第6話 追憶・Ⅴ
環からの返事は、意外なほど早く着いた。
普通、年賀状の配達は元旦の次は3日と相場が決まっている。
2日は、郵便局の配達業務が休みだからだ。
だが、3日に着く分というのは、大概12月の27日以降に出された、元旦の配達に乗り遅れた分であり、元旦の返事が3日に着いた試しは、俺が知る限りなかった。
これを成し遂げるには、年賀状を読んで早々、元旦の内には返事を書き、集配局に持ち込み投函するという早業が必要となるだろう。
だらけるのがデフォルトの正月早々に、そんな機動力溢れるマニューバを可能とするような、意欲的かつアグレッシブな知り合いは過去、俺にはいなかった。
俺は、環の対応の早さに脱帽した。
そしてそれ以上に、返事の内容には驚きと、湧き上がる喜びとを隠せなかった。
「…もしよかったら、今度、1度会って話をしましょう…」
俺は、環が心から喜んでいることを文面から感じ取った。
明るい希望と期待をもって、前進しようとする力強さを。
それが、何よりも嬉しかった。
俺は、すぐ返事の手紙を書いた。
電話は、もう懲りていた。
また環を緊張させて、傷つけるのは絶対いやだった。
俺たちは、何回か手紙のやりとりをした。
環は、仕事のことなんかを明るい文面で伝えてきた。
紙で手を切ってしまって痛かったことをコミカルに伝える彼女の文は、俺を安心させた。
季節は冬。
北陸の冬は寒い。
大学付近の道路にも、雪がたんまりと積もっている。
電線の上にも、綿菓子のような雪が乗っかっている。
まっ白な空からも、綿のような牡丹雪が切れ間なく落ちてくる。
ひらひら、ひらひら、とダンスを踊りながら。
大学最寄りの電停で市電を降り、愛用のダッフルコートに首をすくめると、除雪が十分に行き届かない歩道を足早に歩いた。
風は冷たかった。
だが、こころはあったかかった。
環がいたのだから。
俺と環は、逢う約束をした。
2月15日、大学は、後期の講義を終えているはずだ。
俺は、環の自宅までクルマで迎えに行くと伝えた。
環のキッチリした性格は分かっていたので、時間ピッタリに行くからあらかじめ出て待たなくてもよいから、とも伝えておいた。
雲一つない青空。
北陸の冬には珍しい快晴の空の下、俺は愛車を走らせる。
公共交通機関が都市部のように発達していない北陸の田舎では、どこに行くにもクルマは必須。
学生である俺も、孫愛豊かなジィさんの好意とローンとを併用して、中古ながら学生には身分不相応な日産の名車、スカイラインを日常の足にしていた。
長らくぶりにGT-Rの看板を復活させたモデルの、Rではない標準グレード。
ターボ仕様で後輪駆動の白い2ドア・クーペモデル。
子どもの頃は、ヘッドライトがひゅいーんと開く、パカ目ライト…いわゆるリトラクタブル搭載のスーパーカーチックなクルマに憧れた俺だったが、技術力で世界一を目指す日産の野心的な計画、901活動のことを知って胸熱になり、物語に惚れ込んでこのスカGクーペを手に入れたのだ。
ボンネットをGT-R純正の軽量アルミ製に換装し、同じくR用フロントバンパーとリヤスポイラーを装備した、なんちゃってGT-R仕様なのはご愛敬、である。
積雪地域である北陸では、冬季のスタッドレスタイヤ装着は必須。
例年、遅くとも12月前には、自分で換装している。
節約のためもあるが、自分の命を預けて走る愛機の状態を自分で把握しておきたいということも大きい。
今日は道路上の積雪がないとは云うものの、乾いた舗装路であってもコンパウンドが柔らかいスタッドレスタイヤでは、後輪駆動である愛車のパワーは持て余し気味になる。
5速マニュアルの操作も、左足のクラッチ操作も一呼吸置く感じ…気持ち、穏やかな運転に。
地元のハム工場とアルミ建材の大きな工場前を抜け、田園地帯の信号交差点を左折すると、環の家が見通せるあたりにさしかかる。
彼女の家の塀の前に、人影が見えた。
あれほど云ったのに、と、俺は苦笑する。
