第2話 追憶・Ⅰ
環(たまき)は、俺の中学時代の同級生だ。
仲間受けがよく、勉強もまじめにこなすしっかり者。
身体は小さいのに運動神経はよく、リレーなんかでは必ず選手に選ばれていた。
性格はといえば、ひかえめでおっとりした天然純粋系の子ではあったが、それが魅力となって敵を作ることもなく、その独特の雰囲気に惹かれる男はそれなりにいた。
俺は、そんな環に興味がなかった。
今にして思えば、無意識的に興味がないふりをしていたのかもしれないが。
ともかく、環は俺にとって、自分とはかけ離れた「優等生」だった。
そんな環と俺が出逢ったのは、中学1年の時だ。
もっとも、俺が通っていた中学は田舎のガッコで、小学校のメンバーがそのまま中学で顔を合わせることになる。
1学年100人に満たない生徒数だから、当然お互いの存在は前から知っていた。
とは云うものの接点はなく、同じクラスになったのも小学校2年の時以来だった。
「図書委員っちゃさ~、本借りたいとき借りれっし便利やよなぁ」
そう云ったのは小学校以来の悪友Mだった。
ヤツと俺は、当時の担任教師をかなり悩ませた、ある意味最強コンビだった。
俺は、あぁ。確かにな。と、軽い気持ちでこの言葉を聞き流した。
しかし、Mのこの一言がきっかけとなり、俺はがらにもなく図書委員に立候補した。
そしてその相棒となったのが、環だったのである。
俺のクラスでは、同じ委員同士は同じ学習班となることになっていた。
俺と環は、常に近くの席に座ることになった。
ボブヘアーの黒髪を片手でおさえ、環はいつも真剣にノートをとっていた。
環は努力家だった。
一見、難なくこなしているように見えることの全てが、彼女のけなげな努力によるものであることを俺はこの時知った。
「努力とは才能なり」と云ったのは誰だったか、ともかく環は、この言葉を地でいく努力家だったのだ。
俺はと云えば、遊んでばかりで、大した努力などしたこともなかった。
何でもする前からあきらめ、遊びに逃げていたとも云えるかもしれない。
俺は、この相棒を尊敬した。
そしてその感情はやがて、淡い恋心へと変わっていった。
俺は変わった。
努力すれば、環に近づけるような気がしたからだ。
俺の成績は、中の下から、2年の時にはヒトケタ台にまで達した。
生徒会役員にも立候補した。
急に変わった俺に対し、冷やかしの声もなかったわけではない。
だが、そんなことはどうでもよかった。
俺は、速急に変わる必要があった。
少なくとも、環と「出逢って」からは、今までの自分に納得がいかなくなっていた。
1日も早く、納得できる自分になりたかった。
ある初夏の朝、気まぐれで早く学校に着いた。
誰もいない教室はがらんとしていて、閉め切った窓のせいで妙に蒸している。
7時30分…太陽はすでに高く昇っているらしく、窓からは熱気のこもった光が射し込んでいる。
俺は、たまらず窓を開ける。
朝の冷たい空気が頬をなでていく。
「あ。」
小さな声に振り向くと、環が立っていた。
「…おはよ…。誰もおらんと思っとったから…」
次の日から、俺は毎朝始業30分前には学校に着いていた。
別段、大した話をしたわけではないが、俺はこの時間が好きだった。
時間と空間を2人だけで共有しているような、そんな感じが。
3年になり、クラス替えで俺と環は別々になった。
学級というヤツは何とはなしに閉鎖的で、隣が何をしているのかよく分からない面がある。
自分のがんばりを見せづらくなったな、俺はそう思った。
そう思って初めて、自分のがんばりが自分を納得させるためだけでなく、環に認めてもらいたい気持ちの現れであることにも気づかされた。
バレンタインデーのころだった。
環が誰かにチョコを渡しただのなんだのという噂が立った。
俺と環は、そういう関係ではなかったから、噂の主は勿論俺ではなかった。
俺は、環が誰かに自分から告白するようなタイプではないことを知っていた。
だから、そのことについては全く気にもならなかった。
だが、噂が立ったことが環を傷つけていることを感じ、胸が痛かった。
人気のある環には、以前にも似たような噂があり、そのことは相当気に病んでいる様子だったからである。
顔では笑っていたが相当つらい思いをしているように俺には思えた。
おそらく真相は、噂の相手の方から告白したか何かだろう。
そして、そういう関係にはオクテの環のことだから、驚いてひどく拒絶してしまい、そういう自分をひどい女だ、とか思ってるんだろう。
俺は、環を守ってやりたいと思った。
それまでは尊敬の対象であり、揺るぎない存在だった環が、この時等身大の女の子になった。
小さくて、傷つきやすいひとりの女の子に。
そして、俺たちは中学を卒業した。
俺と環は、別々の高校へ通うことになった。
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