第50話 変転
*
───星屑の森、第25階層、アラクネの里
アラクネの里はファーリスの支配下になってから劇的に様変わりをした。森の木々に蜘蛛の糸を張り巡らせて作ったアラクネたちの素朴なおうちは、なんということでしょう。今や見る影もなくなくなって特殊なモルタルで固めて作った4階だて要塞に変わってしまいました。
里にもともと住んでいたアラクネたちには酷な仕打ちかもしれないが、ファーリスのダンジョンと星屑の森の砦の中間に位置するアラクネの里は否応なく戦乱に巻き込まれることになる。焼け野原になるよりはマシだろう……という話をして納得してもらった。
ちなみにこの時おれははじめてダンジョンの外に出た。
おれが直接話したおかげというか、アスタリッテと長老(に化けたジェービー)のおかげというか、とにかくアラクネの里はおれたちの傘下に加わることになった。傘下といっても戦いを強制することはせず、戦いに加わりたい者だけが戦えばいいという感じで仲間になってもらった。望む者には名前を与えたし、名前を望まない者はそのままにした。
アラクネの里には子供や老人など明らかに戦闘に向かないものも多くいたから、そういった者たちのためにおれは自分のダンジョンの階層のひとつを避難所として彼らに使わせている。移動の利便性の確保と秘密保持のため、第1階層はアラクネたちの居住地とした。第1階層といえば危険地帯というイメージがあるが、星屑の森の階層をいくつかとった今、第1階層は最前線ではない。確実な安全は保証できないが、少なくともアラクネの里よりは安全と思う。
ダンジョンマスターのスキルで森と似たような環境は再現できるしそれなりに過ごしやすくもあるはず。名前のない人のためにメシなるものやベンジョなるものを用意しなきゃいけなかったり、ビョーキやらなんやらの準備するのが大変だったけど。
まあそんな感じ。おれはメシというのが気に入ったね。腹になにかいれる感じがたまらない。
で、おれはちょくちょくこの要塞に『配置で変える』で来ているわけだが、わざわざ危険な場所に来ているのは、バアルのやつが星屑の森に来たせいだ。
リコリスを倒して、星屑の森の崩壊がはじまった。おれは星屑の森全域の支配権を得るはずだったのだが、バアルがやって来たせいで星屑の森の崩壊が止まり、おれは結局30階層分しか支配権を得ることができなかった。そしてバアルが来たせいでおれが獲得した30階層のうち10階層は“緩衝地帯”という特殊なダンジョンとなってしまった。
星屑の森でもありおれのダンジョンでもある緩衝地帯での戦いで勝つコツは、戦況を優位に進めるのと、他にもいかに早く『階層を外に広げる』の必要時間を短くするかも重要な要素だ。必要時間を短くする条件は、
①ポイントを獲得すること。
②ダンジョンの入り口を大きくすること。
③ダンジョンのモノを流通させること。
④ダンジョンのモンスターを外に出すこと。
⑤ダンジョンマスター自身が外に出ること。
⑥1ヶ月縛りで送り込まれる刺客を倒すこと。
つまりおれがリスクを冒すほど必要時間は短くなるわけだ。リコリスが30分くらいで第1階層の支配権を獲得できたのもリスクの高い行動をとったからだ。敵の親玉のバアルが前線に出るなんてリスクを冒していたわけだから、当然必要時間はバリバリ短くなる。バアルに緩衝地帯の支配権をとられないためには、最低でもおれもバアルと同程度のリスクを冒す必要があった。
それでどうにか緩衝地帯を維持できているわけだが、だいぶ無理をしている自覚はある。
その辺のモンスターに襲われたり、罠の密集地帯に追い込まれたり、復活したフルートに襲われたり、おれはめちゃくちゃ襲われた。なんとかしのいだけど……大変だった。
こっちはこっちでジェービーや蜻蛉を使ってバアルの暗殺をしようとしたけど、全然上手くいかなかった……。ワインに毒いれたり《朧》で砦に潜入したりがんばったんだけど、バアルは戦っても普通に強くて全然スキがねえ。ありゃ最低でも焔か小夜をぶつけないと無理だ。
