第51話 エクソシスト その③

 *




 パッと景色が切り替わった。共有ディスプレイがいくつもならぶ第50階層司令室の見慣れた光景。【アリス】と【シキ】、それから【マザージェービー】の見慣れた面々。とにかくなにかがヤバイぞ。まずは状況の整理からだ。


「アリス! 状況はどこまで把握できている?」


「ぜんぜん……」


 共有ディスプレイを指差すアリス。どのディスプレイにも何も映っていない。真っ暗だ。


「マスターが緩衝地帯に入ってからしばらくして、念話や視覚共有が通じなくなったんだ」


 というマザージェービー。30体のジェービーが同化した巨体のスライムだ。分裂したたくさんのジェービーから送られてくる情報を集積する役割を果たすこのジェービーをおれたちは便宜上【マザージェービー】と呼んでいる。


 念話が通じないということは、外の情報が入ってこないだけでなく、こちらから連絡することもできないということ。


「病んでる人がつぎつぎに倒れて、その原因を【ひつぎ】と【フラン】に特定してもらったまでは把握してます。そのあと何がありましたか?」


 おれは緩衝地帯で起こったことを簡単に説明した。銃器による狙撃、アシッドスライムの召喚、小夜たちの能力を知り尽くしたかのような戦術の数々……


「なるほど。加えてこの広範囲の通信妨害……まずいな」


 アリスが唇に指をあてて考え込む。


「まずいですね。敵は本気で緩衝地帯を落とす気です」


 それからアリスは敵がとっているであろう戦術を述べた。まず指令系統の妨害。これだけでおれたちの戦力はほとんど無効化される。通信が妨害された状態では死者の軍勢が機能しなくなる。死者の軍勢は自分で考えて行動することが出来ないからだ。こうなるとバトルチームが頼りだが、敵はバトルチームへの対策を十分している。


 おそらく小夜も焔も射程外から物量で押されているはずだ。小夜は察知能力は高いが対処能力に限界があり、焔は対処能力は高いが察知範囲が狭い。


 ……という、こちらにとって致命的な情報を敵に握られてしまっている。小夜は前の戦いで手の内をさらしてしまったからしょうがないとしても、秘匿してきたつもりの焔の情報までバレているのは納得いかない。けどバレているんだろうな。敵もさるもの。


「……小夜、焔のふたりは特に重点的に対策をされているはず」


「どうしたらいい?」


「まずは指揮系統の復旧が最優先……暫定処置としてアラクネの糸通信を使います。私は第1階層で指揮を執ります。マスターもクールタイムが明け次第、第1階層へ来てください」


 糸通信はアラクネの里に伝わる伝統的な通信技術。糸の振動で情報を伝達するというアナログな技術なので念話を妨害されている今の状況でも使用できる。


「わかった。頼むよアリス。護衛として弥生と兎も送っておくよ。悪いけど事情を説明しておいてくれ」


「わかりました。マスターが念話以外の通信手段を用意してくれてよかった……」


 アラクネの里の処遇についておれとアリスは揉めていた。弱いアラクネ要らない派のアリスと弱くても保護する派のおれ。結局おれはおれの考えを通してアラクネの保護区域を作ったわけだが、通信拠点として使えるとは思ってもなかった。


「おれを褒めるなんてアリスらしくないね。さあさあ行った行った。早くしないとみんながピンチだ」


「はい。そういえば私、第50階層から出るのははじめてですね」


「そうか……そうだったね。たまには外出もいいものだよ」


「戦争じゃなければ……ですね……」


「そうだね……いつかピクニックというやつをみんなでしたいな」


 おれがアリスを第1階層に送ろうとしたとき、突然念話が入ってきた。ジェービーからだ。念話が復旧したということか。ならばアリスを第1階層に送らなくてもよくなる。


(マスター! 大変だ!)


 ジェービーがあわてた様子で念話を送ってくる。


(どうしたジェービー、てか報告はおれよりアリスにしろよ)

 

(そんなことより大変なんだマスター!)


