バグったダンジョンと魔王の世界

わらわら

第1話 いいえの選びかた

 湿気を必要以上に含んだ空気に包まれて。


 目覚めるとそこは暗闇だった。石の壁に囲まれた何もない部屋だ。


 おれの記憶はここから始まった。これより前の記憶はいくら頑張っても思い出すことができなかった。


 自分の名前さえもだ。


 ひとまず部屋を調べてみる。何かあるかもと思ったが驚くほど何もない部屋だ。


 そもそも扉がない。


 不思議だ。どうやっておれはこの部屋に入ったのか。壁をすり抜けたとしか考えられない。


 そういえば服も着ていない。


 ふむ。おれが壁をすり抜けたのだとすれば、そのとき服も一緒にすり抜けたのだろうか。それが事実としてもわけがわからない。


 おれは一体だれで、

 これは一体どういう状況なのか。


 考えようにもこの部屋には何も無さすぎた。


 不思議なことはまだあった。


 窓もドアもない暗闇のなかでなぜおれはこの「部屋」を認識できているのだろうか。まるで見えているかのように部屋全体を知覚できている。


 ふむ。


 しばらく呼吸を止めてみる。いくら息を止めても少しも苦しくない。呼吸はしてもしなくてもどちらでも良いようだ。この部屋の空気は少し臭いから、呼吸せずにすむのはありがたい。


「……」


 おれはどうやら思っていた以上に異常な状況にいるらしい。すぐに死ぬことはなさそうだが、このまま部屋にいてもやることがない。


 どうにかして部屋の外に出られないだろうか。ふと思い立っておれは壁に向かって駆けだした。


 勢いさえあれば壁を抜けられるかもしれない。そうだ。入ることができたのなら出ることだってできるはずだ。


 それは希望への全力疾走だった。……壁の向こうへいざいかんっ!


「ぶふぇえっ!」


 そしておれは壁に顔面から思い切りぶつかった。そのままぶっ倒れて床に後頭部までぶつけた。めちゃくちゃ痛いし、鼻から血が出てるし、最悪な気分だ。

 

「くそっ!」


 おれは思わずひとりごとを言った。少しは気が紛れるかと思ったのだ。「画面」が現れたのはそのときだった。




────────────────────

 

「ぶふぇえっ・くそっ でよろしいですか」


→はい

 いいえ


────────────────────




「!?」


 なにがよろしいのだろうか? なにが→はい・いいえなのか? そもそも何だ? この画面は? おれは画面を注視した。おれは画面の全体を認識できていなかったようで、よく見ると他の文章も書いてある。正しくは、




────────────────────


「あなたのお名前は、

 ぶふぇえっ・くそっ でよろしいですか」


→はい

 いいえ


────────────────────




 なに、これ。わけがわからなかったが、とりあえずこれだけは言っておこう。


「いいえっ!」


 おれの名前が、ぶふぇえっ・くそっ でよろしいわけがなかった。おれは全力のいいえで断った。はずだった。




────────────────────


「ではあなたのお名前は、

 ぶふぇえっ・くそっ・いいえっ でよろしいですか?」


→はい

 いいえ


────────────────────




 ヤバい。いいえの選び方がわからない。このままだと変な名前を付けられそうだ。どうやらしゃべればしゃべるほど名前が長くなっていく仕組みらしいので、どうにかしゃべらずにいいえを選ばなければならない。


 そもそもこの、「→はい・いいえ」の画面が謎だ。文字情報なのに声まで聞こえてくる感じ。まるで喋る文字が宙に浮いているようだ。情報が実体を持ったらこんな感じなのかもしれない。


 それはそうととりあえず。


 どうにかいいえを選ばなければならない。「はじめまして、私はぶふぇえっ・くそっ・いいえっと申します。よろしくお願いします」なんて自己紹介をするのはいやだ。なにか方法はないだろうか。はい、の横にある矢印マーク、これをどうにかすれば「いいえ」を選ぶことができる気がする。




