─── 焔、レーナ、朱実 VS グレートヒェン、へレネー、マルガレーテ───


   *




───緩衝地帯、第30階層、バトルチーム:小夜


夜の帳に刻が散るTimpul se împrăștie în întunericul nopții……星に瞬きsclipind în stele……月に陰umbra pe luna……歌と踊も細々とSunt detaliate și cântecele și dansurile.……夜に沈んで溶けてゆくScufundarea și topirea în noapte……夜の世界は生死の狭間Lumea nopții este între viață și moarte……生者は歌いcei vii cântă……亡者は踊るdansul mort……夜を想い夜を駆けるGândindu-mă la noapte și alergând prin noapte……血の刻よ来たれVino, ceasul sângelui―― ≪世界召喚セカイショウカン夜想曲ノクトルナ≫」ッ!」


 小夜はついに世界召喚を使用した。敵の攻撃はますます苛烈さを増し、世界召喚を使わざるを得ないところまで追い込まれてしまった。


 小夜の世界召喚が発動すると小夜たちの周りは暗闇に包まれる。空には大きな赤い月が浮かび、地面には紫色の花が現れる。


 小夜、詩月、エトールの3人は即座に刻血術こくけつじゅつ――≪ラピッドタイムtimp rapid≫を使用する。3人の時間の流れが操作され、周囲と時の流れの断絶が起こる。3人以外の時の流れが静止した。


 リコリスとの戦いの反省を踏まえて、3人ともがラピッドタイムを習得していた。


 チン、と鍔鳴りがし小夜たちを取り囲んでいた敵のモンスターたちが、それぞれ真っ二つに切断される。小夜が神業のような斬撃を放ったのだ。切断された敵はどれも魔法の手練れでしかも小夜たちの弱点属性を正確に把握していた。あのまま攻撃を受け続ければ負けていたかもしれない……負けないまでも無事ではすまなかっただろう。


 頭上のアシッドスライムを魔法で撃ち、巻き散るしぶきがかかる前にその場を離れる。上空300メートルを飛ぶ飛龍の群れには対処しようがないので無視する。


「離脱するわよ」

「はいっ」


 敵の死亡を見届けると3人はほぼ停止した時のなかを駆けた。せっかくの超高速機動、本来なら苦境に陥っている仲間たちを援護すべきだが、念話の通信が遮断され戦況が把握できていない今無理はできない。世界召喚という切り札をきってしまったので弱体化するリスクも考えると、どうしても消極的にならざるをえない。


 焔たちを残し離脱するのは不本意だが、加勢する余裕が小夜たちにはなかった。世界召喚の残り時間を考えると、アラクネの里にまでの逃げ道を作っておくくらいの仕事しかできそうもない。


 せめてみんなが逃げやすいように。


 アラクネの里までの最短距離をまっすぐに小夜たちは進んだ。立ち塞がる障害物を斬り開き、敵の姿があればなぎ倒す。小夜たちが通ったあとは血にまみれた道ができていく。


 体感で5分ほど進むとアラクネの里の要塞がみえてきた。


(とりあえず要塞へ……)


 要塞にはアスタリッテがいる。アスタリッテにならば、世界召喚がきれたあとのことを任せられる。たぶん……今現在もアスタリッテが無事である保証はないが、無事だと信じて行動するしかない。念話ができないので信じることしかできないのだ。


(たのむわよ、アスタリッテ……)


 アスタリッテはリコリスをともに倒した中だが、そこまで親しいわけでもない。世界召喚のあとの無防備な自分を守ってくれるか不安はある。ただアスタリッテの強さは信じるに値する。こうなったらすがるしかないのだ。


「って!?」


 と、ここで小夜の《危機察知》が反応する。


「上! 風属性!」


 小夜の指示に動いたのはエトールだ。上空から降り注ぐ風の刃の雨に対して、エトールが即座に雷属性の魔法壁を貼った。ガガガと属性同士がぶつかり合う。雷は風に強い。エトールが張った雷属性の壁が風の刃をすべて防いだ。


 ほ、とエトールが短く息を吐く。エトールはどちらかといえば魔法が苦手であった。もちろん訓練によって今では人並み以上には使えるが、ハイレベルな魔法戦にはいまだに苦手意識がある。


 と、その瞬間エトールの目の前に突如人影が現れた。瞬間移動……『配置を変える』にも似た挙動を可能とする魔法がある……刻血術──≪瞬身Aport≫。かつてリコリスが得意としたこの魔法を使いこなす敵がいる。


 エトールの鳩尾に敵のボディアッパーが突き刺さる。


「グヴぅッ!」

 

 急所への強烈な打撃で瞬時に呼吸困難となる。地獄の苦しみがエトールを襲った。小夜が瞬時にフォローに入り敵に向かって閃光のような鋭い斬撃をくり出すが、敵の姿はすでにない。


 小夜たちは上空を睨んだ。赤い月を背景に翼をはためかせこちらを見下ろす敵……その姿を詩月は忘れたことはない。あの屈辱を忘れたことはない。


「おまえはフルート……!」


「追ってきたぞ……詩月……アギャ」


 フルートは刻血術を使うことができたのだ。それも高いレベルで……すぐに襲撃してこなかったのはおそらく小夜の世界召喚の制限時間を削るため……


 小夜は一瞬で状況を判断する。


 アポートを使う敵。


 エトールのダメージは甚大。この場から逃げるにはエトールを見捨てなければならない。そんなことはできるはずがない。


「……戦うしかないようね」


「はいっ!」



──小夜、詩月、エトール VS フルート──




   *




(ぼくはドッペルデビルスライム! 人を騙す悪いスライム!)


