死に至る街

井上 表裏

第1話

 大学受験は情報戦だ。特に難関大学受験となるとその傾向は顕著になる。何十年も蓄積された過去問から傾向を調べ上げ、その大学に最適化された授業と学習計画が予備校では提供されている。それはつまり、田舎の高校生は非常に厳しい戦いを強いられることになるということを意味している。

 同じ日本という国の中でも、「都会」と「田舎」は文化が違う。常識が違う。家の子供が○○大学を受験するという話題は瞬く間に近隣に広まり、すれ違うおじ様おば様から応援の声かけを受ける。過大な重圧と希薄な情報という二つのディスアドバンテージを背負いつつ、田舎の高校生は戦っている。




 山井慎太郎はそうした高校生の一人だった。1997年の元日に島根県の片田舎に生まれた慎太郎は、小学生のころから普通に暮らしているだけでテストは90点を切ったことがなかった。全校生徒38名の小学校で「天才」として名を馳せていた.中学校に上がると、教育に関心の高い母親に1年生から地域に唯一の小さな塾に入れられた。中学校でも慎太郎は常に学年トップの位置を守っていた.

 高校進学を機に、電車とバスを乗り継ぎ1時間を超える通学が始まった。県下トップの公立高校だったが、旧帝国大学と呼ばれるような最難関大学に進学を望む生徒は少なかった。




「ふぅ、、、」

 スマートフォンの電源をつけると、午後8時36分だった。2時間前にパートに行っていた母から「必要なものはないか」と連絡が入っている。真っ暗な道路に、スマートフォンとはるか遠くの信号機の明かりだけが浮かんでいる。午後9時を過ぎると、自宅近くの信号機は黄色で点滅し始める。慎太郎は高校3年生になっていた。

 県下トップの高校でも変わらず慎太郎はトップの成績を維持していた。さすがに中学生の時のようにほぼ毎回のテストで1位を取ることはなくなったが、それでも得意な英語はいつも1位だった。高校3年生になり部活を引退してからは本格的な受験生生活が始まり、学校と予備校で1日のほとんどの時間を過ごしていた。

 ピロン

 メッセージの到着を告げる音が響く。


yu-shi「明日、何時発?」


 井上雄志から、明日の電車の時間を尋ねる連絡だった。今は夏休み真っ只中の8月だが、明日は登校日になっていた。終業式の直後に受けた模試の成績も、明日返却される予定になっている。雄志は慎太郎の通学経路の半分ほどの場所から同じ電車に乗る。クラスが同じになり仲良くなった2年次からいつも一緒に登校していた。


慎太郎「荒島7時29分発」

yu-shi「おっけー」

慎太郎「2両目ね」


 yu-shiから高速回転するウーパールーパーのスタンプが送られてきて、会話は終わった。スマートフォンから目を離すと、自宅を含む数件の家が集まりあたたかな光を漏らしているのが目に入るようになっていた。「もうちょっと家が近かったら、塾にもっといれるんだけどな。」最終のバスの時間が早く、閉館の2時間前には机に向かうほかの受験生を横目に予備校を出なければならないことに慎太郎は少しの後ろめたさと焦りを感じていた。




 自宅につくと、既に家事を終えてテーブルでテレビを見ている母が出迎えてくれた。

「おかえり。」

「うん、ただいま。」

「明日、学校行くから早く起きるよね?」

「うん、6時には起きる。」

 そういいながら慎太郎はリュックサックから弁当箱を取り出し、流しに置いて夕食を食べるために席に着いた。慎太郎と母は向かい合うように座っていたが、夕食を食べる時間に会話はない。母はテレビを眺め、慎太郎は夕食を食べる。職人がそれぞれの仕事を全うするように言葉も目も交わすことなく時間が過ぎる。

 食事が終わると、2階の自室で勉強を再開する。自室での勉強は予備校での授業内容の復習と間違えた問題のやり直しと決めている。ふと、明日返却される模試のことが頭に浮かんだ。「あの模試の時は、日本史のインプットが終わってなかったからな。」まだわからない結果に言い訳をする。明日まで結果は分からないが、慎太郎の鼓動は速まっていく。3年生になってから幾度か模試を受けた。そのどれも判定は芳しくなかった。最も出来の良かったD判定が一度あったが、それ以外の模試ではすべてE判定を取っていた。予備校のチューターからは「まだ8月だからE判定で当たり前。むしろ1回でもD判定をとれたことを自信に思ったほうがいい。」と言われていたが、その言葉が慎太郎に自信をもたらすことはなかった。

「地方国公立に通っている人間に、僕の気持ちは分からないんだ。」

 チューターから模試の結果が返されるたび、そして応援の言葉をかけられるたびに心の中で呟いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る