第5話 追憶・Ⅳ

 浪人することを決めた俺は、予備校に通うことになった。


 家計のことを考えて独学でやると家族に話したところ、母親が反対したからだ。

 1年もかけて、また落ちられたらたまらない。やるなら最高の環境で、というのが彼女の理論だった。

 俺は、この不器用な親心を、ありがたく頂戴することにしたのだ。


 俺の生活パターンは、高校時代から相変わらずだった。

 世の中とは6時間ずれた日常。

 家にいながら、まるで一人暮らしのような面も往々にしてあった。

 家族はお互い干渉せず。さりとて遠慮もせず。

 気は楽だった。


 そうこうしていても、俺を動かしているのはやはり、環への思いだった。


 俺が高校卒業ということは、当然環もそうだということ。

 しかし俺は、環の4月からの動向をつかんでいなかったし、別段知りたいとも思わなかった。


 否、知りたいと思わなかった、と云えば嘘になるのだろう。


 ただ、それを知ったところで、まずは俺自身が自分に納得できていなければ、そもそもアプローチすることすらできない。

 現状を変える条件は、揃っていない。

 だから、現時点で焦って知ったとしても未来の選択肢には変化はなく、仕方がない―


 理詰めでそう考え、当面の目標である受験勉強に集中しようとしていたことが大きいのだろう。

 つくづく、感情の制御に長けているものだと我ながらあきれるばかりではある。

 ともあれ、彼女がどこで何をしているのか全く分からなかったが、不思議と心は安定していた。



 成績は、予備校でもヒトケタ台にまでなった。

 模試では、難関私大さえAランクの合格予想をはじき出した。


 俺は、予備校への置き土産にと、北陸で地方受験が可能だった私大を受験した。

 関西大手のD大、R大にはあっさり合格した。


 しかし、第1志望の国立大には、また合格することができなかった。


 少数枠にたまたま受験者数が多く、競争倍率があり得ないほど跳ね上がった結果だ、と云えば聞こえはよいのかもしれないが、運も実力のうち。

 落ちた事実がある以上、自分自身に対する言い訳にはならなかった。


 納得できる自分になること、それが目標だった1年。

 その目標は、まだ遙か彼方にあった。

 しかし、家族の気持ちや経済状態を考えると、これ以上浪人することはできなかった。



 俺は、第2志望で受けた国立大学の教育学部に入学した。


 大学での生活は楽しかった。

 俺は、男女問わず友達をつくった。

 しかし恋人は、環以外必要なかった。



 その年の冬。

 俺は成人の節目を迎えた。


 日本全国どこの地域でもおこなわれる成人式は、たいていが市町村の主催である。

 その多くは地元の来賓列席の上、かつての恩師を招待するなどして、大きなホールで盛大に開催される。

 この「公式」の場では、華やかな晴れ着を着た女子がやはり主役である。


 みんなよく見ると面影があるのだが、化粧をして髪も飾っているため、初見では誰だかわからないことも少なくない。

 成人式会場においては、どれだけ個性的な振り袖であっても、個人にフォーカスせずに見る景色としては「完全に迷彩服」なのである。


 それに比べ、男子は化粧もせず比較的印象が変わらないためか、向こうからは見つけやすいのだろう。何人か、同級生の晴れ着女子から呼び止められて社交的な挨拶を交わすことになった。

 じゃあまた、と別れるたび、広い会場で環の姿を探してみたが、残念ながら俺には、都市迷彩に紛れる環を見つけることはできなかった。


 密かに意気消沈していた俺だったが、その後、同じ中学出身者のみの二次会が有志により催され、そこでようやく環との再会を果たすことができた。


 カラオケハウスでの、二次会。

 環は、友達何人かとともにあとから合流してきた。

 晴れ着を洋服に着替えた女子たちの輪の中に、環の姿があった。

 うっすらと口紅をさし、大人っぽくなった環。

 私服の彼女を見たのは、初めてで新鮮だった。

 幼さを残した表情のなかには、ドキッとするほどの色っぽさがあった。


 環は、俺と目を合わせようとはしなかった。

 あの電話以来、言葉を交わしていない俺たち。

 俺は、不安を振り払うようにマイクをとった。


 俺は、得意の歌唱で場を盛り上げた。

 拍手をして盛り上がる仲間の輪の中で、だが環だけはずっと、俺に半身のままだった。

 時々モニタに流れる歌詞を眺め、そしてまたうつむきしながら。


 True Heart 伝えられない  True Heart 分かって

 True Heart 見えないものを True Heart 見つめて―

                ~君がいるだけで 米米CLUB~


 うつむく環は、何を思っていたのだろうか。


 言葉を交わすことなく、2人は別れた。



 俺は、環に思いを伝える必要性を改めて感じた。

 うつむいたまま、何か思い詰めていた環。


 ”ワタシハ ヒトヲ スキニハ ナレナインダ…”


 ”ワタシニハ ヒトヲ スキニナルコトハ ユルサレナインダ…”


 …!


 動こう。

 彼女の心を救えるのは、俺しかいない。

 責任を、果たそう。



 北陸の寒い冬はやがて、雪解けの春を迎え、蒸し暑い夏になり、また秋が来た。

俺はずっと、思いを伝えるいちばんよい方法は何か、模索し続けた。

 そして、出した答えが「年賀状」による第1撃だった。

 この方法なら、環を不必要に緊張させず、さらに十分な心の準備期間を与えられるはずだ。


 俺は、年賀状で告白をほのめかすことにした。


 「昨年は、久々に逢えて嬉しかったです…今まで云えなかったことを伝えたいと思います。その時は、トドメをさしてやってください…」


 1月3日、環からの返事が届いた。


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