第2話

プシュー、ガンッ!

 電車の扉が開く音がして、慎太郎は単語帳に向けていた視線を少し上げる。

「はよー、ひさしぶり。」雄志の、17歳の男子高校生にしては高い声が耳に届く。朝の通勤通学ラッシュの時間帯でもJR山陰本線の乗客は少なく、座席は埋まっているが立っている乗客がまばらにいるくらいだ。

「久しぶり。」

「慎ちゃん、夏休み何時間くらい勉強してた?」

「1日?うーん、10時間超えるくらいかな」

「ひえぇ、っはは。やっぱちがうなあ。」

「みんなそのくらいやってるって。」

 ほんの少しの嘘が混じっていた。同じ高校に通う生徒より、そして同じ予備校に通う生徒よりも勉強をしている自信があった。しかし模試の返却が予定されている日に大見得をきってまたE判定を取ることを恐れていた。かといって雄志にその思いを明らかにすることもしなかった。短い会話が終わると慎太郎は単語帳に、雄志は窓外の景色に目を移した。下車する駅まであと5分ほどであった。

 電車を降りるとそこからバスで10分ほどで高校についた。バス停から登校門まで、登校門から下駄箱まで、下駄箱から教室まで。そのどこを切り取っても普段の学校より1段階、活気づいている。1年生は若々しさを孕みつつ、2年生は3年生が引退した部活で身に付けた風格を漂わせながら、そして3年生は見えない緊張とともに1か月ぶりの再会を喜んでいた。




「慎ちゃん、雄志、ひさしぶり!」教室に入ると太田大智が声を上げた。聞きなれたはずの声だが、1か月ぶりに聞くと懐かしさを覚える。

「ひさしぶり!」

「ひさしぶり。」

 先に声を上げたのは雄志、ワンテンポ遅れて慎太郎も言葉を返した。

ガラガラガラ、トン

 始業のチャイムはまだ鳴っていなかったが、前の扉から担任の若松が入ってきた。そして、若松の登場から20秒ほど遅れたチャイムを聞き終わってクラス全員が席に着くと若松が口を開いた。

「お久しぶりです、みなさん。夏休みは毎日勉強でしたか?大変でしょうが頑張り時です。」聞き飽きた言葉が飛んでくるのを、慎太郎は身構えた。「夏は受験の天王山ですからね。」




 若松の形式だけの話を聞き終え、学校の行事予定や秋の模試の申し込み案内などが終わると、慎太郎は教室の空気が急に薄くなったことを感じた。慎太郎にとって、そして多くの同級生にとって今日学校に来ることの大きな意味が待ち構えていた。

「7月の終業式の前に行った模試の返却をします。」若松の言葉で空気はさらにピンと張りつめた。慎太郎は頭を両側から糸で引っ張られているような感覚を覚えた。名簿順に行われる返却では「山井慎太郎」の手元に模試の結果が来るまではまだ時間があった。母の旧姓は「飯田」だったため、この時間を「両親が結婚するときに母の姓を選んでいれば。」と考えることとなった。窓際の前のほうの席を見ると、早くも返却を終えた雄志の厳しそうな横顔が目に入った。

「ハイ次、多田。」

そのすぐ後ろで大智が同じ感情を漂わせている。教室の空気を張りつめていた緊張が徐々に解かれていく。

「次、西川」

返却を終えた生徒は大方、一瞬の厳しい表情とともに周りを見、友人たちが同じ表情を浮かべていることに安心してため息を漏らすという反応だった。

「野口。」

若松の声は被告人に判決を告げる裁判官のように響く。

「次、藤淵。」

若松から答案を受け取り、自分の席に向かう藤淵凛子の顔が少しほころんで見えた。返却されてすぐに目に入るのは志望校判定だった。その結果がよっぽどよかったのだろう。答案返却は続く。先ほどまで裁判官に聞こえていた若松の声は、いつしか慎太郎の中で死者に地獄行きを告げる閻魔大王に変化していた。


「山井。」


 来た。自分の席を立ち、閻魔大王の席に向かう。緊張しているという事実を、心臓は大きな拍動に変えてこれでもかというほど伝えてくる。地獄か天国か。慎太郎はすっと息を吸い込んだ。

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