第3話
若松から模試の結果を受け取ると、大きなアルファベットが目に飛び込んできた。
「E」
一瞬のめまいを何とか持ちこたえ、自分の席へと方向転換する。後ろの席の吉田桜がすぐ後ろまで来ていることに驚いて少しよろけた。席に戻るまでの遠い遠い道を歩き終えて席に座ると、雄志が振り返って心配半分興味半分といった風にこちらを見つめている。受けたショックを紛らわすため、あえて大袈裟に天を仰いで見せた。
「それでは、残り少ない夏休みを有意義に過ごしてください。」
最後の挨拶が終わると雄志と大智と一緒に教室を出て下駄箱に向かった。慎太郎は二人の一歩後ろを歩く。
「おれ、ごりごりのE判定だったよ。」雄志は朗らかに言い放った。
「この時期なんて、みんなE判定でしょ。でも夏休みで成績上がった気がしないなあ。志望校さげようかなあ。」大智が少し自信なさげになっている。
志望校を下げるわけにはいかない。慎太郎はそう考えていた。志望校を下げればその大学をあきらめたことになる。一生付き纏う出身大学の名前で後悔したくなかった。しかし、このままでは望みが薄いことも自覚していた。予備校のチューターは信用ならない。マーク試験で7割しか取れないような受験生活を送ってきた人間に、マーク試験は対策しなくても9割取って当たり前の大学を目指す自分の気持ちがわかるはずもなかった。雄志や大智は信頼している友人だったが、彼ら二人は同じ目標に向かう同志ではなかった。慎太郎は彼らに心の悩みを打ち明けたことはなかった。
「慎ちゃん、模試どうだった?」雄志の高い声で我に返る。
「え、ああ、僕も全然だめだったよ。」
「いやいや、まあでも慎ちゃんのだめと俺らのダメはわけが違うからねえ。」
「そらそうよ。俺らの会心の出来が慎ちゃんにとってのギリOKだから。」
「いや、ほんとにダメだったから、みんなと変わらないよ。」
友人からの期待にほのかな重圧を感じ取った慎太郎はいつも通り下駄箱で二人と別れ、いつもより早足でバス停へと向かった。
「悪くないんじゃない?山井君のことだから判定を見て落ち込んでいるのかなとは思うけど、この時期の東大志望はまだやっぱり浪人生が強いし落ち込むことなくしっかり勉強するのが一番だと思うよ。」
予備校に到着した慎太郎はエントランスから衝立一枚で仕切られた面談室で模試の結果を大学生のチューターに見せていた。壁のほうに目をやると、昨年の合格大学と人数が書かれたポスターが貼ってある。「判定ばかり気にしてしまう典型的な東大受験生」それが、予備校講師そして大学生のチューターからみた慎太郎の評価だった。
「そうですか、ありがとうございます。」
慎太郎は自分の考えをチューターに理解してもらい、信頼関係を築くということはとうに諦めていた。
予備校にはエントランスの両側に、上から見るとちょうど白鳥が羽を広げているように教室が配置されている。エントランスに入って正面の受付にチューターや職員がおり、左手の教室が講義室、右手の教室が自習室となっていた。面談室は右手の自習室に入る扉の少し奥にあった。面談室から出た慎太郎はすぐそばにある自習室の扉を開けて中に入った。学校の教室ほどの大きさの自習室が好きだった。慎太郎はいつも前から3列目の右端の席を選んで座る。左の席にはいつも背が高く細身で短髪の男子高校生が座っていた。決して大きいとは言えない予備校から東大生が排出されたと話題になる未来を妄想する。そうやって、慎太郎は孤独を紛らわせていた。
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