(マスターはマニアだね)


(ジェービー、ジェービーだよ)


 ジェービーが消えた。ジェービーが消えた。ジェービーが消えた。あんなに頑張ってくれたジェービーが、おれがはじめて購入したジェービーが消えた。頭の中がジェービーが消えたことでいっぱいだ。


 あ、消えたんじゃないのか。


 おれが消したんだ。


 朦朧とした意識で道を進み、気がついたら49階層に着いていた。49階層は現在、医療エリアとなっている。アリスとシキはここで治療を受けているはずだ。


「マスター、ひどい顔色です。お怪我はありませんか」


 おれを見つけるなりナース服を着たモンスターが駆け寄ってくる。名前……何だっけ……なんかつけたような気がするけど……思い出せない。


「ア、アリスは……!?」


 とだけ言うと、ナースは「私たちも手を尽くしましたが……」と首を横に振った。


「死、死んだの……ア、アリスが!?」


「いえ、まだ生きておられます。しかし」


 しかしってなんだよ……


「い、いやだ……」


 なんでだ……さっきジェービーを失ったばかりなのに。


「アリス様は最期にマスターと話がしたいと」


「最期? ……いやだ、いやだよぉ……」


「時間がありません。こちらへ」


 ナースに手を引かれ、引きずられるように連れられたのは、医療エリアの緊急救命だった。


「アリス様がお待ちです」


 ベッドに横たわるアリスは青白い顔でおれを見た。アリスの周りには最高級ポーションや最高級解毒薬などの空き瓶が転がっている。医療スタッフが手をつくしてなお、アリスは治癒できなかったということが伝わってくる。


 この世界には回復魔法という便利な魔法がほとんどない……魔法で体力を回復するにはエレメントチェンジを行い同じ属性の魔法を受けて魔力を吸収する……それ以外に有効な回復方法がほぼない。エレメントチェンジができないほど衰弱した場合、回復アイテムを使うしかない……それでダメならもう打つ手がない。


「アリス……」


 おれはアリスに近づいた。アリスはか細い呼吸を繰り返しながら、目を細めうっすらと口角をあげた。アリスが無理をして笑顔を作ってくれたのだ。ふだん全然笑わないのに。


「マスター……」


「しゃべらないでアリス。休んで。治ることだけ考えて」


 そうだ。ゆっくり休めばアリスは回復できるはずだ。しかしアリスは首をゆっくり横にふった。そしてとても浅い呼吸を繰り返しながら小さな声で「マスター……」と言うので、おれはアリスの口元に耳を近づけた。血とタバコのにおいがした。


「マスター……私を……デリートして……」


 おれは耳を疑った。またデリートか。ジェービーに続いてアリスまで、おれに背負わせるのか……


「だめだ、できないよアリス……」


「マスター……デリートのポイントは……」


「ほかのモンスターに加えることができる」


 おれが言葉尻を継ぐとアリスはこくりとうなずいた。


「私の……ポイント……くわえて……」


 とアリスが言った直後、おれの視界にメッセージが映し出される。


――――――――――――――――――――

【↓↓↓アリスがデリートを申請しました。承認しますか↓↓↓】 


→はい

 いいえ

――――――――――――――――――――


 ダンジョンモンスターはダンジョンマスターに対して、デリートを申請できる。この申請を承認することでデリートが成立する。


「いやだああ……いやだよ」


「マ……タ……おねがい……」


「生きて……生きてくれよお」


 アリスは薄く笑った。


「……私たち……ずっと……いっしょ……ファーリスと……アリス……」




   *




(マスターの名前、ファーリスっていうんですか?)


(そうだけど)


(はあ。私としたことが。そうと知っていたらアリスなんて名前選ばなかったのに……)


(なにか問題ある?)


(だってマスターの名前の中にわたしの名前が入ってるじゃないですか)


(ファーリスとアリスか。でも文句言うなよ。自分で選んだ名前じゃないか)


(そうですけど……なんだかマスターの中に私がいるみたいで)




   *




――――――――――――――――――――

【→↓↑アリスをデリートしました。farAliceポイントを獲得しました→→↑】

――――――――――――――――――――


 アリスの体が光に包まれ消えていく。おれはアリスが寝ていたベッドに顔をうずめた。


「アリス……おれは……」


 もう失うのはいやだ。ジェービー、アリス……これ以上は。だれも。


 レーナ、焔、小夜……みんなまだ戦っている。第30階層はまだ落ちてない。みんなが命がけで戦って、繋いでくれている。


 顔を上げる。


「アリスをデリートして獲得したポイントを……おれに……ファーリスに加える」


 終わらせる。おれが。





 *




星屑の森との決着がつくまであと3話。

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