秋の惑い 1
「ソフィ」
「…はい」
わたしの前でソフィは、居間の床に罪人のように両膝をついて跪いている。わたしがやらせたわけではなく、自主的にやっていることだけど、五王国のお姫様をついに跪かせてしまった。
全然、嬉しくない。
というより、わたしに奉仕するのが好きなソフィの場合、そんなに珍しくない光景かもしれない。
項垂れるその頭頂部に、わたしは冷たい視線を注いでいた。
「わたし言いましたよね」
「はい」
「次の日、立てなくなるまでするのはやめてって」
「はい」
「しかも、三日続けて。腰が痛くて死ぬかと思いました」
「…はい」
洒落にもならない。今も腰がじんじんとして、わりと立っているのも辛い。
最後の返事の微妙な間で、余計なことを考えたのが分かる。
「こんなことで魔王が生まれたら馬鹿らしいな、とか考えてません?」
かすかにソフィの肩が跳ねた。
沈黙が何よりも明確な答えだった。
「…禁止です」
「え?」
「しばらく、するのは禁止です」
ソフィが勢いよく顔を上げて、わたしに縋りつく。
いや、顔。必死すぎるでしょう。
「待って、ちゃんと我慢するから」
「そう言って、約束破ったの何回目ですか。わたしには約束を破るなとあれだけ脅したのに」
わたしの腰に抱き着いてくるソフィの頭を引き剥がそうとするけど、大蛇に巻きつかれたかのようにびくともしない。
内魔力も使っていないのに何、これ。わたしだってそこまで非力なわけではないのに。
「うぅ、だって…」
「だって、何ですか」
「テレサがあんまり可愛いから、つい夢中に…」
「そういうことを言っておけば、わたしが絆されると思っていません?」
わたしのお腹に額を擦りつけるように、首を横に振る。
分かっていないころなら、これで体の方から誤魔化されていたかもしれない。でも、この人のこれは確信犯だ。
わたしがソフィにお腹を弄られるのが弱いのを分かっていてやっている。
「違うっ。本当にわけわからなくなってしまうの」
「そんなに簡単に理性を手放さないでください」
まあ、夢中になってくれるのは嬉しいけど。
でも、さすがに体がもたないし、頭がおかしくなりそうになる。しかもソフィは、猫が小動物を弄ぶくらいの気軽さで、遊び半分にそれをしている気がする。
「…いつまで?」
上目遣いに少し目尻の下がった潤んだ目でソフィが見上げてくる。
童顔で愛らしい顔立ちのソフィがそれをやると、反射的に心臓が締め付けられるような痛みをおぼえる。わずかに小首を傾げているのが、最悪にあざとい。
何もかも許してしまいたくなったことに、かちんときた。
毎回、同じような手で誤魔化されてなるものか。
「わたしが、いいって言うまで、です」
ソフィの手がすとん、と床に落ちた。
◇◇◇
わたしとソフィがこの家に来てから何度目かの秋。
ソフィとの関係もだいぶ落ち着いてきたように思う。
よくも悪くも生活になってきたな、と感じる。
毎日見惚れたりしなくなったし、触れられるだけで心臓が破裂しそうになることもなくなった。
気持ちが変わったわけではないけど、ソフィが隣にいてくれることが当たり前に思えるようになった。
わたしたちは暮らしの中で衝突することがほとんどない。
意見は一致しなくても、自然に相手のことが受け入れられて不快に思うことがない。
わたしはソフィに触れているのが好きなので、やることがなければだいたいくっついているけど、流石に鬱陶しいかなと思って遠慮したことがある。だけど、そうするとソフィの方からくっついてきたので、遠慮する必要がないんだと理解した。
夜のことも怒っているわけではない。
まして、いやになんてなるわけがなかった。自分の体が好きではないわたしにとって、ソフィに求められることでしか価値が感じられない。
されている時は嬉しいと、気持ちいいと、好きと言う感情しかない。
ただ、連日だと体と心がもたない。
ソフィは周期的にそうなるので、牽制しておかないと本当に抱き潰される。
