第3話 追憶・Ⅱ

 環は地元の高校へ進学した。


 そこは、ウチの中学から進学する連中もかなり多いガッコだ。

 女子連中は相当な人数が、そこが近いという理由で親に希望されて進学する。

 田舎ではいまだにそうかもしれないが、当時は女子の進学については男子に比べて軽く考えている親が多かったのだ。

 環の進学理由も、まあそんなところだったのだろう。

 もっとも、環の場合、親が希望する以前に気を遣っていたとも考えられるが。


 俺は、というと、環に影響されて勉強したおかげで、少し離れたそれなりの進学校へ通えることになった。

 勉強の甲斐あり、一時期は県下有数の進学校まで確実視されるほどになっていた俺。

 しかし、俺の目的は当然、そんなところにはなかった。

 それに、進学したあとの日々を考えると、素性が勉強嫌いでぐうたらなためイヤになり、進路希望では適当にお茶を濁し続けたのだ。

 勿論、あわよくば環と同じ高校へ行きたかった俺としては、環がそういう学校へ行かないという確信もあったからそうしたのだが。

 だが、俺の努力もむなしく、環と俺は離ればなれになった。



 環のいないガッコは退屈だった。

 生活に、中学時代のような「張り」がなかった。

 環がいなくても、恥ずかしくない自分でいよう、とカラ元気で意気込んでは見た。

 だが、入学時に上位ヒトケタにいた俺の成績は、あっという間に中間以下にまで落ち込んだ。

 情けなくはあったが、環なしに自分を維持できるほど、俺は鍛えられてはいなかった。


 すでに環とは、1年近く顔を合わせてはいなかった。


 そんな日のことだ。

 俺は、何気なく本屋に入り、日課の立ち読みをしていた。

 俺の立ち読みパターンはだいたい決まっている。

 自動車雑誌のコーナーに始まり、コンピュータ、歴史、カメラ、音楽、ファッション、占いと一通りの雑誌を読みこなす。

 我ながら、活字中毒もここまでくれば大したものだと感心させられる。

 さらに、漫画、小説などを読むのがいつものパターンだ。


 この日は雑誌めぐりを終え、漫画の世界に没頭していた。

 ふと意識が引き戻され、顔を上げると、店の自動ドアのところに見慣れた人影が見えた。


 どきん。


 心臓が大きな音を立てた。

 肩までとどいたストレート・ボブの髪型。

 I高校のブレザーに包まれた、小柄な身体。

 それは、紛れもなく環だった。

 

 数分間の遭遇。

 2人の他には誰もいないような、不思議な感覚。

 時間が停止したかのようなモノトーンの背景のなかに、彼女だけが生き生きとした自然色で存在していた。


 少女漫画コーナーに見入っていた環は、俺に気づかなかったのか、言葉を交わすこともなく店を出ていってしまった。


 その日の夕方、俺は初めて、環に電話をかけた。

 なぜだか俺は、もの凄くテンションが上がっていたのだ。


 プッシュホンで環の家の番号を押し、固唾を呑む。数回のコールの後、他の誰でもない環が電話に出た。聞き慣れた、鈴音のような声が響いたのですぐに分かった。

 俺は、間違いなく環であることを確認し、自分が何者であるかを名乗ってから用件を切り出した。 

 「…あ。明日、暇かなァ…」

 「…え?あ、うん…」

 「映画でも…行かんかな、って思って…」

 「あ…あしたは…ちょっと…」

 

 ま、そうだろな。いくら何でも急すぎる、か。

 

 「あ、そうやよねぇ。じゃまた」

 その時は、そんなものだろうと思いながら受話器を置いた。


 しかし、すぐに俺は猛烈な後悔に襲われた。

 環がもの凄く傷つきやすいということを、俺は忘れていたのだ。

 忘れていた中学時代のこと。

 自分が人を傷つけたと思って、先回りして傷ついてしまう彼女。

 俺は、そこまで考えていただろうか。


 俺は、浅はかな自分に落ち込んだ。



 俺はバイトを始めた。

 勿論、進学校であるウチのガッコがそれを認めるはずはなかったから、極秘裏に、だ。

 毎年学年末に1回、学校側が希望者を募って行う短期留学、それが俺のねらいだった。

 外国の文化に触れ、大きくなって戻ってこよう―

 俺は、具体的なカタチで自分に納得し、安心したかったのだ。

 親に頼み込むためには資金が必要だ。

 俺は、バイトをして資金を貯めようと考えたのだ。


 しかし、選考の結果は俺にとって意外なものだった。

 俺が留学することは、できなかった。


 ショックだった。

 自分がどれほど落ちぶれたのか、いやがうえにも認識せざるを得なかった。

 だが一方で、情けないすがたを環に見せなくてよかったことを安堵していたことも事実だ。


 それだけに、環が彼女の学校で俺と同じように短期留学を希望し、実現させていた事実は俺をゆさぶった。

 その事実を知ったのは高校3年生の4月、周囲が受験へ向け、動き出していたときだった。



 俺は、自分を鍛え直すことを決意した。

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