秋の惑い 2
村の婦人会は成人女性の大半が参加している寄合だという。
その分派と言うか、ミナたち一部の若い娘が勝手に名乗っているのが「ソフィア様の会」だ。
わたしはその終身名誉会長らしい。
ソフィはこの村の娘たちにとって、王都の最新文化の先導者だ。
たぶん、本人にその意識は欠片もないけど、ソフィが行商に頼んで取り寄せる美容品や服飾はたしかにこんな辺境の村の娘たちにとっては刺激的なのでしょう。
ミナはわたしから聞いたソフィの美容法や振る舞いを伝える伝道者のようになっているらしい。
わたしはただ、ソフィのことを語り合う楽しみに目覚めてしまっただけなのだけど。
当たり前だけど、本人の前でそんなこと話せるはずがない。
ソフィに隠れてミナと話すようになって、一年以上になる。
だけど、さすがに泊りとなると、ソフィに黙っているわけにはいかない。
家を出る前にソフィはしつこく用を聞いてくるし、着いて来ようとするし、すごく面倒くさかった。
ミナの家は雑貨屋で、店がそのまま家でもある。
その分、家屋部分は手狭で客間などはないけど、何年か前に嫁いだ姉と同室だったとのことで、ミナの部屋には寝台が二つあった。
いくら同じ女だとしても、女の恋人がいるのに同衾はできない。それくらいの常識はわたしにも分かる。
わたしとソフィとの関係を知っているミナだって無理でしょう。
夜遅くまで語り合っていたせいか、それともソフィがいなかったからか、部屋の扉がノックされる音でようやくわたしは目覚めた。
ソフィの枕を持ってきていなかったら、もっと寝付けなかったかもしれない。
控えめなノックの音では、ミナは起きる気配はない。ぼんやりしながら起きるけど、扉は開かない。
こんな辺境の村で、ノックした後、返事があるまで待つ人なんていないでしょう。
わたしはため息をつきながら、部屋の扉を開けた。
「おはよう、テレサ」
「おはようございます」
はたして、扉の向こうに立っていたのはソフィだった。
穏やかな笑みを浮かべているけど、これは笑っていない。
目の動きで、部屋の中を観察したのが分かった。
「珍しくお寝坊さんね。遅くまで起きていたのかしら」
「はい。少し盛り上がってしまって」
わたしが答えると、ソフィの顔が分かるくらいに引き攣った。
何だか目つきの湿度が高い。
いまにも押し倒されるのではないかと言う、そんな目つきだ。
「ふぅん」
わたしとソフィの間に沈黙が降りる。
それを破ったのは、ミナの焦った声だった。
「えっ、ソフィア様っ!?」
話し声で目が覚めたのか、慌てて髪を整えている。
「ミナさん、おはようございます」
ソフィの声は穏やかだけど、空気を変えるほどの圧を伴っていた。
魔女であるモローネすら怯えさせた圧力に、ただの村娘であるミナは呼吸すらも忘れて固まっている。
「ソフィ。怯えているから、やめてください」
「やめるって何を」
「わたしを馬鹿にしているんですか。怒っているでしょう」
「怒ってなんていないわよ? よかったわね、わたし以外にもお友だちができて」
何だろう。今日のソフィはやきもちにしても度を越している。
何にこんなに怒っているのだろう。それを理解してあげられないことに苛立ちが募る。
それに、「友だち」はソフィがくれた特別なものだ。その言葉をわたしが他の人に使うはずがないのに。
「はぁ。いやならそう言えばいいじゃないですか」
苛立ちのままに、つい憎まれ口をたたいてしまう。
ミナに近づいてその背中を撫でると、思い出したように息を吐く。ソフィの視線が余計に鋭く、刺すようになるのが分かった。
「よかったねって言っているじゃない。お泊りしちゃうくらい仲良いんだものね」
「あのですね。ミナとはそういうのではありません。変な勘繰りはやめてください」
「へぇ…」
ソフィの口角がきゅっと上がり、えも言われぬ色香を孕んだ目がミナに向けられる。
わたし以外には、絶対に向けないはずの目。