一度それをされて、情緒が壊れて泣いてしまったことがあった。泣かされること自体は前からけっこうあったけど、あんなに子どもみたいに泣いてしまったのは初めてだった。
あんなみっともない姿は、二度と見せたくない。
どうもソフィはその時のわたしが琴線に触れたらしく、狙っているような節があった。
ソフィは普段とても穏やかで優しいけど、情事に関しては嗜虐的なところがある。
殴ったりとかは絶対にしないけど、気持ちいいは度が過ぎれば十分に暴力だ。快楽は脳を変質させるのだと、わたしは身をもって知ってしまった。
その日の夜、寝る準備をしてソフィの部屋に入ると、寝台に腰かけて髪の手入れをしていたソフィが驚いたようにわたしの方を見た。
「あ、れ。テレサ、どうしたの」
「何がです」
「だって、禁止って」
「そうですよ」
禁止したからと言って、一緒に寝ないとは言っていない。
たぶん、もう一人で寝ても情緒がおかしくなるようなことはないと思うけど、好んで一人で寝ようとは思わない。
わたしは灯りを落として、ソフィを壁際に押しやって寝台に横になる。
一緒に横になったソフィの腰の後ろに手を回して、滑らかな曲線を撫でる。薄い夜着ごしでも手触りがよくて、すごく好き。
「あの、お誘いと思っていいでしょうか」
「はい? 駄目だって言ったでしょう」
「えぇ…ひどくありませんか」
なんで、姫さまの頃の口調。
ソフィの胸元に顔を埋める。わたしよりも少しあるので、柔らかくて気持ちいい。
「ソフィはわたしが駄目って言ったら、何年でも待てるんですよね」
「そうだけど…我慢できるのと、何も思わないのは違うのよ」
「当たり前じゃないですか。何も思わなくなったら別れます」
ここ数日の寝不足も相まって、ソフィの体が温かくて、心地よくてすぐに眠気がやってきた。
何だか愚痴を言っているようだけど、ぼんやりした頭で考えることを放棄して答える。
「え、嘘よね? 別れて新しい人、見つけるの」
「はぁ? ソフィに何とも思われなくなったら生きている意味ないので。次の日には魔王になっているんじゃないですか」
「そう、なの」
「そうなるつもりがあるんですか」
「ないけど。別れるって言葉だけで悲しくなるから、できれば使わないで」
「ソフィのお願いなら、聞きます」
もうほとんど意識は溶けていて、夢現でソフィと話す。
むしろソフィの声が心地よくて、余計に眠気を誘う。
「いま、すごくしたいから、駄目なら私、テレサの部屋で寝ていい?」
「寂しいから無理だって言ったの、ソフィじゃないですか。わたしも無理なので、駄目です」
一瞬で矛盾した気がするけど、何も考えずに思ったことをただ口から垂れ流す。
ソフィにだけはそれができる。
わたしが甘えられるただ一人のひと。
「テレサが…」
「…はい」
「意地悪に戻っちゃった」
「…意地悪なわたしは嫌いですか」
優しい手つきで髪と頭を撫でられている。
我慢できないとか言っている割には、ただただ慈しみしか感じられない手つき。
ソフィは未練がましいことを言っているけど、わたしが駄目と言ってそれを無視することは絶対にない。
やり過ぎないでと言う約束を破ると言っても、わたしが本気で嫌がったことなんてないし、最中に自分が何を口走っているか分かったものではない。
「意地悪な貴女も好きだけど、愛らしい期間が短すぎない? 百年くらいあのままで良かったのよ」
「…百年は…長すぎです」
駄目だ。眠くて意識が保てない。
そうだ。言わなければいけないことを、今日のごたごたで忘れていた。
「…明日、ミナの家に行って、そのまま泊まりますので…」
「…は?」
意識の遠くから聞こえるソフィの声を子守唄に、わたしは眠りに落ちた。
「えっ、嘘でしょ。ねぇ、寝ないで。ちゃんと、お話ししましょう。ねぇ」
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