秋の惑い 3
負傷者は、村のはずれにある自警団の詰め所に収容されていた。
この村の人口は三百人程度で、その規模の村に常駐の兵士などいない。自警団にしても村の若い男が持ち回りで務めていて、専任としているのは団長だけだ。
それでも子どものころから訓練を受けている村人は、都市部の新兵よりはよほど武器の取り扱いに慣れている。
小型である三種の魔獣程度なら、よほど数で差がなければ多少の被害は出ても倒せるでしょう。
大型の魔獣である二種や、知能が高い一種は個体数が少なく、めったに姿を見せるものではない。
だけど魔王領に近く、雲竜山脈の麓にあるこの辺りなら紛れ込んでもおかしくはなかった。
むせ返るような血の匂いに満ちた詰め所に二人の若い男が寝かされている。
その二人を手当てしている若い娘は、この村でただ一人の薬師であるサラだ。
傷口や血にも怯まず、慣れた手つきで処置をしているが、一人はどう見ても薬師でどうにかなる傷ではない。
わたしは重傷な方の男の傍に屈んで、傷を確認する。
「魔女様…」
「代わります。あなたはもう一人の手当を」
言いながら、『停滞』の結界を展開する。
昔ほどではないけど、励起術式は二重で展開するようにしている。ソフィは過保護なので、わたしが不用心にしていると神経質になって鬱陶しいのだ。
腕の爪痕、肩口の噛み傷がとくに酷い。傷口の大きさから、大型の魔獣であることが分かる。
この傷でよく魔獣から逃げ切って、生還できたものだ。
わたしが治癒法術を発動する横で、軽傷な方の男にランバートが話しかけていた。
「マイロ、何があったか話せるか」
「団長…済みません。サイラスが…」
自警団は四人一組が基本と聞いている。サイラスというのは、ここにいない二人のうちの一人なのでしょう。
「そうか。…テオはどうした」
その名を出した途端、薬師の肩がかすかに震えた。
たしか猟師の家の次男で、サラとは恋仲だとミナから聞いた気がする。
「テオは俺たちを逃がすために囮になって…魔獣から逃げ切れたかどうか。サラ、済まねぇ」
サラが名前に反応したのは一瞬だけで、気丈にも無言で手当てを続けていた。
「魔獣の姿は見たか? 場所はどこだ」
「ユーリ様の封印です…大型の、狼のような魔獣でした」
ユーリと言うのは、わたしの先代の魔女モルガナの名前だ。
倒さずにわざわざ封印したということは、何かしらそうしなければいけない理由があったのでしょう。
大型。狼に似た牙類。魔女に倒せない。
心当たりはなくもないけど、これだけの情報では特定できない。
横の会話を聞きながら治療を終えたわたしは、立ち上がる。
重傷とは言え、バルジラフの時のソフィのように『停滞』でかろうじて命を繋いでいるほどではない。通常の治療法術で十分に治せる範囲だった。
「ランバート様、終わりました。もう大丈夫でしょう」
「え…」
「失われた血まで戻るわけではありませんので、しばらく安静にして栄養をとらせてください」
驚いたように傷口を確認している。
高位の法術士の治療を見たことがないのだろうか。一般の兵士ならばおかしいことではないと思う。
わたしに至っては、この村で法術を使ったことすらない。
魔女が治療法術を使えるという情報だけを知っていたのか、先代が簡単な治療法術を使うところを見たことがあるのか。
わたしは入口の脇で静かに佇むソフィの所に戻る。
微笑んで迎えてくれる、その表情をうかがう。
「どうしたの?」
その視線に気が付いたのか、ソフィが柔らかく問いかけてくる。
わたしはソフィの手を取って部屋の外に出て、扉を閉めて周囲に誰もいないことを確認する。
「ソフィはどうしたいのかな、と思って」
口にしてから、あまりにも言葉足らずだと気が付いた。ソフィが察してくれるのに甘えて、説明を端折るのはわたしの悪い癖だ。
「え、と。ソフィは、わたしたちでこの魔獣を倒した方が良いと思いますか」