環は案の定、家の前に出て待っていた。
「あぁ。こんにちわぁ」
それが、あの電話以来初めて聞いた環の言葉だった。
環は、肩までの髪をソバージュにし、暖色系ロングスカートのワンピースに白のカーディガン、ショートブーツというお嬢様スタイルだ。
化粧はしているようで、趣味のよい香水の穏やかな香りがする。
ルージュはつけていない。どことなく少女っぽさを感じるのは、そのためだろうか。
可愛い。
「すごいクルマ…」
車内をキョロキョロしつつ感心する彼女に、クルマはジィさんがお金を払ってくれた、なんてことを説明する。
行き先は特に考えていたわけではないから、と云いつつ、俺はクルマを金沢市街地へと向けた。
「手紙くれたこと、嬉しかった」
そう云う環の表情は、運転している俺からは見えなかったが、鈴音のような声は本当に嬉しそうだった。
「中学校の宿泊学習以来だねぇ」
兼六園へ行こうか?と聞いた俺に、環は弾んだ声でそう答え、首肯した。
俺も、心なしか嬉しくなる。
金沢は、加賀百万石の城下町だ。
市街地の中央、小立野台地の北端に外様大名前田家の居城であった金沢城が位置し、その城に寄り添うようにして兼六園がある。
兼六園はもともと、城の外郭として城域内にあったものだという。
今ではその外側を取り巻くように、元々堀割だった部分に道路が走っている。
金沢地裁の前から国立金沢病院へと続く長い坂道。
「兼六坂」と名付けられたこの坂道の下に、立体駐車場があった。
俺たちは、クルマを立体駐車場の2階に停めた。
クルマを降り駐車場を出ると、歩行者用信号で少し待ってから渡り、兼六坂を2人で肩を並べて歩いた。
通りから右に折れると、ほどなく小さな受付がある。
この小さな受付「上坂口」で2人分の入場券を買った。
俺が2枚まとめて買って、環の分を渡す。
環は慌てて財布を開けると、病院の診察券やビデオレンタルの会員カードの向こうから小銭を取り出し、俺にくれた。
気ィ、遣ってるよな。そう感じる。
受付からの細い参道を抜けると、視界が開け、大きな池と名所”ことじ灯籠”が見えた。
団体旅行の一団が記念撮影をしている。
じゃまにならないように、と俺たちは脇から通り抜けようとした。
「あの、すみません」
呼び止められたのは環。
おばさんが数人、手にはコンパクトカメラ。
カメラを渡された環は、訴えるような目で俺を見る。
俺は、苦笑しながらカメラを受け取ると、写真館の店主よろしく威勢良く声をかけ、何枚か撮影する。
おばさんのお礼の声を聞きながら愛想笑いを振りまき、俺たちはそそくさとその場を離れた。
俺と環は、園内の中心部から少し離れた築山”山崎山”に上ると、休憩用の東屋に入り、いろいろなことを話した。
大学の集中講義の先生が面白かったこと。
彼女の短大時代の卒論について。
ゼミの先生や、先輩とのこと―
2人だけで話していると、時のたつのも忘れそうだった。
お昼は、なんとなくラーメンを食べることにした。
どんなモンだろうとは思ったが、何が食べたい、と聞くと環が、何でも食べるよ、と答えたからだ。
俺たちは国道を北上し、映画館のある大型総合スーパーのはす向かいに見つけた、地元でソウルフードと云われるチェーン店のラーメン屋駐車場にクルマを滑り込ませた。
2人で一つのメニューをのぞき込む。顔が近い。
「じゃ、塩ラーメンを」
「あ。じゃあたしも」
俺は唐揚げも追加注文した。
ラーメンは思ったより量が多く、2人とも満腹になってしまった。
残った唐揚げを見つめ、顔を見合わせて参っていると、みかねた店員さんがパックしてくれると云う。
お礼を云って店をあとにした。
まだ、肝心なことは云ってなかった。
環もそのことは思っているらしく、少し落ち着かない。
「コーヒーでも飲もっか」
そう誘うと、すぐにうなずいた。
いよいよ、だ。
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