第2話 ダンジョン運営は難しい?
*
レーナはすごかった。いいえの選び方だけではなく、おれが知りたかったことをほとんど何でも知っていた。
矢印マークのことも。いいえの選び方も。
「ここまではよろしいですか? マスター」
「うん、おれは矢印マスターで……」
レーナの表情が少し曇る。
「……ダンジョンマスターなんだね」
「はい!」
レーナは笑った。ダンジョンマスターという言葉にピンと来ているわけではないが、おれたちがいるこの部屋そのものが「ダンジョン」と言うモノらしい。そしてダンジョンマスターはこのダンジョンを管理する者のことらしい。
ダンジョンの管理。
よくわからないけど、つまりそれがおれの仕事らしい。
「で、おれは何をしたらいいの」
「はい!」
レーナに「いいえ」の選び方を教えてもらったおれは念願のまともな名前を手に入れた。そして名前を手に入れると同時にまともな服も手に入れたのだった。
名前を選択すると服がもらえる。よくわからないけどそういう仕組みらしい。
おれの服は黒を基調としたゴシックでフォーマルな服だった。レーナは「たいへんよく似合います!」と言ってくれた。
「名前の選択が出来たなら次はダンジョンを次元ネットワークに接続しましょう!」
「次元ネットワーク??」
「はい! マスターは平行世界をご存じですか?」
「平らな世界のこと?」
「惜しい! 平行世界とはある世界から分岐し平行して存在する世界のことです」
惜しいか? レーナはおれを気遣うあまり、自分の意見を押し殺すところがあるみたい。
「この世界じゃない別の世界があるんだね」
「はい! そして次元ネットワークとは平行世界とこのダンジョンを繋ぐ道のようなモノです」
「別の世界とダンジョンが繋がるってことだね」
「はい! 別の世界と次元ネットワークで繋がっていること、それがダンジョンの定義のひとつなのです」
それからレーナは次元ネットワークへの接続方法を教えてくれた。
おれが常に知覚している文字や音声、あと矢印マーク……あれら実体を伴う情報たちはおれのダンジョンマスターとしての
「よーし! さっそくやってみる」
レーナの案内に従いながら手続きを進める。レーナはおれの視ている「画面」が視えているわけではないが、メニューをどう操作したら何が起こるかを細かいところまで記憶しているので、画面の操作がわからなくなったらレーナに聞けばなんとかなるのだ。
レーナのいうとおりに操作していくとメニューに「次元ネットワークへの接続」という文章があらわれた。
迷わず選択する!
すると確認メッセージが表れる。
────────────────────
「→↑次元ネットワークに接続します。↑→よろしいですか?→↓」
↑はい←
↓いいえ→↑
────────────────────
その時おれは思いついた。せっかくたくさんの矢印マークを操作できるのだから、たくさんの矢印マークを使って「選択」してみよう。おれは5,000個の矢印マークを同時に操作し「はい」を5,000回選択した。おそらくこれで通常の5,000倍の接続になるにちがいない。
────────────────────
「→↑→↓yghoookbfr#ddfiを実行しました………→↑→↓hdghiknvf457に接続中……成功しました→↑→↓」
────────────────────
どうやら問題なく接続できたらしい。
「できたよレーナ」
「さすがです! マスター!」
矢印マークの操作でいっぱいいっぱいだったのがウソのようにサクサク進んでいく。レーナのおかげだ。かわいいしいい子だし、本当にありがたい。
*
「次元ネットワークに接続できましたので、次は迷宮管理システムを起動しましょう」
「迷宮管理システム??」
「ダンジョンの管理をするシステムです。ポイントを使用してダンジョンの設備やアイテム、モンスターを購入したり配置したり……」
設備やアイテム? それに、
「モンスター??」
「あっ」
レーナは少し困った顔をした。
「モンスターってあのモンスター?」
おれには記憶はないが言葉の意味くらいはある程度知っている。モンスターという言葉が人に害をなす異形の生き物を指すことくらいは。
「はい。あのモンスターです」
「あの人を襲うやつ?」
「はい。あの人を襲うやつです」
「それは、何のために?」
「……決まっているじゃないですか」
レーナは微笑を浮かべた。背筋が凍りそうな冷たい表情だ。
「……ダンジョンを。マスターを守るためです」
レーナの両手がおれの手を包んだ。レーナの息づかいが感じられるくらい顔が近い。美しい青い瞳の真剣なまなざしがまぶしい。ドキドキする。
「ダンジョンマスターについて、わたしの説明が十分ではありませんでしたね。これから説明させていただいてもよろしいですか……長く重い話になりますが」
レーナはかなり気が重そうだ。
