第11話 あの日の思い出

 私は、最低限の荷物を持って、剣持君の家で同棲を始めた。


 それから毎日、久美ちゃんの迎えで保育園に通う。

 彼と私の間には、何も無かったが、お風呂は何回か3人一緒に入った。

 剣持君も私も慣れてきてしまっている。


「まるで、パパとママと歩いてるみたい」


 ある日、保育園に久美ちゃんを迎えに行った帰り、久美ちゃんを真ん中に3人で歩いていた時に彼女が笑顔で言った。


 私と剣持君は、顔を見合わせた。

 苦笑いする彼。

 私は、久美ちゃんに笑顔を向ける。


「よーし、うちの子になっちゃうか」


 私は、しゃがんで久美ちゃんを抱きしめて言った。


「えー、どうしようかな?」


 久美ちゃんは、困ったように笑う。




 剣持君は忙しい人だったので、3人一緒に帰れる日は少ない。

 ほとんどは、私一人で久美ちゃんを迎えに行き、彼女と一緒に寝る。


 たまに休みが取れると、私達は3人一緒に遊園地や動物園、久美ちゃんが喜ぶところに色々と出掛けた。

 久美ちゃんが中心で、私達の仲が進展する事は無かった。 

 しかし、そんな毎日に私は満足している。




 ある日の夜、私は久美ちゃんを寝かしつけてから、彼女のご飯を作り置きしていた。

 料理は苦手なのだが、久美ちゃんの好きなものは大体作れるようになってきている。


「よーし、いっちょやるか!」


 久美ちゃんの分を作り終えた後、マイバッグから追加の材料を取り出す。

 忙しい剣持君に、たまには元気の出るものを作ってやろうと思ったのだ。


 簡単で、スタミナのつく料理を手早く作る。

 出来たのは、ニラとウナギの炒め物だ。


 直人が元気が無い時に何度か作って女子力を見せていた料理。

 これを食べたら、夜の仲良しでも元気満々になる。


「いやいやいや、そういうのないから」


 私は、自分にツッコミを入れる。


『仕事お疲れ様、元気出してね』


 と、メモを残す。




 朝、起きると、もう剣持君は出社していた。

 テーブルの上には、彼からのメモが置いてある。


『ありがとう、これで君の料理を食べたのは2回目だね』


 メモには、そう書いてあった。

 それを見て、私は昔の彼の事をやっと一つ思い出していた。




 短大時代、4年制大学からサークルに来ていた剣持君も含めて飲み会が行われた。


「和美ちゃん、こいつ連れて帰ってよ。下宿が君の家の近くでさ」


 同じく4年制から来ている男子の先輩から、酔いつぶれた剣持君を送るように頼まれた。


「えー、嫌ですよ。私、こいつに告白されて断ったんです。危なくないですか?」


 私は、露骨に嫌な顔をした。

 既に直人と付き合っていた私は、他の男の誘いを全て断っていた。

 その中でも、いきなり好きと子供みたいな告白をしてきたのが剣持君だった。

 当然、答えはノー。


 こいつ何も分かっていない。

 そんな告白、相手と仲良くなって付き合ってると同然になってからしかしない。

 いきなり言って、フラれるのは子供のうちだけだ。


 彼氏持ちの私は、こんな奴と関わり合いになりたくなかった。


「そこを何とか頼むよ」


 先輩に頼み込まれた私は、仕方なく二人で店を出た。

 今から考えると、同じ4年制の先輩が剣持君を恋愛アシストしたのかもしれない。


 街中からバスに乗り、私達は住宅街にやってきた。

 ふらふら歩く剣持君の横を、仕方なくついていく。


「ちょっと、危ないわよ!」


 車道に近づいていく彼を、引っ張る。


「うわっ!」


「ガツン!!」


 その勢いで、彼は私の前に倒れ込む。

 思った以上に、ふらふらな状態だったのだ。


 彼は、側溝の鉄製の蓋に右肘をぶつけた。

 肘から血が流れる。


「ふっ…」


 少し息を吐くと、彼は青ざめて倒れ込んだまま動かなくなる。


「ちょっと、大丈夫!?」


 私は、倒れた彼を揺さぶった。

 しかし、まともな反応が無い。


「ちょっと!もやしすぎるでしょ!」


 私は、ひ弱すぎる剣持君に腹を立てた。


 周囲を見廻したが、タクシーが来るような気配は無い。


「仕方ないなぁ!!」


 私は、彼を背中におんぶする。

 そこそこ体力には自信があった。

 もやしの様にガリガリの剣持君を、背負うくらい簡単だった。


「ほらっ!早く家の場所を言いなさい!」


 私は、怒りながら言った。


 彼の住んでいたアパートに着くと、中に放り込んで立ち去る。




 次の日の朝、私は、彼のアパートの部屋のインターホンを鳴らした。


「はい…」


 申し訳なさそうに、彼が出てくる。


「ほらっ、これお詫び。私のせいで怪我したからさ。言っとくけど、私には彼氏がいるんだからね。他の人に、こんな事をするなんて特別なのよ」


 私は、手作りの弁当を、彼に押し付ける。

 お見舞いを買う予算も勿体ないと思った私は、家にある残り物を適当に詰めた弁当を押し付けたのだ。

 特別という言葉で、それを誤魔化した。


「…」


 剣持君は、きょとんとした顔で私を見たまま黙っている。


「何よ!一人じゃ食べられないとでも!?」


 私は、剣持君の肘の怪我を見た。

 あまり大した事は、なさそうだ。


「いや、それは大丈夫だけど…ありがとう」


 彼は、少し間を置いて、そう言った。


「入れ物は返さなくていいから!」


 私は、そう言い捨てると、さっさと帰った。

 そして、そんな事は、すぐに忘れてしまった。




「そんな事あったなあ」


 私は、当時の事を思い出していた。

 あれは家にあったものを詰めただけで、私が作ったものは何も入っていなかった。

 でも、こんな可愛い子に貰ったら、記憶に残るわ。

 いい思い出貰って感謝してよね。


 当時の私の人気を思い出して、少しニヤついた。

 あの頃は、何をしてあげても男子達に感謝されたものだ。

 サークルで一番イケメンで人気のあった直人と付き合って、私は幸せな毎日を過ごしていた。


 それが、モテない30代婚活女子になってしまうとは思ってもいなかった。

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