第26話 つよくいきて
翌日の朝。
ぼくと栞ちゃんは。
J1スタジアムへ向かっていた。
「カナくんとお出かけ!嬉しいなー」
「日中から一緒なのも、久しぶりな気がするね」
「うん!」
ぼくの腕を取って。
跳ねるみたいに歩いている。
このルンルンな感じからして。
たぶん、栞ちゃんは知らない。
昨日の会議アプリ。
録画がオン、だったなんて。
あのアプリは通常でオンだ。
仕事用だから。
そこに気づかないの。
さすが栞ちゃん、なんだけど。
うーん…
話すべきか、どうするべきか…
「どうしたの?考えごと?」
のぞきこんでくる栞ちゃんがかわいい…
遅かれ早かれな気はするんだけどね。
あまりに嬉しそうで言いづらいな。
☆
何度か電車を乗り継いで、1時間ちょっと。
栞ちゃんはずっと上機嫌だった。
駅から下りれば、すぐにスタジアムだ。
まだ言えてないんだけど、どうしよう。
それにしても、にぎわってるなぁ…
「すっごい人…今日って試合とかある日なの?」
「うん、佐藤さんもベンチ入ってるって。チケットも2人分もらえるみたいだよ」
正確には関係者席、と言われてるけど。
どういった席かは知らない。
「へー…お兄ちゃんもいつか、ここでプレイするのかなぁ…」
「どうかな?杵築さんの話しだと、ワンチャンいきなり海外、なんてのもあるかもしれないよ」
「ええ!海外!?えー…お兄ちゃんが海外とか、想像つかないなー…」
「あはは、ぼくもだよ。とりあえず、そろそろ入ろうか」
「はーい!」
スタッフ用通路からパスを提示して入って。
とりあえず、荷物を預けて…と。
まずは、メディカルさんのところかな。
☆
「ここでお待ちください。今、呼んできますので」
「「…」」
出ていくメディカルさんを無言で見送る。
通された関係者席とやらは…
宙に、浮いていた。
「か、カナくん、これたぶん、VIP席ってやつだよね?」
「…たしかに、すごい豪華だね。トップのスタジアムにはこんなのもあるのか…」
フィールドを見下ろす形で。
上空から観戦できるイメージの一室だ。
足元以外は全面ガラス張りになっている。
開放感がえぐい…
「浮いてるって思うと、なんかソワソワしてきた…」
「栞ちゃん、高いとこ苦手だっけ?」
「んー…考えたことなかったけど。苦手なのかも…ひー…ぞわぞわするぅー」
「あら、じゃあ場所、変えましょうか?打ち合わせしたら、そのまま試合を見てもらおうかと考えていたのだけれど…」
「ひぅ!」
突然の声に。
栞ちゃんがビックリして飛び上がる。
ムリもない。
話しかけてきたのが、着ぐるみだったから。
でもなんか…どこかで見たような?
☆
「私がオーナーよ。お久しぶり、カナタくん、栞さん」
首を取って現れたのは初老の女性だ。
下は、そのままなのだろうか。
…お久しぶり?
「お会い…したことありましたか?…すいません、記憶になくて」
栞ちゃんを見る。
記憶を探っている顔だ。
首がけっこう曲がってるし。
会ったこと、あるのかな?
「ええ、以前ね。さっそくなのだけれど…カナタくんには、J1のスタッフとして働いてもらいたいと思っています。その話しから、いいかしら?」
「え?ええと…ご存じかわかりませんが、将来はこちらの栞ちゃんと旅館を経営する予定で。なにかの定職につく予定も…申し訳ないのですが」
「もちろん存じているわ。でも、そうね…このままではクラファンはいつまでも成功しないでしょうし…運営資金をレオくんにだけ頼る、というのもリスキーな話しじゃない?」
なぜそこまで存じているのだろうか…
オーナー権限でタブレット見放題、とか?
