夏の夢 番外

 間借りした聖都の神殿の一室に駆け込んで、モローネは寝台に飛び込んだ。

 羞恥、怒り、後悔。様々な感情で心がぐちゃぐちゃになって涙が溢れそうになるが、なけなしの自尊心で堪える。


「モローネ様、また泣いているんですか」


 呆れた声で言いながら、箒の柄でモローネの尻をついたのは、部屋にいたお仕着せの侍女だった。

 特徴のない、出会った翌日には忘れてしまいそうな少女だ。


「泣いてないっ。またって何よ!」

「お馬鹿なくせに誰彼かまわず突っかかっていくから泣かされるんですよ」

「不敬よっ。泣かされてないっ」


 顔を上げて侍女を睨むその目は、少し赤くなっていた。

 やれやれと侍女は肩をすくめる。


「今度は誰に泣かされたんですか」

「泣かされてないって言っているでしょっ。何なの、あの人っ」

「あの人とは?」

「モルガナと一緒にいたソフィアとかいう女よっ」


 少女の表情がわずかに動いたことに、モローネは気付かなかった。

 作り物めいた表情が一層、濃くなる。


「モルガナ様というのは、新しく魔女になった聖女テレサ様ですね」

「そうよ。あんな女が人形みたいな子を連れているから愛玩用だと思ったのに…あんな怖い女だったなんて」


 あの威圧感。まるで聖剣の担い手のようだった。

 思い出すだけで、モローネは体が震えた。魔女になってから、こんな恐怖を感じたことはない。


「どんな方ですか」

「金髪で…人形みたいに愛らしい顔して、すごく暴力的な女」

「ああ、あの情報は本当だったのですね」

「情報って何よ?」


 少女はため息を漏らす。


「はぁ。モローネ様、正教会上層部の情報を鵜吞みにしてはいけませんよ。喧嘩を売る相手には気を付けないと」

「どういう意味よ」

「聖女テレサ様に関することは、正教会でも見識のあるものにとっては、触れるべからず、なのです。その話題をお嬢様の耳に入れるものがいたら、信用してはなりません」


 少女は立って話すのに疲れたのか、寝台に腰をおろす。

 主人の寝台に腰かける無礼にモローネはむっとして睨みつけるが、少女は気にした様子もなく、そのまま話しはじめる。


「聖女テレサ様たちは、たった四人で魔王領を踏破したと御存知ですか」

「そんなわけないじゃない。魔王封印の最難関はその道程よ。少人数は理想だけど、それでは物資がもたない」


 モローネとて、魔王領を踏破しているのだ。その過酷さは余人よりもよほど理解している。


「四人のうち一人はティティス様です」

「ティティス様が? それならたしかに転移術で物資は運べるかもしれない。あとは聖剣の担い手と…」

「聖剣の担い手はローレタリアの現王アレクシス・エル・デ・ロー=レタリア陛下」

「たしか当時は王太子殿下よね?」

「はい。ローレタリアは先代の代替わりの時に直系王族がとても少なくなっていますから」


 蕩尽によって国を乱したローレタリアの先々代の王が、第四王子によって廃位に追い込まれたときに、上の王子たちの態度は様々だったが、等しくその血を残せない立場になっている。

 傍流も含めれば王家の血筋はそれなりに残ってはいるが、継承権を持っている直系王族は片手の指で足りる程度しかいない。


「王太子直々に聖剣を担うしかなかったのね」

「はい。そして、最後の一人がアレクシス陛下の双子の妹君ソフィーリア・エル・デ・ロー=レタリア姫」

「ソフィー…え、えっ?」


 その名前と、肩書にモローネの理解が追い付かなかった。


「はい。ローレタリアの花冠と言われる、美しい金髪の姫君だったそうです」

「えっ、待って、意味が分からない。王女殿下?」


 王女と言うのは、嗜みで剣を持つことはあっても実戦に出るものではない。

 しかも五王国の第一王女と言ったら、侯爵家の出のモローネから見ても遥か高みの深窓の令嬢だ。供もつけずに魔王領を踏破したと言われても信じられるものではない。


「優秀な騎士だったそうです。とくに擬聖剣と言われる宝具を用いた時は、勇者に近い戦闘力を発揮したと言われています」

「嘘でしょう。五王国の王女殿下がそんなはずないじゃない」

「軍事訓練に参加していて、魔獣の襲撃を受けた時、初陣で二種魔獣の首を一撃ではねたと言う逸話もあります。正直、眉唾だと思ったのですが、最近では甲種魔獣の単独撃破もされています。こちらは国元の斥候が目撃しているので、間違いありません」

