第9話 ただいま

栞ちゃんちの旅館は、温泉旅館だ。

1階は帳場、調理場、宴会場、家族風呂。

2階は全て客室で、堂々10部屋もある。

そして、外の離れに露店大浴場。


栞ちゃんの両親が存命のとき。

ぼくは調理場で料理を教わっていた。

小学生の時から、ずっと。


栞ちゃんもよく遊びに来ては。

ぼくと一緒に料理をしたり、イタズラしたり。

温泉に入ったりなんかもして。

ぼくらの思い出は、だいたいがここにある。


今日は、栞ちゃんも久しぶりに行く。

つもりだったんだけど。

その一歩が、なかなか踏み出せないでいた。



「さすがにこのままのペースだと、日が暮れちゃうね」


背後からぼくの腰にしがみつく栞ちゃん。

ズリズリと引きずって歩いてみてるけど。

さすがに進みが遅い。


そもそも、まだ土手の上だ。

みんなからも見られてる。

何をやってるんだ?という目で。


「う…うう…カナくん、足が…動かなくて…」


「じゃぁ、せめておんぶでいこうか。それならもっと早く着くし」


「この歳でオンブは…ちょっと、恥ずかしくない?カナくん…」


「腰にしがみつきながら移動する方が、外聞は悪いと思うよ」


「うー…そうかなぁ…」


そう言ってしゃがめば、素直に背に乗ってくる。


「なんか、こういうのも懐かしいね。昔はよくオンブしてたし」


「お兄ちゃんが体力バカだからでしょー…わたしたちどっちも歩けなくなって」


体力マックスのときでも。

オンブは、せがまれてたけどね。

なかったことになってるみたいだ。


「そうだったかな。さ、行こうか」


「うん、しゅっぱつー」


ちょっと元気になった栞ちゃんを載せて。

いざ、旅館へしゅっぱつだ。



「外観はまぁ、荒れ放題なんだけど」


「うわー…草っていうか、ジャングルになってる…」


旅館入り口で栞ちゃんを降ろす。

見ての通り、ジャングルだ。


「どうせ業者に頼むことになるから、いいかなって」


「見る影もないよ。これはちょっとどうにしかしたい、かも」


「冬になれば葉も落ち着くから、そしたらやろうか」


「うん、お願いしたい!あっ、一緒にやるからね!」


「そうだね。じゃぁ、中へどうぞ」


「…」


やっぱり一歩が出ない栞ちゃんを追い抜く。

先に入り口を開けて。

両手を広げて迎える。


「ほら、おかえり」


「…ただいま」


「ようやく帰ってきたって感じ、しない?」


「カナくんがいるから、する!」


「それはちょっとかわいそうじゃない?」


さすがにご両親も泣いてしまいそうだ。


「ほんとうにキレイだね…あのときのまま!」


「ようやくぼくの努力を見せるときがきた。今までだれも訪れなかったから」


「うーえらい、えらいねカナくん。ずっと。ありがとね!」


胸にぐりぐりされるの。

くすぐったかわいい。


「内装はキレイに保ててるけど、消耗品とか寝具とかは処分しちゃったから」


「ほんとはそういうの、お兄ちゃんの役目なのに…」


「レオはサッカーだけだからね」


そう言って2人で苦笑する。

すでに経験のあったぼくが。

あのとき、いろいろな手続きをした。

といっても、実際にやったのは。

ぼくもお世話になった弁護士さんだけど。


そのときからだ。

サッカーのことだけ考えて。

と、レオに言ってから。

ほんとにサッカー以外は丸投げされている。


「お仕事の服とか、浴衣とかは?処分しちゃったの?」


「仲居の長永さんが引き取ってくれてるよ。保管してあるか、何かに使われてるかは知らないけど」


「そうなんだ!残ってるといいなー今度、聞いてみていい?」


「番号のメモはあるから、あとで渡すね」


「うん!」


楽し気に館内を見て回る栞ちゃん。

もう、大丈夫かな。

けっこう心配だったけど。

栞ちゃんは、もう大丈夫そうだ。



内覧会を終えて帰ってきた。

今後は一緒に清掃を手伝ってくれるらしい。


ぼくもとしても。

栞ちゃんとの時間が増えるのは嬉しい。

でも、女将としての勉強も頑張らないとね。

と言ったら、さっそく勉強を始めた。

ぼくの部屋で。


『なんだ?家でも一緒の部屋にいるのか!ラブラブだな、栞ちゃん!』


「だから監督、そういうのセクハラです。やめてください」


支給された端末が震えて。

出てみたらビデオ通話だった。

開口一番なじられてる、監督からの。


『…カナタくん、最近のコはそんなに厳しいのか?』


「さぁ…ぼくにはわかりかねます」


半分くらいは冗談に聞こえるけど。

栞ちゃんのそれは、ちょっと本気っぽさもある。


『はぁ…共有に動画を入れといた。ちょっと先に見てほしいものがあってな』


「えーっと…栞ちゃん、悪いけど」


「どれですか?監督」


タブレットは栞ちゃんが持っている。

というか、使っていた。

申し訳ないけど、借りよう。


『タイトルが16ってやつだ。開いてみてくれ』


テーブルに、タブレットと監督をセットして。

栞ちゃんがその動画を開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る