「ああっ!おっ、思い出した!着物のおばさん!着物のおばさんだ!」
「あら、よく覚えていたわね。こんなに小っちゃいころだったのに。やるわねぇ、栞さん」
オーナーをおばさん呼ばわりとは恐れ入る…
その手が示すサイズは。
着ぐるみのせいでわかりづらいな…
うーん、小学生くらい?
「き、着物が珍しくて。それにすっごくキレイだったから…」
「ふふふ、ありがとう。あなたもキレイになったわ。恋する乙女なのは…昔も今も変わらないみたいだけれど。まさか、旅館をほっぽりだしてまで、カナタくんを追ってくるなんて…情熱的でステキよねぇ…」
「え、えと…?は、はい…?」
栞ちゃんはわかってなさそうだけど。
…これは、確定だ。
タブレットは見られてるし。
昨日の会議の録画も見られてる。
そうだね…
ここはせめて、ぼくの手で介錯しよう。
栞ちゃん、つよくいきて。
「栞ちゃん、実はね…」
☆
「栞さん、大丈夫かしら…」
「はい、いつものことですので、じきに立ち直ります。それで、えっと…?」
ショックで机につっぷしてしまったけど。
栞ちゃんを置いて話しを進める。
どこまで話したんだっけ?
…なにも進んでない気もするな。
「ええ、旅館の件はこちらも理解しているから…悪いようにはしないわ。とりあえずは、1年の雇用契約ね。それを、信用の担保にする…J1でもカナタくんが辣腕を振るえるようにする、条件だとでも思って?」
着ぐるみから出てくる契約書。
一言いれて、読み進める。
考えてみれば、当然かもしれない。
ぼくは資格もなにもない一般人だし…
それに1年なら、ちょうどいい。
「わかりました、お受けいたします。でもこれ、金額が…」
「ああ、ごめんなさいね。それが引き出せる額の限度みたいなのよ。メディカルたちも頑張ってくれたみたいなのだけれど…なにぶん、実績の期間も短いし、まだ若いでしょう?それがマイナスに響いたのね、きっと」
「い、いえ…え?これで?」
1年で、500万となっている。
レオの年収より高いんだけど…
しかも、成果や月々払いではなく。
契約時一括だ。
「今後、必要になるでしょうから…先払いだけはお願いしたのよ。1年のトレーナー契約、うちの食の総括をお願いする責任は大きいけれど、期待に応えてくれると嬉しいわ」
…レオがいずれJ1にあがるときには。
介入できる立場に、とは思っていた。
それにしたって。
ずいぶん、早いけど。
「はい、期待に応えられるよう、がんばります」
「じゃあ、これがJ1のタブレットね。正式に依頼するわ。カナタくん、J1の面倒もみてちょうだいね」
着ぐるみから出てくるタブレット。
かばんの代わりも兼ねてるのだろうか。
だいぶ違和感あるんですけど。
受け取って、あれ…
すでにロックが外れている。
画面が、目に入る。
「…え?旅館フォルダ?」
なぜ、ここに。
『栞の温泉旅館』は異物感がすごく、目立つ。
というか見た目は、ぼくが改修したそのものだ。
J1他、数個のアプリ、あるいはフォルダが。
追加されてるだけ…のような?
「今後は全てをまとめて扱うことにしたのよ。上下する選手をいちいち追いかけるのも手間だし…そのほうが、カナタくんの管理も楽でしょう?」
「ええ…たしかに楽ですが。よろしいのですか?そこまでしていただいて…」
「そこまでする価値がある、という結論になりました。そのタブレットは、権限もだいぶ上の方になるかしら…後で内容は確認してちょうだい。もちろん、他のスタッフに見せてはダメよ?…栞さん以外にはね」
「わかりました、気を付けます」
栞ちゃんはオッケーなのか…?
ほんとに気を付けないとな…
「本来なら、正式に専属スタッフになって欲しいところだけれど…こればかりは、仕方ないわね」
オーナーの視線の先。
栞ちゃんは、つっぷしたままだ。
ピクリとも動かない。
ぼくも違う意味でソワソワしてきた。
まさか…寝てないよね?
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