メイドと不良ミーレス

 モンス男爵家の唯一のメイド、メレイスは不機嫌さを隠せなかった。まるで敵でも見つけたかのように、目の前の少年を睨みつける。


 こちらが本を片手に物事の道理を説いているというのに、ちっとも覚えようともしない。鶏のように次の日にはほとんど忘れている。


 用意した執事服も胸元のボタンをいくつか外してリボンを結んでいない。


「ネモ」

「へい」


 名前を呼ぶと、猫背のまま返事をされる。


「返事ははいです、はい。きっちりしなさい」

「……はい」


 ネモは視線を合わせず、小さな声で不満げに漏らした。


 お嬢様フリートからは馴染むまで多少の粗暴さは見逃せと言われている。

 確かに、フリートが連れてきたときはどんな野蛮人だと思うような格好をしていたし、常識を知らな過ぎて、呆れかえるほどだった。フリートの父であるディークも空いた口が塞がらないといった様子だったほどだ。


 いきなり貴族としての常識を身に付けろといっても土台無理な話だろう。


 それにあの恐ろしいオーガから大事なフリートを救った男だ。無下にもできない。むしろ感謝をすべきなのはこちらだ。この家で最も重い、モンス家の一人娘の命を救ったのだから。


 それはそれとして、だ。


 メレイスはこのネモが心底嫌いだった。

 性格と価値観の乖離は嫌悪を生む。つまるところ、真面目なメレイスにとってネモの物覚えの悪さは怒りを滲ませるには十分だったのだ。


 それがわざとじゃなかったとしても、許し続けるほどの寛容さはない。


「はぁ、どうしたら真面目にやっていただけますか」

「んなこと言われてもな。雲の上の話されても実感わかねえっていうか」

「こんなのがお嬢様と共に学園に行くとは、嘆かわしいというか」


 ミーレス。

 昔の言葉で「戦士」を意味し、現在でいう騎士ナイトの原型となった言葉だ。

 ミーレスはつまるところ、騎士希望者のようなものだ。上流貴族の目にとまれば騎士の階級を得られる。正式な騎士の成り方よりも狭き門であるが、近道ではある。


 学園でマスターとミーレスの関係になったからといって騎士になれるかは本人次第。いくら強くとも人格が伴わなければ意味がない。


「苦労かけてすまねえな」


 申し訳なさを少しは感じているのか、ネモは謝罪の言葉を口にする。


「そう思うなら少しは常識を身につけてください。ボタンをしめて、リボンを結ぶ」

「いやぁ、窮屈だし、やり方わからなくて」


 キッと、睨みつける。ネモは渋々といった様子でボタンをきちんとしめた。ため息を吐きながらリボンを結んでやる。


「今日はリボンを結べるようになるまで練習、ですね」


 メレイスがそう言うと、ネモは嘔吐でもするのかと思うほど、嫌そうな顔をした。





「まずいわ」


 庭のテーブルに紅茶のカップを置いて、フリートは包み隠さず呟いた。紅茶を淹れた本人……ネモは目をそらす。

 今は庭に用意されたテーブルとイスを使ってティータイム中だった。フリートはイスに座り、メレイスにつくってもらった茶菓子と、ネモにつくらせた紅茶を楽しんでいる。メレイスは他の業務をしているので、二人きりだ。


「飲めりゃいいだろ」

「これでも?」


 摘まんだ茶菓子クッキーをネモの口に突き出す。反射的にネモは口を開いて食べる。


「お味はどうかしら」

「……あめぇ」

「アナタがこの間つくった真っ黒い円盤とどちらがいいかしらね」

「うっ」


 言い返せず、苦虫をかみつぶしたような顔をするネモ。口調は荒いが、美少年がこうして顔を曇らせていると思うと、紅茶のまずさを許せる気がした。


「文化を舐めすぎ」


 言い捨てられて、ネモは傷をなぞるように頬をかく。


「……ところで、堅苦しい格好は慣れたかしら」

「全然」

「慣れる事ね。いろいろと」


 ネモは落ち着かないのか、手を振ってみたり、服を引っ張ったりしている。服が傷まない程度だが、こう落ち着きがないと品位以前の問題だ。


「だいたい、強いやつと戦わせてくれるんじゃねえのか」

「強ければいいだなんて獣だけよ。しっかりここでの生き方を学んで品位を少しは持ってちょうだい。でないと舞台にすら立てないわ」


 ミーレスとしてライバルを打ち倒していけば、そのうち上流貴族や名の知れた騎士の目にとまる。そうすれば騎士との立ち合いや卒業後にモンスター退治を任される等、ネモにとっては喜ばしいイベントが待っているだろう。


 ただ、強ければいいとはいえ、貴族の絡む舞台だ。少しは教養を知ってもらわねば。


 中級や上流貴族も通う学園だ。最初から最下級である男爵令嬢がいい顔をされないのはわかっている。だからこそ、ネモの粗暴さは多少受け入れられるだろう……少し教育がうまくいってくれれば、であるが。


 見下される立場の男爵令嬢のミーレスが荒くれ者でも目くじらを立てる者はいまい。


 笑いものにされるだろうが。


 ……楽しみだ。


 入学までにネモには教養を完璧に身に着け……るのではなく、自制を身に着けてほしいのだ。自制をするための教育であるし、同時にフリートを取り巻く世界のことを知ってほしい。


 今のままでは森から出てきたモンスターと変わらない。下手をすれば暴力でねじ伏せればいいという思想を身につけかねない。


 だからこそ、教え方の上手いメレイスに教育を任せている。真面目さがそのまま我慢強さに繋がっているような女性だ。


「メレイスはどう?」

「どうってなんだ」

「印象とか、好きとか嫌いとか」

「敵」


 ネモは即答した。


「あいつは俺を認めちゃいない。敵意がある」

「へぇ」


 恐らくネモに女性の心の機微を読み取る力は皆無だろう。戦う人間の勘として、メレイスがネモを快く思っていないことを「敵意」として読み取ったのだろう。

 その解釈は、少し面白いと感じられた。


「なら少しは認めてもらうよう努力することね、ワタシのミーレスさん」


 まずい紅茶を飲み干して、フリートは微笑んだ。

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