第33話 いまが至福のとき
最近の杵築さん。
カナくんのこと頼りすぎじゃない?
お兄ちゃんがルンルンで出てってから。
1時間ぐらいグチグチしてるし…
でも、わたしは大らかだから。
ちゃんと待った。
通話が切れるのを待って。
さっそく言う。
「カナくん、オーナーに言ったほうがいいんじゃない?」
「あはは。助言が貰えるかは聞いてみるけど、さすがに告げ口とかはね…」
「もー…あんま優しくしなくていいんだからね?」
カナくんが認められるのは嬉しいけど。
こき使うのは…
ちょっと違くないでしょうか。
連絡の回数もすっごく多いし。
オーナーからも、連絡はたくさんくる。
くるけど、それって心配されてる感あって。
杵築さんは逆に、心配して感ある。
いい大人なのに。
まったく。
連絡してこない監督代理を見習ってほしい。
「レオのためになるから、多少はね。そういえば栞ちゃん、さっきスマホで何やってたの?」
「えーっと…さっきは、なにしてたっけ?」
えー…?
杵築さんの話しが長くて、忘れちゃった。
「あはは、お茶入れてくるね。ぼくもちょっと疲れたし」
「はーい」
☆
『…栞ちゃん、なんで怒ってるんだ?』
「さぁ…で、どうかされたんですか、監督代理」
『いや、日を改めるか?カナタくん』
「えっと?」
だいじょうぶ、カナくん。
そんなに気をつかわなくても。
わたし、おおらか。
「怒ってない、です。お話しどうぞー」
『き、杵築だな?最近、録画が多いと思ったが…すまんな、言っておくから。機嫌を直してくれ、栞ちゃん。ほら、声も大きくないだろ?な?』
「だからー別に怒ってませんって。でもそうですね、静かなのはイイと思いますよ、監督代理」
ちょっとタイミングよくないだけ。
最近のカナくんずっと忙しそうだから。
心配なだけ、だから。
いいんだよ、べつに、わたしは。
くっついていられれば。
それで幸せだから。
ねー、カナくん。
「あはは、くすぐったいよ栞ちゃん」
『…まったくあいつは。手早く済ますからちょっと待っててくれ。まず春の人事の件だ』
「早いですね、杵築さんは知らなかったようですが」
『緊急の件だからな。療養されていたJ3の監督が引退される。俺の代理も外れることになった』
「それは…おめでとうございます?」
監督代理から監督に逆戻り。
でもステップアップだし。
いいことなのかな?
名前は…思い出せないけど。
いいか。
監督って呼べば。
『ありがとう。それでだな、カナタくんのおかげで選手のスタッツが底上げされて、だいぶ杵築に持ってかれた。知ってるか?』
「はい。J2をJ1にするのに、必要だったとも聞いてます」
『そうだ。で、J3選手の人数が、非常に心もとないことになった。現状、13名しかいない』
あ、思い出した。
文化祭の動画だ。
ユリちゃんから送られてきた。
わたしみたいのがいた!って。
なんか興奮してたやつ。
後で、見てみよう。
「それは…ケガが心配ですね。対策は?」
『スカウトも頑張ってくれてはいるが…4軍がなくなってしまったからな。早期の補充が見込めない状況だ。何か案でもあれば、と思ったんだが』
「…ちょっと待ってください。タブレットを見返します」
それとやっぱり。
カナくんは、こうして忙しいし。
旅館は、もうちょっと自分で頑張って。
カナくんに負担を掛けないように、しよ。
しばらくサッカーに集中してもらって…
うん。
きっと今は、そのほうがいい。
『栞ちゃん、すまんな。ほんと、切羽詰まっててな?』
「大変なのはわかってますから大丈夫です。でも、杵築さんにはしーっかり言っておいてくださいね。さすがに1日おきにグチグチされるのはちょっと…」
『そんなにひどいのか、あいつ。待遇も恵まれてるくせに…』
「ですよー。監督を見習ってほしいです、ね?カナくん」
「あはは。監督、いいですか?」
『お、おう。何かいい案あったか』
「メインFCのほうは弄れませんが…杵築さんのチームは、メインからの移籍もあって、余裕が出来ます。ケガ人もメインにはいませんが、杵築さんのほうにはいます。そろそろ復帰する選手も」
『なるほど、杵築から取り返せばいいんだな、わかった。それ以外にあるか?』
「しばらく、練習場に顔を出します。そこで細かい調整をやりますので」
『…大丈夫か?』
「なんでわたしを見るんですか、監督」
大丈夫ですよ。
こっちはこっちで頑張りますから。
カナくんも、がんばってね!
サムズアップしておこう。
「ありがとね、栞ちゃん。よしよし」
『栞ちゃん…俺にも激励』
「おつかれさまでしたー」
さ、通話を切って。
今後の話し合いしよ、カナくん。
なでなでを存分に楽しんでからね!
☆
お風呂のお湯を溜めながら。
カナくんの背中をゴシゴシする。
至福だ。
いまが至福のとき。
「温泉の水質が安定するまで時間がかかるからね。いいんじゃない?」
「うん、どっちも、入れてみて…やっぱ、温泉旅館、だから」
カナくんの裸が目の前にある。
正直とても、興奮する。
でもバレたらダメ。
また追い出されちゃうから。
「たしかに、クラファンでも温泉アピールしたいよね。あと旅館の名前、どうするの?栞ちゃん」
「…それ。どうしよう、カナくん」
手を止める。
それ。
旅館の名前。
オーナーから言われた。
法人にするのと一緒に。
旅館の名前は、変更しなさいって。
理由はよくわからない。
「とりあえず、湯船に入ろうか。お湯、溜まったし」
「はーい」
泡を洗い流し、湯船につかる。
カナくんはタオル1枚で。
わたしは中学の水着だ。
なぜ今でも着れてしまうのか。
この理由もよくわからない。
考えないことに、した。
「ぼくは元の名前も好きだけどね」
「やっぱなにかあるのかな?」
「うーん、どうかなぁ…」
背中を預けて入ってるから。
カナくんの顔は見えない。
けど、これはわかってる声色だ。
ただわたしも必死。
カナくんを全身で感じるのに。
神経をー集中ー!
「ふぅ…」
「…」
頭を後ろにそらして。
カナくんにもたれかかる。
うー。
最高だ。
今が最高…
「うー…」
ずっとこうしてたい。
でも…
カナくんは、明日のための準備がある。
わたしも…
クラファンを進めないと…
「栞ちゃん、寝そうなら上がろうか」
「うー…もうちょっとー…」
「温泉、入れるようになったら、久しぶりに一緒に入る?」
「…えっ、うん!はいるはいる!いいの?」
えっへへー。
いつ以来だろう、一緒に入るの。
あの頃は、ずっと一緒に入ってた、気がする。
「まぁ、どっちにしても勝手に入ってくるだろうし、いいかなって」
「え、えへへ…?」
まぁ、そうなんですけどね?
ずっとくっつき回って。
温泉にも必ずついてってた。
うーん。
カナくんと温泉、楽しみだなー。
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