夏の夢 8

 強力な魔力同士が衝突し、空間が軋む耳鳴りのような感覚にわたしは顔をしかめた。

 わたしの目では一瞬、光が走ったようにしか見えなかった。

 でも、何が起きたかなんて、見なくたってわかる。


 わたしの横には抜身の光輝の剣を無造作に提げたソフィが立っていて、結界を砕かれて椅子から転げ落ちたモローネが呆然と見上げている。

 ティティスはため息をついているけども、他の魔女たちは固まっていた。

 魔女つまりは聖女となる人は、良家の生まれの人が多いから、こんな急に振るわれる直接的な暴力に慣れないのだろう。

 魔王領を旅したと言っても、普通は騎士団に守られて、聖女が直接戦場に立ったりはしない。


 ソフィの本気の殺意を感じたら魔力を持っていこうと思ったけど、その必要はなさそうだ。

 わたしはテーブルに置かれた杯を手にして一口呷る。

 この果実酒、口当たりがよくて美味しい。


「ソフィア様、お待ちください」

「何を待てと?」


 ソフィはティティスの言葉に首を傾げて、剣を鞘に納める。

 その所作も言葉も、どこまでも静かだ。久しぶりに見たけれども、相も変わらず暴力に感情の伴わない人だ。

 怒ってはいるのだろうけど、本気で怒るほど冷たくなっていく人だから、唐突に、無造作に暴力を振るうように見えてしまう。怒っているなら、怒っていると分かりやすく態度で示してあげればいいのに。


「モローネには謝罪させますので」

「けっこうです。謝罪など、意味がありません」


 わたしの後ろに戻って、肩に手を置きなおす。

 その手に、そっと手を重ねる。


「ソフィ、そんなに怒らないでください。わたしは気にしていないから」

「貴女が気にするかどうかは関係ない。私の大切な人を侮辱するものは、私が許さないのだということを知らしめただけ」


 困った人。

 でも、わたしのために怒ってくれたことを、嬉しいとも思ってしまう。


「あ、貴女!」


 我に返ったらしいモローネが立ち上がって声を上げる。

 でも、ソフィから数歩遠ざかったところをみると、そうとう怖かったらしい。


「この私に剣を向けるなんて。しかも殺そうとするなんて!」


 あれを殺すつもりだなんて思うんだ。

 ソフィが本気で殺すつもりなら、相手が死ぬまで剣を止めたりするはずがない。

 あんなのソフィにとっては、軽い威嚇みたいなものでしょう。


「モローネ、いい加減にしろ」

「ですが、私たちは世界を背負っているのですよ。こんな屈辱、許せません」


 ティティスの諫めも聞かずに、まだソフィにかみつく。


「騎士くずれには魔女の使命の重さが分からないとみえます」

「大義は他者を脅す道具に使うものではありません」


 ソフィの声は、けして大きくはなかった。

 だけど、その声は会場を圧して、水を打ったように静まり返らせた。


「貴き血に生まれたのなら、大義など果たすのが当たり前のこと。殊更に喧伝するなど、祖霊に恥ずかしくはないのですか」


 ソフィに真正面から見つめられ、モローネが顔面蒼白となってたじろぐ。

 高貴な出自であるが故に分かってしまったのだろう。自分とは格が違う、本物の至尊の血筋というものに。


「二度と、私の大切な人を侮辱することは許しません」


 冷たく告げるソフィの言葉に、モローネは唇を震わせて何か言いかけるけど、結局何も言えずに退出していった。

 その瞬間に、わたしはもう記憶の端に彼女を追いやった。

 本当に、まったくどうでもいい。

 ソフィを止めようと思ったのは、わたしたちの生活を脅かされたくなかっただけだ。


 ソフィは去っていく彼女を一瞥だにせず、ティティスを睥睨していた。


「私は、私の大切な人がこのような侮辱を受けるために招かれたのですか」

「ソフィア様。申し訳もございません」

「私は言ったはずです。世界よりもテレサを大事にすると。あの魔女のそっ首を落として、落とし前をつけさせてもいいのですよ」

「それは…」


 …え?