言われてみればおれは、ダンジョンが何かも知らずに、それを管理するダンジョンマスターとは何かも知らずに手続きを進めていた。
「ダンジョンは平行世界とこの世界の中継地点です」
「次元ネットワークで別の世界と繋がってるもんね」
「はい。ダンジョンは別の世界とこの世界を繋げます。別の世界との繋がりはこの世界に恩恵をもたらします」
「そうなの?」
「はい。異世界のアイテムやモンスターはこの世界にとって珍しいモノです。通貨や市場などの発展度にもよりますがダンジョンで手に入るモノは高い価値を持ちます」
「それはそうだろうね。だって別の世界のモノはこの世界にはないモノだから」
「はい。文明の発展具合にもよりますが、何かモノを持ち帰るため、たくさんの知的生命体がダンジョンを訪れるでしょう」
「そうかもしれないね」
レーナは深く息をすった。
「……その者たちを殺すこと。それがマスターの仕事なのです」
「はい?」
「もちろん節度は守る必要があります。皆殺しにしてはいけません。適度に殺すことが大切です」
「ちょっと何を言っているのかわからない」
レーナは少し考え込み、
「例えばダンジョン運営とは巨大な人食い花を育てるようなものとお考えください。別世界の資源という蜜で世界の知的生命体を呼び寄せ、命を吸って育つ花」
そういうとレーナはおれの肩を抱き寄せた。レーナの大きな胸の柔らかな感触が服ごしに伝わってきてドキドキする。
「ダンジョンとはこの世界から命を搾取するシステムです。それと同時にこの世界に恩恵を与える存在でもあるのです」
耳元でささやくように言うからなんかゾクゾクする。ひょっとしてレーナ、少しエッチな雰囲気で重い話を和まそうとしてるのかもしれない。
「この世界に恩恵を与えつつ、この世界の命を奪う……」
「ダンジョンが与える異世界の物資の恩恵でこの世界は豊かになります。世界が豊かになれば人口が増え、ダンジョンに訪れる人の数も増えていきます」
「おれたちはそれを殺す」
「はい。ダンジョンで死んだ生命体の命や物質はダンジョンポイントという通貨に換算されます。このダンジョンポイントを獲得することがダンジョンの存在理由なのです。ポイントを獲得すればするほどダンジョンは成長していきます」
「つまり殺せば殺すほどダンジョンは豊かになる」
「短期的には。しかし皆殺しにしてしまえばダンジョンに訪れる人がいなくなってしまいます。長期的に見れば得策ではありません」
「ほどほどに殺さないといけないんだ」
「そうです。むしろ最初はリターンを多く与えて、この世界を豊かにすることに力を割くべきかもしれません」
「世界が豊かになればなるほど人が増える。ダンジョンを訪れる人が増えればダンジョンも豊かになる」
奪うだけでなく与えなければならない。殺すだけでなく活かさなければならない、ということか。
「そうです」
「この世界の人を殺すためにモンスターが必要なんだね」
「そのとおりです。ただモンスターの役割はそれだけではありません。モンスターはこの世界にとって恩恵でもあるからです。異世界の生物から獲れる素材はこの世界にとって価値のあるものですから」
なるほど。モンスターの肉や内臓は食べられるかもしれないし、骨や皮はクラフト素材として使えるかもしれない。って、あれ?
「つまりおれはこの世界の人を殺すだけじゃなくて、自分のモンスターも死なせないといけないってこと?」
「そうなります」
レーナは悲しそうな顔をした。
「ダンジョンを運営するものは長期的な視点で物事を考える必要があります。またダンジョンの死生観というものも身につけなくてはいけません。ダンジョンにとって死は悪ではなく、恵みをもたらすものなのです」
「そうか……おれは敵にも味方にも価値のある死を与えないといけないんだ」
敵の死はダンジョンの恵みに。
味方の死は世界の恵みに。
死の恵みを循環させ、世界とダンジョン双方をともに成長させる。
ダンジョンマスターって思っていたより業の深い仕事だった。敵と味方の生と死のバランスをとりつつポイントを稼ぐ。ダンジョンに人を呼び続ける必要があるから時には味方のモンスターを敵に倒させる必要もある。
「ダンジョンマスターって思ってたより難しい仕事なの?」
「はい……そうですね。成し遂げるには常識を超越した感覚が必要です。怖いですか?」
「怖くないと言ったら嘘になる……けどそれがおれの生きる意味なら、できることを一生懸命やるよ」
ダンジョンマスターの権能を使えるのは、おれだけなのだから。レーナが「さすがわたしのマスターです!」と強く抱きついてくる。感動したらしい。
「さあレーナ、ダンジョン管理システムを起動しよう。どんなダンジョンにしようか。一緒に考えてくれないか」
「はい!」
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