秋の惑い 4
わたしとソフィは、先代魔女が魔獣を封印したという場所を聞き出して、訪れていた。
わたしたちの家があるのとは別の方向の、更に森の奥。
森の中で不自然に開けた空間に、砕けた水晶片が散乱している。
「おそらく、水晶柱を鏡に見立てた鏡面結界ですね。経年で水晶が劣化して、結界が綻びたのでしょう」
わたしは拾い上げた水晶片をソフィに見せながら言う。
合わせ鏡によって無限の空間を疑似的に作り封印する結界術。固定の場所に追い込まなければいけない手間がかかるけど、結界としては強力だし、一度封印していまえば維持が容易なのは利点だ。そして、この結界の最大の特徴は、結界に魔力障壁を用いていないと言うところでしょう。
水晶片に混じって、人の肉片が食い散らかされていた。まだ腐敗もしていない、生々しい血と肉と骨。
食い散らかしたと言っても、魔獣は食事を必要としない。文字通り、食いちぎって、散らかしただけの状態。
自警団の若者マイロが言っていた、サイラスと言う人なのだろう。
これを普通は、怖いとか気持ち悪いとか、あるいは悲しいとか思うのだろうか。何も感じるものがないわたしは、結局どこか壊れたままなのかもしれない。
周囲を警戒しながら調べているソフィも、気にしている様子はないけど、騎士という軍人でもあったソフィは死体に慣れているだけだと思う。
「ソフィ、どう思いますか」
「スペクルフ、じゃないかしら」
「やはり、そうですか。厄介ですね」
ソフィとわたしの予想が一致した。
スペクルフは狼を原型とする大型魔獣ながら、二種牙類ではなく、二種特類に分類されている。
危険度は場合によっては一種にも勝る。
場合によってはと言うのが、そのままこの魔獣が特類である理由だ。
この魔獣には魔力による干渉がほとんど通じない。
毛に纏う特殊な魔力波長が魔力を拡散させてしまうからだ。魔術であれば術式が生み出した現象までは拡散されないのでやりようもあるけど、純粋な魔力そのものを使う法術士には天敵と言える。
だから、先代のモルガナは直接的な結界ではなく、水晶柱の内部に鏡面結界を用いて二次的な封印をしたのでしょう。
逆に内魔力しか使わない騎士などにとっては、ただの大型魔獣と変わらない。むしろ、その波長のせいで自身も魔力運用できないから、特殊な能力を他に持たない分だけ与し易いとさえ言える。
とは言え、大型の魔獣と言うだけで、村の一つや二つは滅ぼす脅威になる。
「テレサ、一度家に帰りましょう。貴女は家にいて」
一瞬、何を言われたか分からなかった。
「…どうしてですか」
「結界もすり抜けるのだから、危険でしょう」
当たり前だとでも言いたげな口調に、苛立つ。
大事にしてくれているのは分かるけど、過保護すぎて子ども扱いされているようだ。
「ソフィの宝具も同じです。天の羽衣の加護ですら、どの程度効果があるか分かりません」
「そうね」
「そうね、って何ですか?」
わたしが溢れそうな感情を抑えて言うと、ソフィが目を丸くした。
「え、なにか怒っている?」
本気で驚いたように聞き返してくることが、本当に腹が立つ。
「大型魔獣は騎士小隊で当たるのが適当とされているのでしょう。宝具の力を制限されたソフィでは危険なのではないですか」
「そうね。だけども、危険のない戦いなんてないのよ」
「でしたら、わたしを連れていけばいいでしょう。怪我をしても死なない限り、必ずわたしが治します。絶対に死なせません」
形のいい眉を寄せて、困ったようにわたしを見てくる。
わたしがわがままを言っているような態度はやめてほしい。
「貴女を危険な目に合わせるつもりはないのだけど」
「わたしの危険と、あなたの命のどちらが大事だと思っているのですか」
「貴女の危険に決まっているじゃない」
「…え?」
あまりにも自然に返されたから、頭が理解することを拒んだ。
絶句したわたしを、しばらく不思議そうに見つめて、それからソフィは得心がいったような表情を浮かべた。
「ああ、この言い方は良くないわね。別に自分の命を蔑ろにしているわけではなく、この魔獣は貴女の安全が保証できないから、危険な目に合わせたくないってことよ」