 わたしは、肩に置かれたソフィの指を引っ張った。


「…テレサ、少し待って」

「いやです。そんなつまらない話よりも、ソフィいま何て言いました?」

「ですから、落とし前を」

「それは、つまらないほうの話しです。その前に」

「貴女を世界よりも大事に…」


 ソフィの言葉が止まって、その表情から王族の威厳が消えた。

 頬がうっすらと上気している。


「ソフィ、そんなこと言ったのですか?」

「お願い、忘れて」

「え、無理です。絶対に忘れません。それより、その時のことをもっと詳しく教えてください」

「今、そういう話しをしているのではないの」

「ソフィが勝手に怒っているだけです。どうでもいいので、そちらの話しを聞かせてください」


 わたしが言い募ると、ソフィは黙る。

 知りたいのは嘘ではないけど、ソフィが王女の顔をしているのが好きではないのでやめさせたかった。

 いつまでも、王族の血に囚われて、馬鹿みたい。

 半ば腹いせもかねてもっと意地悪してやろうと思ったわたしを止めたのは、会場に響いた拍手の音だった。


 拍手をしていたのは、褐色の肌をした魔女だった。

 唇を軽く嚙んでいるのは、たぶん笑いを堪えている。


「面白いものを見せてもらったわ」


 グリエンと名乗った魔女の目は、ソフィに向いている。

 やめて。あなたはソフィに興味を持たないで。


「是非、改めてお名前をうかがえるかしら」

「ソフィアとお呼びください」


 平坦な声で答えるソフィに、グリエンが首を傾げる。


「ソフィア様…ソフィ…あぁ、なるほど」


 小さく呟いて、納得したように頷く。


「ソフィア様は、モルガナ様を大切な人とおっしゃっていたけど、お二人の関係はどういったものなのかしら」

「貴女にそれを説明する必要はありません」

「そうね。ですが、私、貴女のことが欲しくなったの。ですから、私のものになってもらえる可能性があるか知りたいわ」

「そんな可能性はありません」


 ソフィが答えるよりも早く、わたしは思わず口を出してしまった。


「私はソフィア様に聞いているの。それとも、ソフィア様はモルガナ様の所有物なのかしら」

「私はテレサの所有物よ」


 一瞬、黙ってしまったわたしを他所に、ソフィは躊躇いなく答える。

 わたしはソフィを誰にも譲りたくないけど、自分のものだなんて思っていない。そうしたいと思っていないわけではないけど、わたしに所有されるような人ではない。所有物だというなら、もう少し私の言うことを聞いてほしい。


「あら、では逆にモルガナ様の許可があれば頂けると」

「絶対にあげません」


 被せ気味にわたしは拒否する。


「ソフィア様、モルガナ様と交渉させて頂いても?」

「お好きに。ですが、私は一度、警告をしました。次にテレサが侮辱されていると感じたら、命の保証はいたしません」

「命を賭けろ、ということね」


 どうして、そこで楽しそうに唇を舐めるのだろう。

 ソフィもどうして止めてくれないんだろう。

 誰か止めてくれないかと思い、他の魔女を見るけど、ティティスは黙っているし、もう一人は楽しそうに見物している。


「モルガナ様、少しお話ししません?」

「話すことなどありません」

「では、勝手に話すわね」


 じわりと掌に汗がにじむ。

 他人と話すことにいまだに緊張する。演じるべき役割がないと、自分がどう話せばいいのかもよく分からない。

 ソフィ以外となんて、できれば話したくもない。


「モルガナ様はこのあと、外魔力制御の訓練をするのでは」

「…その予定です」

「では、私がお教えしましょうか」


 どういうつもりだろう。ソフィのことと何の関係があるのだろう。


「けっこうです。ティティスに教わりますので」

「それは、お勧めしないわ」

「なぜです」

「ティティス様は天才だから。教えるのがとても下手なの」

「おい」


 不機嫌そうな声をティティスが出すけど、わたしは妙に納得してしまった。

 人に上手くものを教えるティティスなんて想像できない。


「ちなみにグリオン様は講義が始まるので、とても長くなるわ」


 ちらりと赤毛の魔女に視線を向けると、笑顔で手を振られた。否定しないところをみると、本当のようだ。

 それは困る。わたしは早く帰って、ソフィと二人きりになりたい。

 たぶん、この人はそれも分かっている。


「それなら、いいです。訓練なんてしません」


 ティティスに言われたから仕方なくやるだけで、そこまで必要性を感じているわけではない。


「駄目よ、テレサ。誰でもいいけど、ちゃんと教わっていって」

「ソフィ…」


 なんでそんなことを言うのだろう。

 ソフィの考えが分からない。でも、そもそもわたしはソフィのことばかり考えているけど、ソフィが何を考えているかを分かろうとしたことなんてあっただろうか。


 もしかして、ソフィもこの魔女に興味があるのかな。

 だから、こんなことを言っているのだろうか。

 そんなはずなんてないのに、黒い感情がわいてくる。だから、他人となんて関わりたくなんてなかった。

 他人なんて怖いだけだ。ソフィ以外の人なんて、わたしから奪っていくだけの存在でしかない。

 わたしはもう、わたしの一かけらだってソフィ以外の人に奪われたくない。


「ソフィア様もこうおっしゃっているし、どうかしら」

「…では、お願いします」


 もう誰でもいいから、早く終わらせたい。

 終わらせて家に帰って、ソフィと二人だけになりたい。

 それ以外、何も考えたくなかった。

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