 くそ何が大変なんだ。おれは少しイラついてきた。


(だからどうしたんだよ、こっちも大変なんだ、さっさと用件を伝えてくれ)


 と念話を送ったところで「うっ」とアリスがうめき声をあげた。アリスの口の端から赤い血がしたたり落ちる。


(マスター大変だよ……アリスが……)


「アリス……!?」


 アリスが前のめりに倒れる。おれは慌ててアリスの体を受け止めた。アリスの背中には鋭くとがった触手が……マザージェービーが体を変形させてつくった触手が突き刺さっていた。


「……アリスが殺されちゃったよ……ふふふ」


「な……なにやってんだ? ……おまえ」

 

 何が起きたのか……信じられない。何でアリスが。何でジェービーが。


「ふうう~、あとはあんたを殺して終わり」


 アリスの血がついた触手を引っ込めるマザージェービー。


「忘れたのかいファーリス。ドッペルゲンガーデビルスライムの《分裂・同化》には弱点があるんだ……敵と同化してしまうという弱点がね」


 まじか。


「お、おまえ……ジェービーじゃないのか?」


 ダンジョンマスターの能力で名前を確認する。【ジェーMarine_No.66ビー】と表示されている。ジェービーの中に別の名前が入り込んでいる。ジェービーはダンジョンの念話のほとんどを担っていた。だから念話が使えなくなったのか。


「はじめましてファーリス。マリン66号……ですわ」


 状況がよくわからない。マリン66号? ジェービーが敵になって、マリン66号が……敵がなぜか、ここにいて、アリスが刺されて死にそうで、マリン66号が体の一部を刃に変形させていて、あ、ヤバイ。


 と、その時、ドンとおれに体当たりを食らわせたヤツがいる。車椅子型モンスター、シキだ。おれはアリスごと突き飛ばされ、振り下ろされた不定形の刃をどうにか回避できた。


「あ、ありがとうシキ、助かった」


 おれはアリスをシキに座らせた。顔色が悪い。致命的なダメージを受けているのは明らかだ。


「とりあえず逃げようシキ」


「逃がすとお思い? 水属性──《水刃ウォーターカッター》」


 マリン66号が放った水属性の刃がシキに命中、シキの右の車輪が斜めに切断される。バランスが崩れ倒れるアリスとシキ……おれはその瞬間、アリスとシキを49階層に『配置を変える』で避難させた。第49階層には医務室がある。念話を使えないから医務室に指示は出せないが、アリスとシキの怪我をみればあっちのスタッフがきっとよくしてくれるはず。


「あらあら、これでふたりきり……ですわよ。あなた戦えますの?」


 マリン66号がつぎつぎに刃に変形させた触手を繰り出してくる。ついでに水属性の魔法も繰り出してくる。


「く、くそ……エレメントチェンジ:蠱……!」


 とっさにエレメントチェンジを行う。おれは属性適正に恵まれず蠱属性しか扱うことはできない。


「蠱属性──《マンティスアックス》」


 空中から60本のカマキリの腕が現れ、マリン66号の触手攻撃と魔法攻撃を迎撃、敵の攻撃をすべて撃ち落とした。魔法の天才アスタリッテちゃん直伝の蠱属性魔法攻撃だ。呼び出したカマキリの腕はしばらくの間おれの自由に動かすことができる。おれはこの魔法が得意だった。10,000個を超える矢印マークの操作に比べれば60本の腕の扱いくらい大したことはない。魔法も物理も受けられるこの魔法を使えば中距離の攻防はある程度どうにかなる。


「あら意外……思っていたより強い……」


 おれは魔法でマリン66号の攻撃を防ぎながら、ダンジョン管理システムを起動した。カーソルを操作し「ジェービー」の文字を形作った。それを視界に映る【ジェーMarine_No.66ビー】の名前の上に重ねる。


「前と同じように……もう一度……名前を上書きしてやる……!」


 敵は服を着ていない。今なら名前を上書きできるはずだ。”選択”……元に戻れジェービー!