「テレサはどうしたいの?」
わたしたちが、この魔獣を倒さなければいけない理由はない。
家には魔獣用の結界を張っているから、わたしたちにそんなに危険はない。
村人がわたしに魔獣討伐を依頼してくることはないでしょう。村人がどの程度、魔女のことを知っているかは分からないけど、魔女を危険に晒さないくらいの情報は共有されているのではないだろうか。
もしかして村に大きな被害が出て恨まれるかもしれないけど、言ってしまえばそれだけのことだ。
もし、ミナが死んだりしたら悲しいと思うだろうけど、それは楽しみが一つ失われて悲しいと言う心の動きだと思う。
生死そのものには、それほど関心がない。
でもソフィは優しい人だから、助けてあげたいのではないだろうか。わたしを優先すると決めているから言わないだけなのかもしれない。
いけない。また自己完結しようとしている。
と言うか、ソフィも言葉が足りない。
「質問に質問で返さないでください。わたしはどっちでもいいですけど、ソフィは助けてあげたいんじゃないですか」
「私が? どうして?」
心底、意外なことを言われたような顔をされた。
「ソフィは優しいし、困っている人を見過ごせないでしょう」
首を傾げて、わたしをじっと見てくる。
「心底、どうでもいいわ。貴女に手を差し伸べなかった人の生き死になんてどうでもいい」
ゾッとするほど冷たい声だった。
心臓を素手で撫でられたように冷や汗が出る。
「別に、この村の人がわたしに何かしたわけではないでしょう」
「そうね。だから、どうでもいい」
「ソフィは普段、村の人と仲良くしているじゃないですか」
「していないわよ」
「え…?」
「以前の貴女なら気付いたと思うけど。貴女がなるべく快適に暮らせるように、必要な関係性を築いているだけ」
あ、れ。
何か、ずれている。
わたしのなかのソフィと、目の前のソフィが一致しない。
ソフィが過去を切り捨てたのは分かっている。でもそれは、過去の関係性を切り捨てただけだと思っていた。だから、しがらみから解放されたソフィは、誰とでも上手くやれていると。だけど、これではまるで人間そのものを切り捨てているみたいだ。
「貴女が村の人たちを助けたいなら、手伝うわよ。でも、貴女が髪の毛一筋でも傷つく可能性のある天秤に、私は貴女を乗せたくないの。千人でも万人でも死ねばいいわ」
「な、んで。そんなこと言うんですか」
わたしは、わたしを一番大事にすると言うソフィの言葉の本当の意味を、初めて突きつけられた気分だった。
大事なもののなかの一番なのではなく、わたし以外に大事なものを持たないと言う意味だったのだろうか。
「なんで? なんでって何? 貴女はこの大陸のすべての命を背負わされているのよ。これ以上、何に責任を感じる必要があるの」
違う。わたしのことを話しているんじゃない。
わたしは何にも責任なんて感じない。
今の言葉のどこに、ソフィの気持ちがあるの。わたしとは関係なく、ソフィが村を助けたいか知りたいだけなのに。
わたしはソフィに、他人と深い関係性をもって欲しくない。
でも、それはソフィが他人と上手く繋がれる人だと思ったからだ。
ソフィは他人を個人として見ていないのだろうか。人間、村人、職業。そうした記号でしか見ていないのだろうか。それは、ソフィが心をくれる前の、わたしの人の見方だ。
分からない。これはソフィの本心なのだろうか。
感情が邪魔をして、ソフィの心が見えない。ソフィが言うように、以前のわたしなら分かったのだろうか。
「ソフィ…」
「なぁに?」
「わたしは、魔獣を倒したいです。あなたとの生活は、村の平穏があってのものだと思うから」
「そう。貴女がそう思うのなら、それでいいわ」
分からないのなら、守ろう。
失ってから、間違えていたなんて思いたくないから。
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