襲撃の際に重傷を負った蜻蛉は現在療養中……思い出しただけで悔しい。
とりあえずバアルを倒すのは難しいということはよくわかった。頑張ってバアルを追い詰めたとしても、いざとなれば『配置を変える』でバアルは逃げることができる。バアルを倒すには、それこそおれが世界を手に入れれるくらいバアルの支配権を根こそぎ奪う必要がある。
バアルに勝つにはバアルの世界をまるごとひっくり返す必要があるということだ。
そのためにはおれはダンジョンに引きこもっていたらダメだ。リコリスのようにリスクを恐れず最前線で行動しなくてはバアルには勝てない。外にでて生き残る。それがおれの戦いだ。
魔王のバアルがリスクを冒しているのにおれが引きこもってどうするって話だ。
よくよく考えれば考えてみれば死んだら終わりのダンジョンマスターが弱いままでいいわけがなかった。おれは戦闘がまったくダメだったのを反省して、レーナに頼んでちょっと訓練した。おかげで必要最低限の魔法くらいは使えるようになった。おれの魔法適正はAだけどこんなに早く魔法が使えるようになったのはレーナの教え方がよかったからだろう。
おれの強さはバトルチームのみんなやジェービーやアスタリッテの足下にもおよばないが、非戦闘員の弥生やアリスにたまに勝てるくらいには強い……。決しておれが弱いわけじゃなくてアリスと弥生が意外と強いのだ。魔法を使いこなし悪魔的知性で戦闘に活用するアリス、武術が使えて心が読める弥生にたまに勝てるだけでもすごくない?
まあいいや。とにかく最低限くらいは戦えるようになったので、緩衝地帯でも生き残ることができている。アリスに反対されても意地を通して前線にでている。バアルに負けたくないからだ。
ここまで頑張れるとは思わなかった。おれはバアルに勝ちたい。
世界をひっくり返す手始めとして、とりあえず星屑の森を落としたい。それができてはじめてバアルに近づける気がする……なかなか進まないけどね。死体工場が上手く回るようになってからはだいぶ押せてる気がするんだけど。
最近は少し風向きが変わってきた。ジェービーによればクミホがサブマスターに就任したらしい。クミホは異常なパワーアップを果たしたらしく、ジェービーの《擬態》が見破られ前のようには敵の情報は得られなくなった。ジェービーにボコボコにされたクミホはジェービー絶対殺すマンになってしまった。クミホに《擬態》は通じない。クミホがいる限りジェービーはこれまでのように情報収集ができない。情報収集能力が大幅にダウン。情報の優位がおれたちの最大のアドバンテージだったので大きな痛手だ。
焔の報告にあったクミホの大出力長距離狙撃魔法も脅威だ。あれが一日に何回か撃たれるだけで死者の軍勢は大ダメージを受ける。ぶっぱなしの大規模魔法のくせに狙いが妙に正確なのだ。
敵の大出力魔法を撃つたび、焔が対抗して打ち返してくれているが、焔の魔法はクミホほど精度が高くないから、それほど効果を上げることができていない。戦況の把握能力で負けている……。索敵は小夜が得意としている分野なので焔と組ませばもっと効果的な攻撃ができるかも知れないが、小夜には別の仕事をしてもらってるからなあ。
……つまりおれの護衛の仕事を。
「さてと行こうか」
とおれが言うと、
「はい」
と小夜が応える。
おれは肩を回して仮面をかぶった。お気に入りの目が大きい女の子の仮面だ。随行するバトルチーム小夜の誰かが「趣味悪……」とぼそっと言った。きっと気のせいだろう……おれがマスターなのにえーん……
これから何をするかというと、おれとバトルチーム小夜による緩衝地帯のパトロールだ。ダンジョンマスターのおれが激戦区の階層をうろつくという超危険な行動だが、1日1時間はこれをやらないとバアルに階層の支配権をとられてしまう。悔しいがおれとバアルではダンジョンマスターとしての格が違うので、バアルと同程度のリスクを冒しても必要時間が短縮されない。最前線で1時間くらい過ごしてようやくトントンなのだ。
