盗賊騎士
郷に入っては郷に従え。
そこにいるのであれば己の価値観がどうであれ、そこに従えといったような意味だ。
ネモの記憶にある、ことわざというもののひとつだった。全く肌の合わないこの土地の文化をおとなしく学んでいたのも、この言葉が頭にあったからである。まぁ覚えられないもののほうが多かったが。
メレイスにこの言葉について聞いてみたが、首を振るばかりであった。
ただ似たような言葉があるようでナントカにありてはナントカ人の如く生きよ、という言葉を教えてもらった。ナントカの部分は国の名前だったが、興味がなかったので忘れてしまった。
青果店の前の道で、ネモは五人の男たちと対峙していた。強盗騎士たちだ。
今が、決闘の日、時刻である。
腰に
「果し状出してきたにはてめえらか」
「坊主が相手になるってのか」
強面で髭を蓄えた男が前に出る。
「そうだ」
力強く答えると男たちはきょとんとネモを見つめて、それからドッと爆笑し始めた。
「やめとけ坊主。綺麗な顔に二つ目の傷は刻みたくないだろ?」
頬の古傷をなぞる。別段、気にしてなぞいない。
「その子ワタシのミーレスなの」
堂々とした声が響き渡る。決闘を立ち会いに来たフリートだった。ネモの背後に優雅に立っており、その隣にはメレイスもいる。
「ミーレスぅ?」
強面の男が眉間に深い皺を刻む。
それから口に端を吊り上げる。明らかな嘲りを含んだ表情であった。
「ミーレスならミーレスらしく学園でお遊びでもやってな」
「勝ったらワタシとメレイス好きにしていいわよ」
「なっ」
とんでもないことを口にするフリートに、メレイスがたじろぐ。
「な、なんてことを仰るのですかお嬢様!」
「へぇ、言質取ったからな」
前に出ていた強面の男が柄に手をかけた。
「名乗れ小僧」
「ネモ」
「オレは、ビルガスだ」
腰から幅広の剣を抜き、正眼で構えてくる。
「抜けよ」
「抜かねえよ、あほう」
瞬間、殺気。
剣の切っ先がネモに向けられたかと思えば、眼前まで迫ってきていた。
死が迫る。
ネモがそれに対して取った行動は両手を合わせるしぐさ。これだけだった。
「……な」
ビルガスの表情が驚愕に染まる。
彼の剣先は、ネモの両手でしっかりと止められていた。剣の両側面を、手のひらで抑えている。
「この」
ビルガスは肩をいからせ、腕に力を入れるが、びくともしない。
「そんなもんか?」
「ぐぎぎ」
ネモは剣先をずらして間合いを詰めるとビルガスを蹴った。軽鎧が地面と擦れる音を響かせながら、ビルガスが転がっていく。
「ちっ」
すぐさま体勢を立て直したビルガスは片膝をついた状態で剣を構える。
「少しはやるようだな」
「てぇしたことねえな、騎士ってのも」
「何ぃ……?」
青筋を立てるビルガスに、ネモは笑う。
「ほら来いよ」
ビルガスは怒りの表情をむき出しにし、体の周りの空気が陽炎のように揺らめく。
「サービスで魔力を使わずにおいてやったら調子に乗りやがって……殺す!」
その場から掻き消えたかのような速度で、ビルガスはネモに迫った。
先程とは段違いの速度と力だった。
風切り音を響かせながら、剣はネモの眉間に吸い込まれるように振り下ろされる。
「……へっ」
次の瞬間、ビルガスは大地に叩き伏せられていた。
白目を剥いて、倒れている。
決着はまさに瞬く間、であった。
「真正面から来やがって。あほうが」
「……何したの、ネモ」
フリートの声かけにネモは振り返る。
「避けて、頭から叩きつけた。そんだけだ」
猫でも掴みあげるかのようにビルガスの軽鎧を持って体を持ち上げると、仲間たちの元へ投げる。
一瞬で地に転がった仲間を見て、他の
「そんで、ひとりで終わりか? せっかくあと四人いるんだ、全員で来いよ」
ネモは不敵に笑ってみせた。
メレイスがわなわなと唇を震わせるさまを横目に、フリートはネモの戦いぶりに感心していた。
力が強いだけでは正確に剣先を捕まえたり、紙一重でかわして敵を地面に叩きつけるなんて芸当はできない。戦いの中で生き残ってきた強者の戦い方なのだろう。
「……なるほど」
強欲騎士たちのうちのひとりが前に出る。
金髪に青い瞳を持った中年の男性だった。前髪がかき分けられていて額が目立つ。
「シュチュアートだ、ネモ殿」
剣を静かに抜き、右半身をやや前に出した構えを取る。
「いいのか、ひとりで」
「あぁ。足手まといだからな」
冷淡に告げるシュチュアート。他の三人は不甲斐なさそうに目をそらした。