「甲種魔獣の単独撃破とか意味が分からないのだけど…」


 それは、竜巻を一人で止めたと言っているようなものだ。

 聖剣の担い手である勇者でもなければ、人間に可能とは思えない。


「それなら、王女殿下が聖剣の担い手で良かったのでは」

「王女殿下は魔力障害があり、聖剣に認められなかったそうです」

「…あの人が、その王女殿下だと言うの?」

「王女殿下は魔王討伐帰還後、程なく亡くなられたそうですが、実は存命なのではないかという噂があります。流言の類だと思っていたのですが」


 魔女モルガナの横に立つ、騎士のような装いの少女をモローネは思い浮かべる。


「なんで。どうしてあの人は王女の地位を捨ててまで」

「噂に過ぎませんが、お二人は特別な、親密な関係にあったと言うものもあります」

「モルガナには、そこまでして傍にいてくれる人がいるのね…」


 モルガナの過去に触れてしまった時の、あの怒りをモローネは思い出す。

 モローネと言う存在の立場も人格も完全に無視して振るわれた刃。落ち着いた今なら、あれが殺意のない一振りだったと分かるが、同時に死んだら死んだで何もかまわないというつもりだったことも理解できる。

 普通であれば、怒りがあったとして相手によってその反応を変えるものだ。だが、あのソフィアと言う少女は誰があの言葉を言ったとしても、同じ反応をするのだとモローネは思った。モローネの命があったのは、たまたま結界を展開していたからにすぎない。


 モルガナ以外の全てを切り捨てて、寄り添うあの姿。


「羨ましいのですか」

「…別に」

「お嬢様は嫌われていますからね」

「嫌われていないっ」

「教会もお嬢様の干渉にうんざりしていますよ」

「え…本当に?」


 考えたこともなかったという顔で、モローネは少女を見る。


「他の魔女様は教会に干渉したりしていません」

「ティティス様はモルガナの迎えに神殿騎士を使ったと聞いたわよ」

「違います。あれは前総主教猊下の計らいです」

「ぐっ…貴女、詳しいわね」

「当たり前でしょう。私はお嬢様の監視に国元から派遣されたのですよ。諜報部員なのですから」


 しれっと言われた事実に、モローネの頭は情報過多で破裂しそうだった。

 モローネが住む屋敷では、魔女の秘密を守るために正教会経由で何人かの侍女が派遣されている。

 そんな侍女の一人がこの少女だった。

 つまりは、今までの侍女にも国元アルテシオンから派遣されたものがいたのだろう。


「それ、私に言っていいの」

「いいわけないでしょう。お馬鹿なんですか」

「不敬よっ」


 モローネは手元の枕で殴りつけるが、少女はそれをあっさりとあしらう。

 素早く寝台から立ち上がった少女に、モローネは枕を投げつけるが、それも余裕で受け止められる。


「…貴女、私が怖くないの」

「なぜです」


 睨みつけながら聞いてくるモローネに、少女は枕を返しながら首を傾げる。


「私は魔女よ。貴女なんて簡単に始末してしまえるのよ」

「お嬢様は、お馬鹿で、考えなしで、人との距離感が図れなくて、生まれを鼻にかけていて、勘違いした自尊心の高い方ですが…」

「ねぇ、本当に怒るわよ」


 もう一度、枕を振り上げるモローネだが、振り下ろすことなく力なく枕を抱きしめる。


「ですが、目下のものを理不尽に手にかけるような方ではありません」

「…貴女は少し失礼すぎると思うけど」


 不貞腐れたように言うモローネに、少女の表情が初めて動いた。

 年下の少女を慈しむような、その表情。


「どうせ、何か余計なことを言ってしまったんですよね。今度会えましたら謝りましょう」


 モローネは枕を抱えたまま、寝台に転がって背を向ける。

 少女は肩をすくめて、掃除を再開した。


「…分かっているわよ」


 かすかに聞こえた声を、少女は聞こえなかったことにした。

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