何も分かっていないじゃない。
ソフィと意見を違える時はだいたいこれだ。わたしは二人のことを話しているのに、ソフィはそうじゃない。
「ソフィ、わたしはあなたを一人で戦わせるつもりはありません」
「えぇと…困ったわね」
「それなら、引き上げましょう」
「駄目よ。この魔獣は倒しておかなければ」
「どうでもいいって言ったのはソフィじゃないですか!」
「スペクルフと分かったから。家にいても結界を抜けて、貴女が襲われる可能性がある」
あまりにも考えがわたし中心すぎる。
でも、わたしの気持ちは考慮してくれないし、それにソフィの視点には欠けているものがある。わたしにはそれが許容できない。
「ソフィ、選択肢は二つだけです。わたしと一緒に戦うか、わたしと一緒に帰るか。どちらか選んでください」
「私の気持ちは考慮してくれないの?」
どの口で、それを言うんだろう。
「話になりません。あなたがその馬鹿な考えをやめたら聞いてあげます」
「ちょっと。今朝から少し態度が目に余るわよ」
「はぁ? 目に余るって、何様ですか。ああ、お姫様でしたね」
感情的になって棘のある言い方をしてしまう。こういう時にソフィに対する甘えが出てしまう。
口論なんてしている状況ではないと言うのに。
でも、ほんとにほんとに。
腹が立つ。
「私が貴女に逆らえないからって…」
「逆らう? いつからわたしとあなたの間に上下関係ができたんですか。対等だって言ってくれたのは嘘なんですか」
「そんな揚げ足をとらないで。ねぇ、なにをそんなに怒っているの。私が悪いなら謝るから」
おろおろと戸惑って、宥めるような言い方。
可哀っぽくて胸が痛むけど、怒りがそれを上回っていた。
「分からないんですか」
ソフィは足りないわたしの言葉でも、だいたいのことは察してくれる。
でも、一つだけとても鈍くなることがある。
恋人になる前から、ずっとそうだった。
「分からないわ。貴女が大切なだけなの。心配なだけなの。それの何がいけないの」
「ソフィにとって、わたしって何なのですか」
「世界で一番大切な人よ」
その言葉がずっと嬉しかった。
でも、この人の想いは、何もかもを捧げる愛だ。
命すらも。
「…わたしは家にいて、体だけひさいでいればそれでいいんですか」
「そんな言い方やめて! 貴女のその自分を卑下するようなところは好きじゃない」
「なら、ソフィもその自分のことを顧みないのをやめてください」
言葉に詰まり、ソフィは黙り込む。
この人はいまだに、わたしに後ろめたい気持ちをどこかに残しているのだろうか。その後ろめたさから、わたしに命を捧げようとしているのだろうか。
「…自己犠牲みたいなつもりはないわ。今回のこととは関係ないでしょう」
「ソフィは、わたしを庇って死んでも、納得できてしまうんじゃないですか」
「そうせざるを得ない時にそうできたのなら、何を悔やむことがあるの」
躊躇なくそう言えてしまうことが腹立たしくて、悲しい。
「その考えが馬鹿だって言っているんです」
「テレサは、私の気持ちが迷惑になったの?」
「違う、そうじゃない。どうして。どうして死ぬときは一緒に死のうって言ってくれないんですか」
「私だってそのつもりよ。でも、私の命で貴女を守れるなら、私は迷わない」
今になってこんなことを言っている、わたしが卑怯なのだろうか。
ずっとソフィに命も、何もかもをかけさせて守られていたくせに。
目的のためなら自分の命も顧みないのは、ソフィの当たり前の考え方だ。でも、わたしは特別なのだから、その考え方の上にわたしとのことを置いてほしい。わたしと一緒に生きて、死ぬことを何よりも一番にしてほしい。
あなたがいなければ生きていけない、生きている意味がないって何度も言っているのに。それは比喩でも何でもなく、ただの事実なのに。
「ソフィ、わたしは…」
更にわたしが言い募ろうとした時だった。
突然にソフィがわたしの腕をつかんで背後に引きながら、腰の剣を抜き放った。
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