「随分自信があるみてえだな」
「あるとも」
シュチュアートには一切隙がなかった。先程の男よりも明らかに強い。
「お、お嬢様。ネモは大丈夫でしょうか」
「さぁ?」
小首を傾げるフリートに、メレイスは青ざめた。
「も、もし彼が負ければ私たち……」
「そのときはそのときよ」
「そ、そんなぁ」
項垂れるメレイス。
ネモは相変わらず剣を抜かず、ただじっと相手を見ている。
「……行くぞ」
重心が前に移動したかと思えば、シュチュアートはネモとの間合いを詰めていた。
不規則な軌道を描いて連続突きが繰り出される。ネモはそれをステップで避ける。
シュチュアートは剣を引くと左手を突き出した。ネモの目前まで来たそれは、
爆発した。
ネモの上半身は突然の炎に包まれる。
魔法だ。
戦闘において魔力の使い方は二種類ある。魔力を全身に巡らせて身体能力を向上させるか、魔法によって特定の現象を発生させるか、だ。
戦闘に使われるからこそ魔法の瞬時発動は必須となる。
「ネモ!」
メレイスが叫ぶ。
それに答えるように、上半身の炎が吹き飛んだ。
ネモは生きていた。ところどころ火傷はしていそうだが、戦意は全く喪失していない。
「ほう、耐えるか」
「なんでぇ、今のは」
鼻を親指でこすりながら、ネモは呟いた。
「魔法だ。もしやこれほど実践的な魔法は初めてかね?」
「魔法なんぞ知らん」
挑発的な物言いを気にせず、ネモが吐き捨てる。
シュチュアートの顔に嘲りが浮かんだ。
まるで無知な子どもを哀れむ、質の悪い大人のようだった。
「そうかそうか、なら理解しなくていい。そのままじっくり焼かれてくれ」
赤熱した刃がネモに向けられる。剣が高熱を帯びる魔法だ。
ネモはあえて飛び込んで、剣の有効範囲から外れようとするが、シュチュアートの素早いバックステップがそれを許さない。
空中を汗が舞った。
縦横無尽に、シュチュアートの剣が襲いかかる。ネモはそれでも紙一重で避け続ける。
「しぶといな」
シュチュアートの左手が炎を伴って振るわれる。
「あちっ」
ネモは後ろに飛んで距離をあけようとするが、シュチュアートのステップインが間合いをなくす。
繰り出される突き。
避けようのない直撃コースだった。ネモはそこで初めて柄に手をかける。
閃光が走った。
突きが弾き上げられる。
腰から抜いた剣で、シュチュアートの攻撃を凌いだのだ。
驚いた。
抜いた剣と納めた剣どちらが速いか、言うまでもない。しかし、ネモはあっさりと抜剣と攻撃を同時に行った。剣の形状も関係しているだろうが、ネモの戦い方は騎士のものとは随分違うようだった。
「ぐっ」
シュチュアートはニ、三歩後退し、ネモを睨む。
「……足りねえな」
「何?」
「てめえが俺に勝とうなんざ、百年早え」
煽られたシュチュアートの瞳に怒りの炎が灯る。
「ホラ吹きだな。本当だというのなら……この剣受けてみよ」
十分な距離をとり、シュチュアートは剣を掲げる。剣に炎を纏わせ、周りを熱する。
「避ければ、女の命はないと思え」
「……上等」
鞘に剣を納め、柄に手をかけたまま、ネモは待ちの姿勢を取る。
「しょ、正気ですかネモ!? 魔法を使わないと死にますよ!」
「そんなもんは知らん!」
ネモの即答具合に、メレイスはますます顔を青くする。
「メレイス、最低限盾になってくれそうだし、落ち着いて」
「お嬢様!?」
炎が唸りを上げた。
凝縮された魔力を焚べられた炎が、刃となり燃え盛っている。
「骨まで残さん」
そして一気に振り下ろす。
シュチュアートから炎の斬撃が飛ばされた。
その炎は、ネモを喰らう竜の顎のようだった。
ネモは極端に姿勢を沈みこませると大きく左足を踏み出す。
——鞘走る。
まるで剣が自らの意思で鞘から抜けたように、剣が引き抜かれる。
「——
呟きと共に炎の竜が斬り裂かれた。
そこから、前に出した足を軸に身をひねり、踏み込み、回転斬りを放つ。
文字通り、炎の中を斬り抜けた。
「……な」
炎が晴れた先。
そこで、シュチュアートの首筋に刃を当てるネモがいた。
「選べ」
生か、死か。
殺気を剥き出しにしたまま、ネモは聞く。シュチュアートの額から頬へ、汗が流れた。
肩をすくめて両手を挙げる。
「降参だ」
かくして、盗賊騎士の事件は決着となった。
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