────────────────────


→はい

 いいえ


────────────────────




 おれは「はい」の横の矢印マーク→に狙いを定めた。そしてこれを下に動かすイメージをしてみた。するとなんと矢印マークが下に動いたのだ。




────────────────────


 はい

→いいえ


────────────────────




 おお……だがこれでいいえを選べたわけではないらしい。矢印マークを動かしただけではいいえを選べない。いいえを選ぶにはさらになにかほかのアクションが必要なようだ。


 イメージをすることで矢印が動くのならば……ひょっとするとこの矢印を横に動かすことでいいえを選ぶことができるかも知れない。よし。やってみよう。




────────────────────


 はい

 →いえ


────────────────────




 おお! 動いた! いいえのいを矢印マークで破壊した! もっと動かしてみよう。




────────────────────


 はい

 い→え


────────────────────




 んん? 破壊したはずのいが復活した。まあいいや、もっと動かしてみよう。




────────────────────


 はい

 いい→


────────────────────




 これはまさか??




────────────────────


 はい

 いいえ→


────────────────────




 オーマイガ~! 矢印マークがいいえを貫通してしまった。どうやら矢印マークを動かすだけではいいえを選ぶことができないらしい。どうすればいいんだ?? “誰かおれにいいえの選び方を教えてくれ”。


 と頭の中で考えた途端、新たな画面が現れた。




────────────────────


「よくある質問を参照します。質問を選んでください。

→1 カーソルの動かし方

 2 クリックの仕方

 3 直感操作の設定方法

 4 音声入力の設定方法

 5 ポイント管理システムを起動する

 6 ヘルプアシスタントの利用方法

 7 次元ネットワークの接続設定

 8 次元ブラウザを起動する

 9 迷宮管理システムを起動する

 10 迷宮管理システムの操作方法」


────────────────────




 どういうことだ。いいえの選び方が載ってない。せっかく、なにか親切さを感じる画面を起動したのに選択肢を選ぶ方法がわからないのではどうにもならない。


 それにしてもこの選択肢、何やら意味不明の言葉ばかりだ。この選択肢のなかから選ぶとしたらヘルプアシスタントだろうか……。まずい。ヘルプアシスタントをどうやったら選べるかがわからない……ヘルプアシスタントを選ぶためのヘルプアシスタントが欲しいくらいだ。


 どうしよう。


 とりあえず。おれにやれることは矢印マークを動かすことくらい。矢印を適当に動かしていけばいつか何か起こるかも知れない。がむしゃらに矢印マークを動かして行くか。マジで何か起きてほしいが……。


 


   *




 あれからどれだけ経過しただろうか。ずいぶん時間が経った。ほんとうに長い長い時間がたった。おれはいまだに一人だしいまだに部屋から出られていない。


 それどころか未だにいいえを選べずにいるのだった。


 とはいえ変化はあった。


 ひたすら矢印マークを動かし続けた結果、矢印マークの数がずいぶん増えた。よくある質問の画面の文字もずいぶん変化した。今はこんな感じだ。




────────────────────


「←く→る質問→→→

 ↑↑↓↓

 1 カー→→→

 □ ↓→ック→→→

 →→→→→の設定方法

 ↑→→→↓←設定→→

 5P9 ←←システム→→↓←

 6 ヘルプアシスタントを↓←→

 7 次元ネットワーク↓↓か→

 ↓←→↓↑ラ→

 9 迷宮↑↑→→→

 10 →→→↓↑→↓←→方法」


────────────────────




 どうしてこうなったのかわからないが、とにかく今はこんな感じだ。がんばれば文字をすべて矢印マークに変えることも可能かもしれない。すべての文字が矢印マークに代わったとき何かが起きるかもしれない。だからもれは今も頑張って矢印マークを動かし続けている。


 うっかり声を出してしまうと名前が長くなるので、喋らないように気をつけていたのだが、気をつけていても声を出してしまうようで、いつの間にかずいぶん長い名前になってしまった。




────────────────────


「あなたの名前は、

 85w2149632guhi8889335hhytreew786・ぶふぇえっertinぶふぇえっぶふぇえっ・くそっ・くそっくそっくそっいいえっはいいえはいいえ ggui8nhersfgj8643d7k9g3kでよろしいですか でよろしいですか↓」


