第9話 ただいま
栞ちゃんちの旅館は、温泉旅館だ。
1階は帳場、調理場、宴会場、家族風呂。
2階は全て客室で、堂々10部屋もある。
そして、外の離れに露店大浴場。
栞ちゃんの両親が存命のとき。
ぼくは調理場で料理を教わっていた。
小学生の時から、ずっと。
栞ちゃんもよく遊びに来ては。
ぼくと一緒に料理をしたり、イタズラしたり。
温泉に入ったりなんかもして。
ぼくらの思い出は、だいたいがここにある。
今日は、栞ちゃんも久しぶりに行く。
つもりだったんだけど。
その一歩が、なかなか踏み出せないでいた。
☆
「さすがにこのままのペースだと、日が暮れちゃうね」
背後からぼくの腰にしがみつく栞ちゃん。
ズリズリと引きずって歩いてみてるけど。
さすがに進みが遅い。
そもそも、まだ土手の上だ。
みんなからも見られてる。
何をやってるんだ?という目で。
「う…うう…カナくん、足が…動かなくて…」
「じゃぁ、せめておんぶでいこうか。それならもっと早く着くし」
「この歳でオンブは…ちょっと、恥ずかしくない?カナくん…」
「腰にしがみつきながら移動する方が、外聞は悪いと思うよ」
「うー…そうかなぁ…」
そう言ってしゃがめば、素直に背に乗ってくる。
「なんか、こういうのも懐かしいね。昔はよくオンブしてたし」
「お兄ちゃんが体力バカだからでしょー…わたしたちどっちも歩けなくなって」
体力マックスのときでも。
オンブは、せがまれてたけどね。
なかったことになってるみたいだ。
「そうだったかな。さ、行こうか」
「うん、しゅっぱつー」
ちょっと元気になった栞ちゃんを載せて。
いざ、旅館へしゅっぱつだ。
☆
「外観はまぁ、荒れ放題なんだけど」
「うわー…草っていうか、ジャングルになってる…」
旅館入り口で栞ちゃんを降ろす。
見ての通り、ジャングルだ。
「どうせ業者に頼むことになるから、いいかなって」
「見る影もないよ。これはちょっとどうにしかしたい、かも」
「冬になれば葉も落ち着くから、そしたらやろうか」
「うん、お願いしたい!あっ、一緒にやるからね!」
「そうだね。じゃぁ、中へどうぞ」
「…」
やっぱり一歩が出ない栞ちゃんを追い抜く。
先に入り口を開けて。
両手を広げて迎える。
「ほら、おかえり」
「…ただいま」
「ようやく帰ってきたって感じ、しない?」
「カナくんがいるから、する!」
「それはちょっとかわいそうじゃない?」
さすがにご両親も泣いてしまいそうだ。
「ほんとうにキレイだね…あのときのまま!」
「ようやくぼくの努力を見せるときがきた。今までだれも訪れなかったから」
「うーえらい、えらいねカナくん。ずっと。ありがとね!」
胸にぐりぐりされるの。
くすぐったかわいい。
「内装はキレイに保ててるけど、消耗品とか寝具とかは処分しちゃったから」
「ほんとはそういうの、お兄ちゃんの役目なのに…」
「レオはサッカーだけだからね」
そう言って2人で苦笑する。
すでに経験のあったぼくが。
あのとき、いろいろな手続きをした。
といっても、実際にやったのは。
ぼくもお世話になった弁護士さんだけど。
そのときからだ。
サッカーのことだけ考えて。
と、レオに言ってから。
ほんとにサッカー以外は丸投げされている。
「お仕事の服とか、浴衣とかは?処分しちゃったの?」
「仲居の長永さんが引き取ってくれてるよ。保管してあるか、何かに使われてるかは知らないけど」
「そうなんだ!残ってるといいなー今度、聞いてみていい?」
「番号のメモはあるから、あとで渡すね」
「うん!」
楽し気に館内を見て回る栞ちゃん。
もう、大丈夫かな。
けっこう心配だったけど。
栞ちゃんは、もう大丈夫そうだ。
☆
内覧会を終えて帰ってきた。
今後は一緒に清掃を手伝ってくれるらしい。
ぼくもとしても。
栞ちゃんとの時間が増えるのは嬉しい。
でも、女将としての勉強も頑張らないとね。
と言ったら、さっそく勉強を始めた。
ぼくの部屋で。
『なんだ?家でも一緒の部屋にいるのか!ラブラブだな、栞ちゃん!』
「だから監督、そういうのセクハラです。やめてください」
支給された端末が震えて。
出てみたらビデオ通話だった。
開口一番なじられてる、監督からの。
『…カナタくん、最近のコはそんなに厳しいのか?』
「さぁ…ぼくにはわかりかねます」
半分くらいは冗談に聞こえるけど。
栞ちゃんのそれは、ちょっと本気っぽさもある。
『はぁ…共有に動画を入れといた。ちょっと先に見てほしいものがあってな』
「えーっと…栞ちゃん、悪いけど」
「どれですか?監督」
タブレットは栞ちゃんが持っている。
というか、使っていた。
申し訳ないけど、借りよう。
『タイトルが16ってやつだ。開いてみてくれ』
テーブルに、タブレットと監督をセットして。
栞ちゃんがその動画を開いた。
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