第33話 いまが至福のとき

最近の杵築さん。

カナくんのこと頼りすぎじゃない?

お兄ちゃんがルンルンで出てってから。

1時間ぐらいグチグチしてるし…


でも、わたしは大らかだから。

ちゃんと待った。

通話が切れるのを待って。

さっそく言う。


「カナくん、オーナーに言ったほうがいいんじゃない?」


「あはは。助言が貰えるかは聞いてみるけど、さすがに告げ口とかはね…」


「もー…あんま優しくしなくていいんだからね?」


カナくんが認められるのは嬉しいけど。

こき使うのは…

ちょっと違くないでしょうか。

連絡の回数もすっごく多いし。


オーナーからも、連絡はたくさんくる。

くるけど、それって心配されてる感あって。

杵築さんは逆に、心配して感ある。

いい大人なのに。


まったく。

連絡してこない監督代理を見習ってほしい。


「レオのためになるから、多少はね。そういえば栞ちゃん、さっきスマホで何やってたの?」


「えーっと…さっきは、なにしてたっけ?」


えー…?

杵築さんの話しが長くて、忘れちゃった。


「あはは、お茶入れてくるね。ぼくもちょっと疲れたし」


「はーい」



『…栞ちゃん、なんで怒ってるんだ?』


「さぁ…で、どうかされたんですか、監督代理」


『いや、日を改めるか?カナタくん』


「えっと?」


だいじょうぶ、カナくん。

そんなに気をつかわなくても。

わたし、おおらか。


「怒ってない、です。お話しどうぞー」


『き、杵築だな?最近、録画が多いと思ったが…すまんな、言っておくから。機嫌を直してくれ、栞ちゃん。ほら、声も大きくないだろ?な?』


「だからー別に怒ってませんって。でもそうですね、静かなのはイイと思いますよ、監督代理」


ちょっとタイミングよくないだけ。

最近のカナくんずっと忙しそうだから。

心配なだけ、だから。


いいんだよ、べつに、わたしは。

くっついていられれば。

それで幸せだから。

ねー、カナくん。


「あはは、くすぐったいよ栞ちゃん」


『…まったくあいつは。手早く済ますからちょっと待っててくれ。まず春の人事の件だ』


「早いですね、杵築さんは知らなかったようですが」


『緊急の件だからな。療養されていたJ3の監督が引退される。俺の代理も外れることになった』


「それは…おめでとうございます?」


監督代理から監督に逆戻り。

でもステップアップだし。

いいことなのかな?

名前は…思い出せないけど。

いいか。

監督って呼べば。


『ありがとう。それでだな、カナタくんのおかげで選手のスタッツが底上げされて、だいぶ杵築に持ってかれた。知ってるか?』


「はい。J2をJ1にするのに、必要だったとも聞いてます」


『そうだ。で、J3選手の人数が、非常に心もとないことになった。現状、13名しかいない』


あ、思い出した。

文化祭の動画だ。

ユリちゃんから送られてきた。

わたしみたいのがいた!って。

なんか興奮してたやつ。

後で、見てみよう。


「それは…ケガが心配ですね。対策は?」


『スカウトも頑張ってくれてはいるが…4軍がなくなってしまったからな。早期の補充が見込めない状況だ。何か案でもあれば、と思ったんだが』


「…ちょっと待ってください。タブレットを見返します」


それとやっぱり。

カナくんは、こうして忙しいし。

旅館は、もうちょっと自分で頑張って。

カナくんに負担を掛けないように、しよ。

しばらくサッカーに集中してもらって…

うん。

きっと今は、そのほうがいい。


『栞ちゃん、すまんな。ほんと、切羽詰まっててな?』


「大変なのはわかってますから大丈夫です。でも、杵築さんにはしーっかり言っておいてくださいね。さすがに1日おきにグチグチされるのはちょっと…」


『そんなにひどいのか、あいつ。待遇も恵まれてるくせに…』


「ですよー。監督を見習ってほしいです、ね?カナくん」


「あはは。監督、いいですか?」


『お、おう。何かいい案あったか』


「メインFCのほうは弄れませんが…杵築さんのチームは、メインからの移籍もあって、余裕が出来ます。ケガ人もメインにはいませんが、杵築さんのほうにはいます。そろそろ復帰する選手も」


『なるほど、杵築から取り返せばいいんだな、わかった。それ以外にあるか?』


「しばらく、練習場に顔を出します。そこで細かい調整をやりますので」


『…大丈夫か?』


「なんでわたしを見るんですか、監督」


大丈夫ですよ。

こっちはこっちで頑張りますから。

カナくんも、がんばってね!

サムズアップしておこう。


「ありがとね、栞ちゃん。よしよし」


『栞ちゃん…俺にも激励』


「おつかれさまでしたー」


さ、通話を切って。

今後の話し合いしよ、カナくん。

なでなでを存分に楽しんでからね!



お風呂のお湯を溜めながら。

カナくんの背中をゴシゴシする。

至福だ。

いまが至福のとき。


「温泉の水質が安定するまで時間がかかるからね。いいんじゃない?」


「うん、どっちも、入れてみて…やっぱ、温泉旅館、だから」


カナくんの裸が目の前にある。

正直とても、興奮する。

でもバレたらダメ。

また追い出されちゃうから。


「たしかに、クラファンでも温泉アピールしたいよね。あと旅館の名前、どうするの?栞ちゃん」


「…それ。どうしよう、カナくん」


手を止める。

それ。

旅館の名前。


オーナーから言われた。

法人にするのと一緒に。

旅館の名前は、変更しなさいって。

理由はよくわからない。


「とりあえず、湯船に入ろうか。お湯、溜まったし」


「はーい」


泡を洗い流し、湯船につかる。

カナくんはタオル1枚で。

わたしは中学の水着だ。


なぜ今でも着れてしまうのか。

この理由もよくわからない。

考えないことに、した。


「ぼくは元の名前も好きだけどね」


「やっぱなにかあるのかな?」


「うーん、どうかなぁ…」


背中を預けて入ってるから。

カナくんの顔は見えない。

けど、これはわかってる声色だ。


ただわたしも必死。

カナくんを全身で感じるのに。

神経をー集中ー!


「ふぅ…」


「…」


頭を後ろにそらして。

カナくんにもたれかかる。

うー。

最高だ。

今が最高…


「うー…」


ずっとこうしてたい。

でも…

カナくんは、明日のための準備がある。


わたしも…

クラファンを進めないと…


「栞ちゃん、寝そうなら上がろうか」


「うー…もうちょっとー…」


「温泉、入れるようになったら、久しぶりに一緒に入る?」


「…えっ、うん!はいるはいる!いいの?」


えっへへー。

いつ以来だろう、一緒に入るの。

あの頃は、ずっと一緒に入ってた、気がする。


「まぁ、どっちにしても勝手に入ってくるだろうし、いいかなって」


「え、えへへ…?」


まぁ、そうなんですけどね?

ずっとくっつき回って。

温泉にも必ずついてってた。

うーん。

カナくんと温泉、楽しみだなー。

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