第2話

 病院で横たわる息子の姿は小さかった。それもそのはず、本来はあるはずの両の足が切り取られていたのである。


「一命は取りとめました。お子さんは運が良かった」


 医者がそう言って立ち去った。聞くところによると、小さなビルの上から飛び降りたらしい。高さが足りず、それと植え込みに偶然足から落ちて、足だけが犠牲になったという。

 妻は姿を一目見て、見ていられないといい病室から出ていった。親としてどうなのだと掴みかかりそうになったけれど──俺も俺で、ヒロキの惨状に目を向けることが難しかった。俺は寝ているヒロキの傍に座り、手に触れる。 手は暖かく、まだ生きていることをしっかりと俺に伝えてくれていた。

 俺は仕事しか、多分やってこなかったと思う。俺は自分の仏像を掘る仕事を悪くないと思っているし、なんなら、数十年やってきて、俺はこの仕事が好きだったんだなとわかりつつある。

 しかし、映画のようなというか、格好つけたことをした記憶は無い。話しかけた──と胸を張って言える程でも無い。独り立ちする前までは喧嘩ばかりしていたような気がする。絵で食っていくなんていうのは、馬鹿のやることだと言った記憶がある。俺みたいに「何かを作っていくもの」としてやっていくのは、正直苦しいことしかない。自分の力を研鑽していって、言い訳がつかなくなっていく人生の在り方を生きるのは才能でしかない。息子にはそれが無かったのだろう。俺に似て、手先が器用だったから勘違いしてしまったのか。そう思うと、遺伝というものは身を助けるわけでもないのだなと思った。


「ヒロキ……」


 俺は、お前に何をしてきたんだろうな。窓にもたれかかって外を見る。雪で染まった町は妙に明るく、目に痛かった。


   □


 ふわり、自由落下。景色が上に吹き飛んでいく。数秒に満たない時間がゆっくりと過ぎていって、徐々に地面が近づいていく。

 僕が飛び降りるのを決意したのは、思えば、大したことないヤケだった。30になって、僕は絵描きとして目が出なかったのである。死んでから芽吹いても意味は無いし、30という年齢が、やり直しの限界点ということもわかっていたから、思わずやったのである。

 人が死ぬということは、たいていの場合普遍的なことで悩んで死ぬのだけれどそれは本人にとって特別なことで──一般的な絵描きが誰しも通る道を悲観的に感じたから、僕はそうやってみせるのである。


 地面が近づいて、死ぬのだなという確信があった。間際にふと、記憶がよみがえった。それは、黙々と仏像を掘り続ける父親の姿だった。

 春。木の塊が送られてきて、それは僕の身の丈ほどあった。次の日、親父は紙を片手に唸って、小さな木造を何個か作っていた。数日たったか。気がつくと大雑把に人型になっていて、幼い僕にもそれが仏だとわかった。

 木の葉が何度か落ちて裸になって、木造は出来上がった。父親は上機嫌で、今日は外食にでも行くかと言って、僕に寿司を食べさせてくれた。初めて食べた美味い魚に僕は舌鼓を打った。

 僕はその日の夜中にそっと、白い布がかけられているそれをめくって、中身を見た。四角いだけだったはずの木が、仏という形を持って、そこにあった。


「……おい」

「ひゃっ──」


 振り向くと、親父が後ろから覗いていて、僕は飛び跳ねた。


「……どうだ」

「……多分、綺麗だと思う」

  

 浅い語彙しか僕にはなくって、そういう言いかたになってしまった。


「そうか。早く寝なヒロキ。明日も学校だろ」

「うん、そうする」


 父親は部屋から出ていって、寝室に上がっていった。僕はもう一度、仏像と向き合う。窓から差し込む月光が、仏をうっすらと濡らしていて艶やかだった。動き出しそうだとか、そういうことは思わなかった。ただ、口を開かない木彫りが、何かをこう、滲みだしているのだけがわかって。その静謐が妙に暖かかった。

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