まあサブマスターが就任したならバアルはもういなくなってる可能性もあるけど、それはそれでこっちが階層の取り合いで有利になるからね。それに小夜には《気配察知》と《危機察知》がある。危険を事前に察知できるので、あまり危険な目にあったこともないんだよね。
要塞の屋上に登ったおれは、まず敵の航空戦力がいないか注意深く探った。前にここでフルートに襲われたことがあるのでここに来るたびかなり緊張する。あの時は焔が近くにいたので助かったけど。
「近くに敵はいませんわ」
と小夜。索敵能力にかけて小夜の右に出るものはいないから安心だね。
「今日はここを回ります。30番のラインでお願いします」
と地図を見せてくる【リンドウ】。《地図作成:広》は便利なスキルで、どこを回るのが安全でかつリターンが大きいかが地図をみればひと目でわかる。
「マスター、先に行ってるよ!」
と【詩月】と【エトール】が滑車を使って蜘蛛の糸を滑り落ちていく。
要塞の各所から白い蜘蛛の糸が伸びて、森の木々とつながっている。この糸は敵を捕らえるための罠でもあるが、おれたちの移動にも利用することができる。ジップラインと言う移動法らしい。
おれは毎回これが楽しみだ。滑車を使って蜘蛛の糸を滑り落ちるのが速くて爽快なんだよな。
ジップラインであっという間に緩衝地帯第30階層の手前まで移動する。ここまでくると、戦闘の音が聞こえてくる。金属がぶつかり合う音や、炸裂音、絶叫に近い叫び声。たくさんの敵と味方が殺し合い、死にあっていることが否応なく伝わってくる。
まだ緩衝地帯には入っていないのに、おれたちのすぐ近くには死体が転がっている。敵の死体だな。「いただき」とエトールが死体を≪収納≫のスキルで回収した。≪収納≫は生物以外は何でも異空間に送り込むことができるスキル。ダンジョン攻略用アイテム≪マジックポーチ≫と似た性能のスキルだが、収納したものを任意の場所に転送することができるところが異なる。
エトールが収納した死体はそのまま死体工場へ運ばれ、【ひつぎ】と【フラン】の手によって加工され死者の軍勢となって帰ってくるという寸法だ。死体を死体工場まで運ぶのはけっこうな手間なので死体工場を効率よく回しているのはエトールと言っても過言ではなかった。
緩衝地帯の死体を回収する、というのがおれとバトルチーム小夜に課せられた任務だった。まあおれがそれをする必要はまったくないんだけど、そういう名目で緩衝地帯をうろついてバアルの『階層を外に広げる』に必要な時間が短縮されないように抗っているわけです。
「近くに敵がいるわね。みんな気を付けるのよ」
と小夜が先陣を切って緩衝地帯に入っていく。すっかりリーダーが板についた感じ。
近くをうろついていた敵をバトルチームの面々が瞬く間に片付ける。その死体をエトールが回収する。おれたちは森を進んでいく。まず小夜が異変に気がついた。
「おかしいわね」
と小夜。
「病んでる人の死体が多くないですか?」
と詩月。
確かに言われてみれば”病んでる人”の死体がちらほらある。病んでる人とは死者の軍勢の指揮官を務めているモンスターを指す。それがこんなにやられているのは珍しいことだ。死者の軍勢と違って、敵を洗脳する必要がある病んでる人は製造コストが高い。だからアリスは病んでる人の生存を優先して作戦行動をとらせている。危なくなったら死者の軍勢を囮に迷わず逃走するよう指示している。にもかかわらず、病んでる人の死体が多い。
「ひつぎとフランに死因を調べてもらいましょう」
死体いじりを生業とするひつぎとフランは死因究明も得意なのだ。エトールが死体を収納すると同じくらいのタイミングで、おれはふたりに死因究明をしてもらった。すぐに答えが返ってきた。
(頭を何かで撃ち抜かれているよ)
(矢……ではないな……小さい石?……のようなものじゃ)
――小さい石のようなものか。