 はい

→→→いいえ↑→↓


────────────────────



 今はこんな名前をつけられそうに鳴っている。こんな名前をつけられるくらいなら潔く死をえらびたいと思う。というわけで絶対に「はい」を選ぶわけにはいかなくなった。


 おれはいいえを選びたいだけだったのに、なんでこんなことになってしまったのか。


 そういえば矢印マークを動かし続けてわかったことがいくつかある。


 まず矢印マークは増える。


 一心不乱に矢印マークを動かし続け、しばらく放っておくといつの間にか矢印マークが増えているのだ。


 それと矢印マークにもいろいろなバリエーションがあることもわかった。右向き矢印、左向き矢印、上向き矢印、下向き矢印。四種類もの矢印マークが存在しているのである。おれはそのすべてを動かせる。


 たとえばこういう動きも出来るようになった。


 ←↑→↓←


 おれはこの矢印マークの動きをバク転と呼んでいる。


 だからなんだ。だからなんなんだ。


 気が狂いそうだ。とっくに狂っているのかもしれない。なんなんだこの空間は。なんなんだこの画面は。矢印は。


 幸いなことにおれは空腹で死んだりすることはなかった。酸欠で死ぬこともなかった。病気にもならかった。ただケガはするし痛みも感じるので、ひょっとするとケガをして死ぬことはあるのかもしれない。だがケガさえしなければ永遠にこの部屋で生きられる可能性があった。


 ただしこの部屋でやれることは矢印マークを動かすことだけだ。


 それが永遠に続くと思うとあまりにも虚しい。虚しすぎた。いっそのことケガで死んでしまおうかとも考えたが、それはできなかった。おれは死ぬのがどうしても怖い。それに希望もないことはない。


 「いいえ」さえ……「いいえ」さえ選べたら。


 何かが変わって、何かが始まる。そんな気がしていた。

 

       *




 長かった。あれからどれだけ経っただろう。ずいぶん長い時間が流れたように思う。とにかくおれはやり遂げた。


 ひたすら矢印マークを動かし続けた結果、おれは複数の矢印マークを同時に動かすことができるようになった。そして矢印マークの形を自在に変化できるようになった。矢印マークで文字を書くことができるようになり、ついに今、矢印マークの操作を極めた。


 矢印マークは動かしたり形を変えるだけの物ではなかったのだ。矢印を文字の上にのせて「押す」。矢印マークは上下左右だけでなく奥へ動かすことができたのだ。おれは平面には奥行きがないと思い込んでいたのだが平面にも奥行きはあったのだ。


 そして矢印マークはそれだけでは何もできないが、文書の上に置いて「押す」ことで、文章に秘められた効果を発動するようなのだ。


 先ほどおれは矢印マークの形を変形させ「かなさ」という文章を作り、その上に矢印マークを移動させ「押した」。すると画面に



────────────────────


「↓→←無効な操作です←←←」


────────────────────



 という文章が新たに現れたのだ。この文書はしばらくすると消えてしまったが、文章を押すと何かが起こることは間違いないようだ。


 ひょっとするとこれが「選択」というやつだったのかも知れない。先ほど押した文章は「かなさ」という無意味な文章だった。では意味のある文章を選択するとなにが起こるのか?


 今、おれが「押した」文字は「ポイント管理ヘルプアシスタントシステムを次元ネットワークから迷宮管理システムする」の文字だ。


 本当は「いいえ」を押して変な名前をつけられるのを防ぎたかった。だがおれの押したかった「いいえ」は大量の矢印マークの中に埋もれてしまっている。探すのが大変なのだ。


 なのでおれは矢印マークを文字に変形して「ポイント管理ヘルプアシスタントシステムを次元ネットワークから迷宮管理システムする」という文章を書いた。この文書はよくある質問に書いてあった専門用語を適当に並べてみたもの。おれはそれを「選択」した。


 有意味な文書の「選択」。それでいったいなにが起こるのだろうか? なにも起こらないかも……。頼む、何か起きてくれ!


 変化は起きた。最初に訪れた変化は光だった。


 部屋のちょうど中央に直径160センチの巨大な光の塊が出現した。やった!


