夏の夢 9

 グリエンの教え方は、たしかに上手かった。

 二日で基本的な制御方法が習得できたのは、彼女のおかげなのは間違いない。


 ソフィはその間、少し離れた壁際に立って、ずっと黙って見ていた。

 離れるのは嫌だけど、グリエンと関わってほしくないから、できればいてほしくなかった。だけど、遠回しにここにいなくていいと言ったら、「なんで」と怖い声で聞かれたので、それ以上言えなくなってしまった。


 わたしの心配をよそに、グリエンはソフィにちょっかいを出してくることもなく、丁寧に外魔力の制御方法を教えてくれた。


「グリエン様、ありがとうございました」

「はい。モルガナ様は覚えがいいので教えるのも楽だったわ」


 ティティスに訓練用に借りた部屋でわたしは、向かい合うグリエンに礼を言う。


「モルガナ様、教えた礼というわけではないけれど、私の話しを少し聞いていただけないかしら」

「…聞くだけであれば」


 本音を言えばいやだけど、この人のおかげで早く帰れそうなことを考えれば、それくらいは受け入れるべきだろう。


「お話ししたいのは、私が魔女に選ばれた理由について。私の時代に聖女は六人いて、王室への輿入れが決まっていた私が魔女に選ばれることは、本来ないはずだった」


 聖遺物レリックが聖女を選ぶ基準はわたしも知らない。少なくとも、祖王の血筋並みの魔力量と高い心魔力の適性が必要だということだけ。

 聖女の数は時代によって違うけど、だいたい十年から二十年に一人くらい生まれるから、同時代に五人程度になることが多い。その中から、魔女に選ばれるのは、魔王領を旅する必要があることから、体力気力的に二十代前後の人になる。

 この人の時代には、他にも若い聖女がいたのだろう。


「だけれど、私がその縁談を拒否したため、魔女に選ばれた。拒否したのは、私がどうしても男を受け入れられなかったから。私は、女しか愛せないのよ」


 ソフィはどうだったのだろうか。

 ソフィも女しか愛せないのだろうか。わたしはそんなことも知らない。


「私は貴族ではないけれど、有力な遊牧民の部族の族長の娘だった。立場あるものの結婚は義務よ。だから、私の嗜好なんて関係ないと思おうとしたけれど、どうしても無理だった」


 ソフィだって、わたしを選ばなければ普通に結婚していたでしょう。

 もしソフィも女しか愛せないなら、結婚が嫌でわたしのところに来たという理由もあるのだろうか。

 べつにそれでもいいけど、ソフィのことを何も知らないことが寂しい。


「私にとって女しか愛せないことは罪であり、魔女であることはその罰。だけど、貴女たちを見て私は疑問に思った。私は責務を果たさなかったことと、女しか愛せないことを混同していたのではないかと」


 わたしにその葛藤は理解できない。

 わたしはソフィと女同士であることを悩んだことなんてない。倫理観も常識も、所属する社会への責任感も持ち合わせていないわたしには悩む基盤がない。

 だから、ソフィがわたしが女であることで悩んだかもしれない、ということにすら今はじめて気が付いた。


「責務を果たさなかった罰が魔女であることは納得しているの。だけれど、女しか愛せないことが罪でないのなら、私も誰かを愛してもいいのではないかと」


 そこで、彼女の視線はソフィの方に向かう。


「魔女に永遠に寄り添ってくれる女…私にとって、ソフィア様の存在はあまりにも眩しすぎて、救いだった」


 光を見たように目を細めてから、わたしに視線を戻す。


「モルガナ様は、女しか愛せない方ですか」


 答える必要はない。話しを聞くだけと言ったし、答えるには個人的すぎる質問だ。

 でも、わたしはなぜか、真摯に答えるべきだと思ってしまった。

 ソフィに目を向けると、わたしを真っすぐに見ていて目が合った。わたしはソフィに好きだとは言うけども、その想いを言葉にしたことはあっただろうか。


「わたしはソフィ以外の人を好きになったことがないので分かりません」


 二人きりでいれば、きっと言葉にすることはなかった。

 その想いを、言葉にする。

 視界の半分にソフィを入れたまま、言葉にする。


「わたしは、モローネ様が言っていた通りの、まともな生まれと育ちの人間ではありません。いえ、人間ですらない、ただのモノでした」


 それだって、わたしはソフィに話したことはない。

 わたしが魔女化したときの意識共有で、きっと全てを知っているのだろうと思っているだけだ。


「そのわたしに心をくれて、人にしてくれて、愛してくれたのソフィです。依存と言われればその通りでしょう。わたしには、本当にソフィしかいないのです。ソフィしかいないから好きになったわけではありませんが、ソフィ以外を好きになれるかと言われれば絶対に無理でしょう」


 それは、わたしがソフィ以外の人を知らないからじゃない。

 例えどれだけの人と繋がったとしても、ソフィがくれたものは揺るがない。


「ソフィは、わたしにくれたものを特別なものだと思っていないのかもしれません。もしかしたら、それは事実なのかもしれません。ですが、誰にでもできることだとしても、それをわたしにくれたのはソフィしかいなかった」


 言い切って、胸に手を当てて息を吐く。

 それから、グリエンを真っすぐに見た。


「もし、わたしからソフィを奪おうという人がいるなら戦います。人と争ったことなんてないけど、戦います」


 そう言えば、ソフィとだけは言い争いも、法術を向けたことすらある。

 あなただけが、いつもわたしの心を動かす。


「…そう。貴女にとっても、ソフィア様は光なのね」


 グリエンは、どこか寂しそうに微笑む。


「羨ましい。貴女よりも先に、私がソフィア様に出会っていれば…いえ、詮無いことを言ったわ」


 彼女の手が伸びて、わたしの頬を軽く撫でた。

 わたしは、ソフィ以外には触られたくない。でも、その手を避けようと思わなかったし、触れられて不快でもなかった。


「不安にさせて、ごめんなさい。大丈夫、もうソフィア様が欲しいなんて言わないわ。いえ、本当は初めから二人の間に入れないことは分かっていたの。むしろ、そんな絆があることを確かめたかったのかもしれない」


 彼女の手がわたしから離れて、わたしの横を通り過ぎると、部屋の出口に向かう。

 出口の脇に立つ、ソフィの前で立ち止まる。


「ソフィア様、迷惑をかけたわね」

「いえ、おかまいなく」

「…ですが、私、モルガナ様が妹のように可愛くなったの。ですから、申し上げても?」

「なんでしょうか」

「わざとかどうか知りませんが、不安にさせるのはおやめなさい」

「…そんなつもりはありません」


 ソフィがわたし以外に口ごもるなんて珍しい。

 でも、どういう意味なんだろう。反論しないところを見ると、心当たりがないわけではないのだろうか。


「余計なことなのは分かっているけど、大切にしすぎて籠の鳥にしないように気を付けて」

「分かっています。本当に余計ですね」


 ソフィの言い方は、怒っているというよりも拗ねているようだった。


「それでは、私は失礼させて頂くわ。お二人ともお元気で。またどこかでお会いしましょう」


 優雅な一礼を残して、グリエンは部屋から出ていった。

 ソフィは彼女が出て行った扉の方をじっと見ている。


 ふと、自分だけ一人で取り残されたような寂しさを感じて、わたしはソフィに駆け寄った。

 袖を引くとソフィがわたしの方に振り向いて、穏やかな微笑みを見せてくれる。


「帰りましょうか」

「はい」


 帰ろう。わたしたちの家に。

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