例えば……小さな石を飛ばす……そんな魔法あるいはスキルを使う敵がいるのかもしれない。
「小夜、敵の気配は」
「ないわ。でも≪危機察知≫が反応している。私の≪気配察知≫の範囲外から狙われている可能性がある……」
小夜の気配察知の効果範囲は半径1キロメートルくらい。それより離れた敵の位置はわからない。例の長距離狙撃魔法の可能性もある。
「なんかいやな感じね。ここは一度退きましょう」
「だけど……」
……まだ全然時間が経ってない。死体を回収できてない。階層を外に広げるの必要時間が十分に短縮できてない……と言いかけたのを飲み込む。少しでも危ないなら小夜の判断に従うべきだ。
「いや、いったん退こう」
おれたちが退却を決めた時だった。
小夜が突然ジャンプして一瞬だけ刀を抜いた。チン……とつば鳴りがする。
なにかを……小夜にしか感じられず小夜にしか斬れないなにかを斬ったのだ。ダンジョンマスターの能力で視てみると、どうやら小夜が斬ったのは“300WSMウィンチェスターショートマグナム”というアイテムだ。いわゆる弾丸……だ。
DANAZONでは稀に銃器というアイテムが店頭にならぶ。高いしレアだし消耗品だしでとても運用できる気がせず買う気にならなかったが、敵はそれを使用してきた。小夜が《危機察知》を持ってなかったら撃たれていたかもしれない。魔力を用いない長距離狙撃は《魔力察知》や《鑑定》では感知できない。
「まずいかもマスター……先に『配置を変える』で帰ってください。早く……」
小夜たちを置いて……? などと考えていたら、「もたもたしないで!」と怒られた。
「わかった。先に帰る。気をつけろよ」
と言う間に小夜は3回刀を抜いた。3発の300WSMが斬られて地面に落ちる。詩月たちが陣形を組む。と、瞬間小夜たちの頭上に白い光の固まりがいくつも出現した。あれはダンジョンマスターの能力……『配置を変える』もしくはアイテムの購入だ……とおれが思ったとき、光の中からなにかが現れる。水風船のような半透明な体の中にたっぷり硫酸を詰め込んだ重量級モンスター【アシッドスライム】だ。それが何体も落ちて来る。
アシッドスライムが地面に落ちれば落下でつぶれて硫酸をまき散らす。その下にいるものは硫酸を頭からかぶることになる。空中のアシッドスライムを魔法や武術で迎撃すればアシッドスライムは弾けとび、やはり硫酸を頭からかぶることになる。生きたモンスターゆえエトールの《収納》でしのぐことはできず(生きたものは収納できないため)、重量級モンスターゆえ詩月の鉄扇の武術で吹き飛ばすこともできない。
ゆえに小夜たちはその場を離脱する以外の回避方法がない……ドドドと勢いよく落下したアシッドスライムが次々に地面に衝突し地面に酸の水溜りを作る。ジュウウと草木が溶けていった。
小夜たちの能力を知り尽くしてはじめて実行できる有効な攻撃だった。敵の戦術の鋭さにおれは戦慄した。もしかしたらアリスよりも……
陣形が崩れたおれたちを敵の銃器使いが狙う。当然、おれは狙われまくるわけだが、それはすべて小夜が防いだ。だが小夜が守れる範囲には限界がある。小夜の守備範囲から離れたリンドウが肩を撃たれた。まずいな。気配察知の外から有効な攻撃を次々に繰り出してくる。
「小夜! リンドウも連れて帰る! 3人で生還できそうか!?」
この中で小夜だけが『配置を変える』で逃げることができない。小夜のクールタイムは5ヶ月もある。だが小夜だけを残すよりは、詩月とエトールがいた方が対処能力が上がるはずだ。
「いざとなれば私は《世界召喚》を使います! マスターは早く退いて!」
「わかった! 絶対に帰って来いよ」
おれはリンドウをアラクネの里に送り、それから情報機関に帰った。こういうときはアリスの指示を受けながら動いた方がいいからだ。
パッと風景が入れ替わる。
*
星屑の森との決着がつくまであと5話。
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