第7話 追憶・Ⅵ
俺は環を、行きつけの喫茶店に案内した。
白い壁の、瀟洒な建物。
からんからん
ドアベルが雰囲気のある音をたてる。
俺たちは、店の奥の窓際の席に、向かい合って座った。
窓際には、去年のクリスマスの名残かポインセチアの鉢が、場違いな赤と緑の葉を申し訳なさそうに広げている。
店はなかなかしゃれた作りになっていて、高い天井には天窓がついている。
「吹き抜けって、いいねぇ」
俺が天井を見上げながらそう云うと、環はうなずいた。
「そういう家って、憧れやったなぁ…」
俺は、環の笑顔を見ているだけで嬉しい気分になった。
環はなにやら、バッグの中をごそごそと探っている。
「?」
「はい、これ!」
手渡されたのは、小さな包み。
見ると、チョコレートが入っている。
「1日遅れだけど…」
「…あ」
「バレンタインのチョコ。男の人にあげるの初めてなんだ。お父さんとかお兄ちゃんにならあげるんやけど…」
それから環は、中学時代のバレンタインのことを話し出した。
なぜか逆に、男子からチョコを渡されたこと。
それじゃ変だから、と突っ返してしまって、とてもつらい思いをしたこと。
心につっかえていた堰が切れたかのように、彼女は心の内を語った。
俺はただ、うなずきながら聞いていた。
俺の心の中に、環のつらかった思いが流れ込んできた。
彼女は優しすぎる。だから、自分を傷つけてきたんだ、そう感じた。
…会話が、途切れた。
環がそわそわしている。
「ぁ…のぅ…」
「ん?」
「…どぉして、手紙くれたの?」
「…!」
「…そりゃ…ずっと、好きやったから」
何という月並みな言葉だったのだろう。
だが残念なことに、俺はこれ以外に、自分の伝えたい内容を表現する言葉を持ち合わせていなかった。
「…そっかぁ…そう、だよね…」
環は、自分に何か云い聞かせるような、そんなひとりごとを云った。
「だから、つきあって、くれないかな?」
「……。」
「…どう、かな?」
「…ぅん。今日も、楽しかったし…」
「!いいの!?」
「うん!」
この瞬間、この日は俺にとって、人生最高の日となった。
ずっと夢見ていた彼氏・彼女の関係。
それが、現実のものになるとは…。
「すごいね。あたしは、今までそんなに誰かを好きになったこと、ないから…」
「あたしは、いつも待ってる方だな…」
環は、そう云って俺の顔をまっすぐ見つめた。
俺たちは、次に逢う日をもうすぐやってくる環の誕生日に決めると、店をあとにした。
こころは、とってもあったかかった。
3月上旬。
俺と環は、再び逢った。
今にもみぞれが落ちてきそうな空模様の、寒い日だった。
それでも環は、家の前でこの前と同じように俺を待っていた。
「こんな寒い日に…家ン中おってよ!」
「ううん。いいの!」
気丈にそう答えると、小柄な身体をサイドシートに滑り込ませる環。
「降ってきそうやなぁ…」
怪しい空模様にそう云うと、彼女も無言でうなずいた。
そのうち、俺の「天気予報」は現実のものになった。
雨と雪の入り交じったみぞれがフロントガラスを打つ。
結局、車から降りることができないままに午前中はロングドライブで過ごすことに。
ファミリーレストランの駐車場にスカGを滑り込ませる。
クルマのエンジンを止めシートベルトを外す。
「あのね、これ…」
そう云いつつ、環はおずおずと包みを差し出した。
「もう、過ぎちゃったけど、誕生日のプレゼント」
そうだった。俺の誕生日は、この間過ぎたばかりだっけ。
環とはちょうど、10日違いになる。わずかとはいえ、俺の方がほんの少しだけ、お兄さんなのだった。
それにしても、この年になると、自分の誕生日なんていいかげんなものだ。
もっとも、俺の家では誕生日を祝う慣習そのものがなかったから、それも仕方がないことなのかもしれない。
俺は、苦笑しながら包みを受け取ると、代わりに後部座席に置いてあった四角い包みを渡した。
「はい。誕生日、おめでと」
3年前に買ったプレゼント。
俺の元で、環の元へ行く日を3年間も待ち続けた「猫」。
やっと、本当の主人のところへ行った。
「…彼女によろしく!」
髭の店長の歯を見せた笑顔が浮かんだ。
あの時は、本当に渡せるなんて思ってただろうか。
俺と環は、店の中に入った。
カジュアルなファミレスのはずなのに、いやに格式張った執事か家令のような店員が禁煙席へと案内してくれる。
席に着くと、案内してきた店員は俺たちにメニューをうやうやしく渡し、深々と頭を下げた。
俺たち2人は、慌てて頭を下げ返す。
店員が行ってしまうと、顔を見合わせてくす、と笑った。
「なんかさぁ…イヤに丁寧やったね。今の人」
環は、俺がメニューを決めるのを待って同じものを希望した。
和風ステーキセット。
「これ以上上はなさそうやね」
俺がそう云うと、前回の塩ラーメン唐揚げセットと比べたのか、環はまた、くす、と笑った。
「そだね」
食事をしながら、俺たちは話した。
環は映画を見たい、と云った。
「あのね、アニメなんだけど、『フランダースの犬』って、やってるでしょ?」
映画。
そう云えば、環を映画に誘って断られたんだった。
環は、そのこともとても気に病んでいた。
「傷つけた、って思ってた…」
俺は、傷つきはしなかった、と答えた。
そして、今日は時間を調べてないから、今度見に行こうと云った。
環は、大きくうなずいた。
俺たちは、デパートをウィンド・ショッピングすることにした。
”ハッピー・ホワイトデー”という雰囲気の売場がいくつもある。
「そうそう。お返し、せんといかんね」
そう云う俺に、環はかぶりを振った。
「?」
その時は、ただ遠慮してるんだと思ってた。
俺は、心の奥が感じた妙な胸騒ぎを否定した。
何か、声が聞こえたような気がした。
でも、俺はその声に耳を傾けなかった。
耳を、背けていた。
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