第32話 魔女とリコリス その①

   *




 星屑の森、第25階層。ファーリスのダンジョンより北東へ30キロメートル、クミホの砦より南西へ30キロメートルのちょうど両者の拠点の中間地点にその階層はある。星屑の森の面々からは”蜘蛛のところ””白いところ”と呼ばれるそこはとにかく蜘蛛型のモンスターが多く生息している。


 オーガスパイダー、アラクネ、女郎蜘蛛、鬼蜘蛛、ヤツガ〇キ、イト〇ル、アリア〇スなど。多種多様な蜘蛛型モンスターが生息し、そこら中に糸で巣を作っている。ちょっと歩くだけで蜘蛛の巣まみれになり身動きが取れなくなり多種多様な蜘蛛に食われるおそれがあるため、砦のモンスターたちによる散歩に向かない階層ランキングではナンバーワンの座を獲得していた。


 そこには星屑の森の中でもっとも恐ろしいモンスター”魔女”が住まうアラクネの里がある。クミホの配下のモンスターが何人も死んでいるエリアである。


 そのようなエリアに押し入り進んでいく3体のモンスターがいた。ひとりは元サブマスターのクミホ、もう一人はフルート、最後にリコリスである。


 クミホを先頭に3名は襲い掛かってくる小型・中型蜘蛛型モンスターを瞬殺しながら、森を駆けていく。体の大きいフルートがたまに蜘蛛の巣に引っ掛かると、そのたびにリコリスとクミホが引っ掛かった糸をとってあげた。炎属性の広域攻撃魔法を使い蜘蛛の巣を焼き払ってしまうなり、フルートの飛竜形態による音速飛行を用いればこのような手間は省けるのだが、あえてそれをしなかったのはこのエリアの原生モンスターに対する配慮を示すためであった。


 3体はやがてアラクネの里に到着する。森の木々を柱に白い蜘蛛の糸で編まれた繭のような”家”が立ち並んでいる。


「それ以上進むことはならん!」


 遠くから大きな声を張り上げたのは老体のアラクネであった。名前を持たぬ原生モンスターは年をとる。寿命がくれば死ぬ。


 ダンジョンマスターはモンスターに名を与えることで、睡眠不要、食事不要、不老といった恩恵を与えることができる。


 アラクネたちがぞろぞろと現れ、クミホたちを取り囲んだ。何名かはすでにエレメントチェンジを済ませた臨戦態勢である。


「ここはワッチが……」


 とクミホが前にでようとするのを、リコリスは片手で制した。リコリスが一歩前にでて、老体のアラクネと向かい合う。


「星屑の森、サブマスターのリコリスである! 本日は”魔女”に用があってきた。お目通し願おう!」


「帰れ! 魔女様は貴様らに用はない! それともここで死ぬか!」


「やってみよ! 貴様らごときに遅れはとらん。しかし我らは貴様らと争うためにここに来たわけではない。貴様らの力を貸してもらいにきたのだ」


 リコリスは頭を下げた。


「もともとは貴様らもバアル様のおかげでこの世界にやってきたのだろう。生まれた世界は違えども、今は同じ世界に生きる同胞となぜ争わねばならぬのだ。今は非常時である。ファーリスの軍勢は侮れぬ。バアル様のために力を貸してくれ」


「バアル! バアルが我らに何をしてくれた! 名を与えられず森での暮らしを強いられた我ら一同、バアルに対する一片の敬愛など持ち合わせておらぬわ!」


「よしわかった」


 リコリスはふう、と一息つくと、しょうがないなと笑った。


「私はもう面倒になった。貴様らは私を知らんらしいな。私を知っていれば私の前でバアルを貶めるなどできるはずがない」


「貴様のことなど知るわけがない!」


「はあ、これだから辺境の地は嫌なんだ。無用な血を流さねば力を示すことができぬのだからな。ではこうしようか。これから我らはこの里に押し入って貴様らが大事にしている魔女を殺す。それができたら貴様らは我らに従え」


「無礼者! そんな真似はさせぬ! 皆の者かかれ!」


 と老体のアラクネが命じたところで、


「はあ~いストップストップゥ! 戦ったら死んじゃうでしょ♡ 


 拍手をしながらゆったりとした足取りで女性があらわれた。白いチューブトップのようなドレスからは肩や胸元が露出し、妖艶なボディラインがくっきり表れている。


「貴様が魔女か」


 女性は浅くうなずいた。


「リコリスさんでしたっけえ? わるいけどお引き取りくださいません? お話になってないの。あなた、さっきからこう言ってるんですよ。リコリスさんたちと戦って死ぬのがいいか、ファーリスさんたちと戦って死ぬのがいいか。どっちの死に方がいいか選んでね♡って。答えはどっちも嫌♡ 戦って死ぬなんてまっぴらよ。わたしたちのんびり暮らしたいの」