 興奮しながらしばらく待っていると光は徐々に弱まり、そのなかからふわりと何かが現れた。大きい。それはおれとよく似た大きさでおれとよく似た形をしていた。


 つまり頭があり、体があり、左右に腕があり脚があり、そして何も着ていなかった。


 おれとちがうのは頭部から生える髪の毛がおれより長く金色なこと。胸の膨らみがおれよりもずいぶん大きいことだ。なぜだか理由はわからないがおれはそれの胸のふくらみを素晴らしいと思った。


 それは床の上でしばらく眠りそれから目を覚ました。長いまつげのあいだから宝石のように輝く青い瞳があらわれる。


「ん? んん!?」


 それはとまどいながら周りを見回して、それからようやくおれを認識した。


「は!?」


 それは顔を赤らめ両腕で胸の膨らみを隠し

ながら「ど、どういうことですか!?」と言った。それはおれが聞きたいくらいだった。


「どういうことなんだろうね」


 それはおれをじろじろ見ながらしばらく黙った。おれをみているうちにいくらか落ち着いたようだ。だんだん顔の赤らみが薄れてきた。


「すいません……あなたは?」


「おれの名前? わるいけど名前はまだ選択できてないんだ。君は?」


「わたしは……」


 それはうつむいた。


「わたしは……わたしの名前は……ポイント管理ヘルプアシスタントシステムです……」


 おれの視ている画面にも【ポイント管理ヘルプアシスタントシステム】と表示されている。なるほどおれは画面を通して名前を確認することができるということか。


 ポイント管理ヘルプアシスタントシステムはおれを見つめながらポロリと大粒の涙を流すと床にうずくまり「うわーっ」と絶叫した。


 おれにはポイント管理ヘルプアシスタントシステムの気持ちがわかる気がした。おれだって自分の名前がポイント管理ヘルプアシスタントシステムだったら嫌だ。泣きたくなるに決まってる。


 この子の涙を止めてあげたい。


 そうだ。おれはカーソルで文字を書ける。カーソルの文字でこの子の新しい名前を書いて選択したら、ひょっとしたらこの子の名前を変更できるかも……!?


 涙を止めるためにはやるしかない。


「泣かないで、ポイント管理ヘルプアシスタントシステム。いまからおれがきみに新しい名前をつけてあげる」


「アタラシイ、ナマエ?」


 ポイント管理ヘルプアシスタントシステムは涙を浮かべた瞳で、すがるようにおれを見つめる。おれはできるだけ優しく語りかけた。


「そうだ。君の新しい名前だよ。今から君の名前は」


 おれは矢印マークの形を変化させ文字を作った。そしてその文字を、目に映るポイント管理ヘルプアシスタントシステムの姿の上に重ねて押した。「選択」した。


「レーナだよ」


 なんでレーナなんて名前にしたのか……わからない。深い意味はない。なんとなくだ。


「レーナ……」


 つぶやくと同時にレーナの体が光に包まれる。そして何も着ていなかったはずの体に次々と衣類が装着されていく。


(つまりどういうこと??)


 わからない。わかったことは「選択」すると何かが起こるということだ。しかし何が起こるかはわからない。


「わあ!」


 レーナははしゃいでいる。白と青を基調とした半袖のエプロンドレス、フリルのついたカチューシヤ、膝までの丈のスカート、太ももまである白いソックス。いわゆるメイド服というやつだ。かわいい。おれはレーナの格好を好ましく思った。


「新しい名前と服をありがとうございます」


「意図してやったわけじゃないけど……よかったよ」


「わたしは……レーナは、元ポイント管理ヘルプアシスタントシステムとして一生懸命あなたを……マスターを支えます」


 マスター? 確かにおれは矢印マークの動かし方に関しては誰にも負けない自信がある。おれは矢印マスターだ。


「ありがとう。助かるよ」


「なにか困りごとはありますか?」


 レーナはおれを手伝ってくれるという。もともとポイント管理ヘルプアシスタントシステムだったし、手伝ったり助けたり管理したりが得意なのだろうか。名は体を表すというし。


「そうだな……」


 困りごとだらけの現状だけど……さてさてレーナの手に負えるかな。まあひとりじゃ何もできなかったわけだし、レーナにできる範囲で手伝ってもらおう。最優先で解決したい問題は……とりあえず。


「いいえの選び方を教えて」



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