ミナが思わず唾を飲んだのが分かった。
「ミナさん。テレサとばっかり仲良くなって狡いわ。今日は私を泊めてくださらない。仲良くしましょう」
「ソフィ!」
わたし以外にその目を向けて、そんなことを言うなんて。
憎悪にも近い怒りをおぼえて、ソフィを睨みつける。許せない。わたし以外の人の体にその目を向けるなんて、絶対に許せない。
「何よ」
「ミナを巻き込まないでください」
「だって…」
じわりとソフィの眦に涙が浮かんだ。
あまりにも唐突な変化に、言葉を失う。
一瞬で怒りは消えて、戸惑いと申し訳なさが胸を支配する。わたしはこの人の涙に弱すぎる。
「こんなの浮気よ…」
「知り合いの家に泊まっただけじゃないですか」
泣かせてしまったことは申し訳ないとは思うけど、ソフィの言葉に優越感が刺激される。
この人はこんなことで泣いてしまうほど、わたしのことが好きなんだ。絶対にしないし出来ないけど、本当にわたしが浮気したらこの人はどうなってしまうんだろう、なんて妄想をしてしまう。
答えはすでに初めての口づけのときに聞いているけど。
あれは脅しでもなんでもなく、本気だったと断言できる。
真っすぐにわたしを見たまま涙をためるソフィに近づいて、目元に袖を当てる。
「私たちは女同士なのよ。他の
「それは…」
それはさすがに何か違うのではないかと思わないでもない。
でも、ソフィがあの目を他人に向けただけで許せないわたしが言えることではない気がする。
「ごめんなさい。気が回りませんでした」
わたしがそっとソフィを抱きしめると、抱きしめ返してきて肩口でぐずる。
背中をあやすように撫でると、余計に泣き出してしまった。
「もう。そんなに泣かないでください」
「私が一晩、どんな気持ちでいたと思っているの。一睡もできなかったんだから」
「…それなら行くなって言えばいいじゃないですか」
「いやよ。そんなこと言いたくない」
「わたしが本当に浮気するなんて思うのですか」
「思わないけど。それと心配になってしまうのは別よ」
そういう気持ちも、分かってあげたいと思う。
ソフィがわたしを分かってくれているほどには、わたしはソフィを分かってあげられていないのではないだろうか。
こういう時、自分が欠けた人間であることを歯がゆく思う。
鼻を啜りながら離れるソフィの感触を、名残惜しく感じる。
それで、わたしも一日近くソフィと離れていたことに、寂しさを感じていたと気が付いた。
思わず、ソフィの手を握ってしまう。するりと自然に指が絡まった。
ソフィが一歩部屋の中に踏み入り、わたしの隣に立ってミナの方を向く。
ミナは何故か両手で顔を覆いながら、指の隙間からこちらを見ていた。
「ミナさん、ごめんなさい。みっともないところをお見せしました」
ソフィが謝罪すると、ミナは慌てて両手を顔の前で振った。
なぜ、赤面しているのだろう。
「いえぇ、ごちそうさまでした」
ごちそうさまって何だろう。
わたしはソフィの様子をうかがったけど、微妙な表情すぎて感情が読み取れない。
わたしがソフィに何かを聞くよりも早く、廊下から慌ただしく近づいてくる足音が聞こえた。
「魔女様っ…ああ、ソフィア様もいらっしゃいましたか」
部屋に顔を出したのは、村の自警団の団長で、たしかランバートと言ったか。
元は訓練を受けた正式な兵士だったらしく、鍛えられた体躯をもつ壮年の男だ。
わたしは半歩引いて、ソフィの後ろに身を隠す。
最近、気付いたことだけど、わたしは体が大きい男の人が怖いようだ。触れられるのが嫌なのはもちろん、近づかれると身が竦むような感覚がある。
何か事件があったのか、自警団長には焦りが見える。
「団員が森で魔獣に遭遇し、負傷者が出ました。治療をお手伝いしていただけませんでしょうか」
わたしとソフィは顔を見合わせた。
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