「見ただけでわかる。貴様は強い。それだけの力を持ちながら、こんな辺境に閉じこもって満足か?」


「言ったでしょう? 戦って死ぬのはまっぴらだって。わたしはここでのんびり生きておばあちゃんになってのんびり死ぬのが望みなの」


「そんなにこの糸まみれの集落が好きか。貴様は」


「人それぞれ価値観が違うってことを理解しようね♡ あなたたちにとってバアルさんが大切なように、わたしにとってはこの村とこの村のみんなが大事なの」


「そうか。それならしょうがないな」


 リコリスは踵を返した。敵対者に無防備な背を向けた。


「帰るぞ。クミホ、フルート」


「でもリコリス様、このままじゃ無駄足アギャ」


「いいんだフルート。ではさらばだ魔女よ。


「ほんのちょ―――――っとだけ、好感度あがったかも♡ 意外に話がわかるんだね♡ 今度はお土産もいっしょに持ってきてね」



 リコリスは薄く微笑むと空中に光の塊が出現しその中から一本のワインが現れた。それを地面に置いた。この世界の魔法ではなし得ない現象をリコリスは魔女に見せつけた。自分がサブマスターであることを証明するためだ。


「良かったら飲んでくれ。飲まないと思うがな」


「そうだね♡ 飲まない」


 魔女の返答に動揺する素振りも見せずリコリスは「次は空から来てもよいか」と尋ねた。


「どうぞ♡」


 魔女がこたえるとリコリスたちは歩きだした。収穫はあった。魔女の人となりを知れたことだ。もっと話の通じないやつかと思っていたが、意外なことに損得がわかるやつだった。圧倒的な力を自分のために使わず、自分の大切なもののために使おうとするやつだった。


「私よりベームベームがやるべきだったか」


「いえいえ、リコリス様の強さがなければこの交渉自体が成立していませんよ」


「ありがとう。長い交渉になるかもしれんな」


 その時だった。2体のアラクネが木から飛び降り、リコリスたちの前に立ちふさがったのだ。


「おまえらは生かして返さねー!!」


「おれら姉妹の父と母はおめーの配下に殺されたんだ! クミホ死ね!」


 刃のように鋭い脚がクミホに向かって振り下ろされる。そこに割って入ったのはリコリスであった。特になにも構えるでもなくノーガードである。


「リコリス様!」


 とクミホが叫んだ。アラクネの脚の先がリコリスの肩に触れ――た瞬間には逆にアラクネの体が吹き飛とんでいた。10メートルほど飛び木に衝突し止まる。すでに気を失っていた。当然のようにリコリスは無傷である。


 リコリスが何をしたのか、何が起きたのか、理解できたものはいなかった。魔女でさえも。


「脚の一本くらいとも思ったがこれ以上いらぬ禍根を残したくはない。手加減はした。風邪さえ引かねば死ぬことはないだろう。さて貴様も来るか?」


「ひ、ひい~!」


 ともう一体のアラクネが逃げ出していった。


「ありがとうございます、リコリス様……ワッチのせいで」


「私の力をアピールするために割って入っただけだ。気にするな」


 リコリスたちが第25階層を去っていく。




   *



「ひいい~」と逃げていたジェービーはリコリスたちが去ったのを確認すると踵を返して、今はまだ気を失っている妹のところに向かった。


 アラクネ姉妹の姉の姿に≪擬態≫し、妹をたきつけリコリスたちに襲い掛からせた。妹が敵を殺せばよし、妹が負けて死んだとしてもアラクネの里はリコリスへの憎悪を高める、そういう計算に基づいた計略だった。


 ところがリコリスは思っていたよりも優しいやつだったらしく、妹は気をうしなっただけで済んでしまった。それでは困る。負けたならば妹には死んでもらわなければ。このまま敵が魔女と友好関係を築いてしまったら、厄介なことになる。


 ジェービーは妹を介抱する素振りを見せつつ、その一方で皆に見えないように体の一部を小さな針状に変形させた。そこから毒を注入すれば妹は確実に死ぬだろう。これでアラクネの里のヘイトはリコリスに向くというわけだ。


「妹~、しっかりしろお~」


 などと言いながら針を妹の肌に突き刺――せなかった。ジェービーの腕をつかんだものがいる。そいつに止められた。


「おい」


 やばい。針を戻しながら、ジェービーは焦っていた。


 ジェービーの腕をつかんでいるのは透明人間だった。姿は全く見えない。しかし確実に存在している。ジェービーが意識をこらすとようやくそれは徐々に姿をあらわしていった。オールバックに眼鏡の男……


「ひ、ひいいいーっ! また敵だ! 敵が来た! 透明な敵があらわれたあ!!」


「騒いでも無駄だ。周囲の認識を弱める術を使っている」


「ひいいいい~!」


 ジェービーは逃れようとするも、男はその手を離さない。  


「砦まできてもらおうか」


「いやだああああ」



―― ジェービー VS ベームベーム ――

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