そのときの光景

フィンディル

そのときの光景

 勇者達は魔王を討伐した。世界は救われた。長い闇は明ける。

 しかし極北の城に他に人はいない。世界に報せる最後の責務が残っている。討伐の達成に喜び弾けることなく南下した。

 その道、小さな山村を訪れた。勇者達は旅の途上、魔物の襲撃からこの村を守ったことがある。魔王討伐の報せが届けられた村は、すぐに祭りを始めた。疲れきった村だとしても、今日この日は祭りに染まろう。日が沈めば、夜闇を吹き飛ばすように村中に明かりが灯り、歌が響く。広場は村人達であふれている。

 広場に面する宿屋、その二階。勇者パーティの魔法使いが窓から人々を見下ろしている。部屋のライトは消されているが、外の明かりが差しこむ。

 魔王討伐を報せたとき、村人達は言葉を失い、泣き、しばらくの後に笑顔を見せた。以降はずっとこの調子だ。これが世界を救った光景。あれが魔王を討った光景。魔法使いは眼を動かさない。

 もちろん、祭りの主役として参加するよう請われた。しかし魔法使いが祭りの誘いを断ると、村人達は英雄の意を尊重して宿屋を提供した。村にひとつの宿屋。この宿屋には以前にも泊まったことがある。部屋は一室しかない。

 扉が開く。

「何だ、お前意外と風呂が短いんだな」

 濡れ髪を拭きながら勇者が入ってくる。「久しぶりに風呂に入ったのにもったいないぜ」重戦士も一緒だ。

 僧侶はまだ入浴中のようだ。念入りに洗わないとダメですよとみんなに言っていたしな、と勇者が笑う。

「ん。ベッドは四つか。仲間を三人にしておいて正解だった」

「もう一人いたら、俺が床に寝させられる羽目になってたな」

「何でわかるんだ」「お前は重戦士だから頑丈とかどうせ言いだすだろ」「何でわかるんだ」

 鬼勇者とこぼし、重戦士が装備の手入れを始める。勇者は髪を拭きつづけている。

「……でさ、仲間にしようぜって話」

 返事はないが、重戦士はかまわず続ける。

「相当強かったろ」

「何だ、やっぱり床で寝たいのか」「これ真面目な提案」「ん。アンって女の子な、格闘だったか。だが、ただの村人だろ? 勇者の旅だぞ」「んなの、いざとなったら俺達が守ればいいだろ。本人も満更じゃなかったしよ。なあ、明日の朝この部屋に呼んで勧誘しようぜ。格闘家だから前衛が厚くなる」「んー」「お前も見たろ?」

 魔法使いは眼を動かさない。

「あいつ、今日の魔物襲撃で大活躍だったじゃねぇか」

 魔法使いの視界から勇者と重戦士が消え去った。誰もいない。手入れ途中の装備もない。村が生む明かりと歌が、魔法使いの五感にちらつく。

 魔王城での戦いのすえ、魔王は討伐され、勇者パーティはほぼ全滅した。魔法使いのみが生き残った。

 魔法使いは一人で魔王城を去り、一人で雪原を越え、一人で荒野を越え、この山村に辿り着いた。そして最期の責務として、魔王討伐を報せた。

 部屋に設えられたベッドは四つ。魔法使いの荷物はあの日と同じベッドに置かれている。窓から遠く、景色が見えないと文句を垂れたベッド。荷物のなかに食糧はない。

 暗い部屋を歩く。一歩ずつ夜が濃くなる。傷んだ床の木目が流れていく。魔法使いは扉の前に立つ。来訪者がいる。

 コンコン。

「スピカ様……」

 扉を開ける。

 アンだった。

 暗がりでもわかる、赤くした目に、涙の跡。人目を盗んできたのだろう、髪を下ろした寝巻き姿。魔法使いは眼を動かす。アンが俯く。あの日、勇者達はアンをパーティに加えなかった。

「スピカ様、こんなことになるなんて」

 敷居を挟んで二人が立つ。廊下は村明かりのみで保たれている。もう階段から長湯の僧侶が来ることはない。しかし今、アンが来ている。あの朝、呼ばなかったアンが。彼女の口から声が落ちる。それは、魔法使いを気遣い拭ってきた涙に代わり、暗い床の木目に染みこんだ。

「私は皆さんに、スピカ様に本当に感謝しています。今も、もちろんあのときも」

 魔法使いが眼を閉じる。

 山村、襲撃、残すは首魁のオーガー。巨大な体躯と戦い慣れていない面々が攻めあぐねるなか、アンが飛びだした。「私がやられる隙に、集中攻撃を!」オーガーの剛腕がアンを狙い、間一髪、魔法使いの貫通魔法が先んじて魔物の心臓を貫いた。

「私はこの村で待っていましたが、気持ちは皆さんの仲間のつもりです」

「仲間にするの、自分は反対」「おいなんでだよー、前衛が厚くなるのは魔法使い的にはありがてぇだろ普通はよー」「見たでしょ? アンはあの場面で一人飛びだした。危険」「だからそれは俺達が守れば」「この先の旅は甘くない! この旅は世界を救う旅で、仲間を守る旅ではない! 仲間なら守る意味を考えないと! そんなんじゃパーティはいつか……全滅する」「ぐっ、いつもこいつは」「ん。確かにそのとおりだ。勇者の旅だ。で、お前はそうやって今回もあの子を守ろうとしているんだな」「……それは詭弁だって」

「思ってしまうんです。私も仲間として一緒に行っていれば何か変えられたんじゃないか、って」

 魔王城、雪荒ぶ最上階。勇者と重戦士が圧力をかけ、僧侶が防護魔法で前衛を守る。魔王には魔法攻撃が有効でないため、魔法使いは補助と戦況把握を兼ねて僧侶の後方に立っていた。戦いは続き、魔王は虫の息。もうすぐ旅が終わる。前衛が一斉に攻撃、得物が魔王の頭を潰す。そのとき、振りかえった僧侶が「ダメですよ!」魔法使いを後方へ突き飛ばした。倒れながら魔法使いは、パーティが巨大な闇のドームに呑まれるのを目にした。魔王の自爆。あとには魔法使い一人きり。雪荒び、旅は終わった。

「もし皆さんを守れたのであれば、私の命なんて」

 魔法使いの眼が開く。「仲間なら」言いかけて、止まる。声を受けて上げたアンの顔が、ほのかな明かりに照らされる。

「そうか、自分は……」

 魔法使いの眼から涙が落ちる。

 世界は救われた。村人達は蝋燭を手にして祈りを捧げる。英雄への鎮魂歌が紡がれる。だが、夜はまだ長い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そのときの光景 フィンディル @phindill

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説

呼吸の肩。

★39 SF 完結済 1話