――――――――――――――――――――――――――――――

【→→↓※※CAUTION:ジェービーは一度名前を上書きしています。再度上書きを実行した場合、強制的にデリートされますがよろしいですか※※↓→→】


→はい

 いいえ

―――――――――――――――――――――――――――――――


「は?」


 よろしいですか。と言われてもよろしいわけがなかった。二回目の上書きは強制デリート……? デリートってあの存在そのものが消去されるデリートのことか? 名前を上書きすればジェービーは消えるのか。


「なにかしようとしてますの?」

 

 と敵の声に、「あ」と気が付く。あわてて魔法を操作し触手の斬撃を回避した。


――――――――――――――――――――――――――――――

【→→↓※※CAUTION:ジェービーは一度名前を上書きしています。再度上書きを実行した場合、強制的にデリートされますがよろしいですか※※↓→→】


→はい

 いいえ

―――――――――――――――――――――――――――――――



 おれの頭の中には今もキツイ二択が並んでいる。ジェービーをデリートするか。それともバトルで殺すか。どちらにせよ……ジェービーとはサヨナラだ。どうしたらいい。教えてもらおうにもレーナも、アリスにも頼れない。おれが決めないといけない。

 

 ブン、と勢いよく振り回してきた触手の攻撃をカマキリ腕の魔法で切り落とす。手数で負けてはいないし、属性の相性もおれが有利だ。このまま戦えば、たぶんおれが勝つ。勝つけれど、それはジェービーを殺すことを意味している。


――――――――――――――――――――――――――――――

【→→↓※※CAUTION:ジェービーは一度名前を上書きしています。再度上書きを実行した場合、強制的にデリートされますがよろしいですか※※↓→→】


→はい

 いいえ

―――――――――――――――――――――――――――――――


「やりますわね~、それじゃ分裂しちゃいますわ」


 敵が二体に分裂した。


 そこでようやく思い至る。


 分裂したすべてのジェービーにマリン66号が同化しているとしたら……各地に散らばるすべてのジェービーが仲間たちに襲い掛かっているとしたら。ジェービーと交際しているアスタリッテなんかは特に危ないだろう。ひょっとしたらもう甚大な被害が出ているかもしれない。念話を使うためにみんなに持たせている小型のジェービー、あれだって敵になっているとしたら……


 敵2体分の攻撃をおれは次々に受け止める。2体に増えたくらいでどうってことないが、敵は次々に分裂を繰り返し、その攻撃はますます苛烈になっていく。これ以上分裂されたら受けられなくなるかもしれない。


――――――――――――――――――――――――――――――

【→↑↓※※CAUTION:ジェービーは一度名前を上書きしています。再度上書きを実行した場合、強制的にデリートされますがよろしいですか※※↑↑↑】


→はい

 いいえ

―――――――――――――――――――――――――――――――


 なにより最悪なのは、おれがこのまま何も選択できず、ジェービーに殺されることだ。ジェービーのデリートを決断できるのは、マリン66号の被害を最小に食い止められるのは、もうおれしかいないのだ。


 おれはそれを理解した。理解させられてしまった。この決断から逃げることは最早不可能だった。



――――――――――――――――――――――――――――――

【→→↓※※→↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑※※↓→→】↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑

→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい→はい


→はい


↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑↓←↑

―――――――――――――――――――――――――――――――


「はい」


 いいえを選ぶ方法をおれは見つけることができなかった。


『【ジェーMarine_No.66ビー】のデリートが完了しました。MJBポイントを獲得しました。』




「う、うわあああああああああああああああああああああああああッ!!」


 おれは叫んでいた。ジェービー……マリン66号の体が光に包まれ、消えていく。消去されいく。消滅していく。おれは”選択”をした。おれはジェービーをこの世からデリートした。


「ジェービー、ジェービー……が……おれが……おれが……消して……オエエエ」


 おれは腹からこみ上げるものを感じ、その場に全部吐いた。何日か前に食べたアラクネの里のメシがぐちゃぐちゃになって出てきていた。


「う、うわあああああああああ、ジェービー……ジェービー……なんで、なんで……」


 気持ち悪さが消えない。叫んでも全くどうにもならない。きっと星屑の森では仲間たちが大変なことになってしまっているはずなのに、仲間たちのことを考える余裕がない。余裕がないとか言ってる場合じゃない考えないと。


「く、くそ、ここでしょげてる場合じゃ……指揮をとらないと……そうだ……アリス……アリスとシキはどうなった……」


 世界そのものが揺れるようなフラフラした感覚を覚えながら、おれは49階層へ向かった。 




   *




星屑の森との決着がつくまであと4話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る