夏の夢 3

 自分の部屋に逃げ込み、灯りもつけずに寝台にうつ向けに突っ伏す。

 思い返すだけで、恥ずかしい。

 まるで子どもの駄々だ。


 強い感情をいまだに上手く処理できない。

 ソフィはこんなわたしの相手を面倒にならないのだろうか。

 ソフィだって表面は理性的でも、とても感情的な人のはずだ。

 感受性は豊かだし、激情家でもある。

 それなのに、最近のソフィはわたしが何を言っても穏やかなまま。

 本当にわたしに飽きたなんて思わない。

 過剰ななまでに大切にしてくれているのは分かっている。


 だけど、何を考えているのか分からない。

 ソフィは思ったことは言ってくれるけど、なんでそう思ったかはあまり言ってくれない。

 それを察するには、わたしは人として不出来すぎた。

 人の望みばかり見ようとしていたから、わたしに対する無償の愛を根幹にした考えなんて難しすぎる。

 考えても分からないのだから、考えなくたっていい。

 ソフィが愛してくれるなら、それだけでいい。


 明日になったら、どうせいつも通りだ。

 もう寝てしまおう。


 シーツにくるまって目を瞑る。

 でも、どれだけ経っても眠気なんてまるで来ない。

 音が、何もない。

 静寂がうるさい。

 触れた肌から伝わる鼓動も、耳元をくすぐる静かな息も、何もない。

 寂しい。


 恋人になってから、ソフィと一緒に眠らなかった日なんてないと、今さら気がつく。

 あの温もりがないと気がついてしまうと、もう駄目だった。


 どうしよう。

 ソフィのところに行きたい。

 でも、それはさすがに自尊心がなさすぎではないだろうか。


 目を強く瞑って、体を丸める。

 わたしはどこでだって眠れるはずだ。

 あの冷たい孤児院の床でだって眠れたのだから。

 ソフィがいないくらい、何だと言うのか。


 じわりと涙が込み上げてくる。

 と、気付いた時には遅かった。

 ぼろぼろと涙がこぼれ落ちて止まらない。


 やだ。何なのこれ。

 誰かを好きになると、人ってこんなに弱くなるの。

 皆んな、こんな感情を当たり前に持って生きているのだろうか。


 このまま眠ることを諦めたわたしは、寝台から下りた。

 この部屋はソフィの気配が薄すぎる。居間のソファーで寝よう。あそこならソフィの匂いが残っている。


 抱えたシーツで涙がこぼれないように抑えながら、部屋の外に出る。

 音を立てないように廊下を歩き、ソフィの部屋の前で立ち止まった。

 扉にそっと指先を触れさせる。


 一回だけ。一回だけノックしよう。

 それで気付いてくれなかったら、居間で寝よう。


 息を吸って、小さく一回だけ指関節で扉を叩く。

 思ったより小さな音しか出なかった。こんなの気が付くはずがない。


 わたしはため息をついて、扉に背中を向ける。

 そのままわたしが居間に向かうよりも早く、扉が開く音がして腕を掴まれた。


「…ソ」


 わたしが名前を呼ぶ間もなく、腕を引かれて抱き締められる。

 締め付けるほどきつくはない。でも、しなやかなこの腕からは、どんなに力を入れたって抜け出せないことを、わたしは知っている。

 抜け出したいなんて、思わないけども。

 甘い匂いと、柔らかな体の感触に、寂しさの涙は止まり、別の涙が溢れそうになる。


「寂しかった」


 一瞬、心の声が漏れたのかと思った。

 でもそれは、ソフィの声だった。

 わたしはシーツを床に落として、ソフィの腰に腕を回す。


「ソフィも寂しかったんですか」

「そうよ。喧嘩はしてもいいけど、一人で寝るなんてもうしないで」

「しません。無理だって分かりましたから」


 夜闇の中で、ソフィの温かな体だけを感じる。

 触れ合うたびに、好きなのだと思う。思い知らされる。

 心だけではなく、体もこの人のものになりたいし、わたしのものにしたい。


 前までなら、いつもソフィからしてくれたし、わたしから誘う必要なんてなかった。少しそういう雰囲気を出せば、ソフィは応えてくれた。

 でも、今はわたしの許しがなければソフィは手を出してくれない。


 わたしは何て高い障害を自分で作ってしまったんだろう。

 ソフィが好きだからしたいのに、ソフィが好きすぎてできない。これを自分で乗り越えなければいけないなんて。


「テレサ、もう寝ましょう」


 わたしの腰を抱いたまま、ソフィに寝台に誘われる。

 しがみつくようにわたしが抱きついたままだから、二人で一緒に寝台に横になる。

 わたしを先に寝かせたから、ソフィに押し倒されたみたいになった。


「あの、寝にくいから緩めて」

「や」


 短く言ったわたしに、「もう」と言いながら背中を撫でてくれる。

 いつもの触れるか触れないのかの撫で方。それを頬に口づけをしながらするのは、もうしているのと変わらないのではないだろうか。


 決定的な行為はしてくれないのに、体の準備だけは高められる。 

 もどかしさを埋めるように、唇を重ねる。


 何度か不器用に唇を重ねていると、ソフィは軽く下唇を食んでから離れてしまう。


「朝、もういいって聞いたのは、私の歯止めが効かなくなりそうだからよ」


 そんなの効かなくていいし、何だか言い訳ぽくて嫌だ。

 わたしが無言で唇を押し付けると、枕に頭が埋まるくらいに深い口づけで押し返された。

 唇と口腔を蹂躙される。

 息もできないくらいの激しい口づけ。


 朝もして、夜もして、それでも足りない。

 もう口づけだけでは全然、足りない。

 もっともっともっともっともっともっと。

 欲しい。

 欲しければ欲しくなるほど、怖くて言えない。きっと、いまあなたに抱かれたら、わたしは壊れてしまう。

 あなたしか見えない、そんな生き物になってしまう。

 それは対等な恋人とは言えない気がする。でも、あなたがわたしを求めて壊したのなら、それはもう仕方ない。


 そんなとりとめもない考えも、口づけで蕩けていく。

 体中の力が抜けて弛緩する。霞がかかったように頭が呆っとするなかで、一瞬だけ合ったソフィの目が、昼間も見た冷たいものを孕んでいるようにみえた。

 なんだろう。

 なんでそんな目をするんだろう。不思議と怖いとは思わない。


「…テレサ」


 ソフィの手が、いつの間にかわたしの胸に触れていた。

 触れているだけで、動かない。

 わたしは自然とその手に、強請るように自分の手を重ねていた。

 ソフィの指が、ぴくりと動く。


「ああ、取り込み中にすまない」


 唐突に部屋に響いた声に、弾かれたように寝台から飛び退いたソフィが、臨戦態勢に入った。

 その動きが、猫みたいだなぁと、見当違いなことをわたしは考える。


 声のした方を見ると、わずかに開いたままだった窓辺に黒鳥がとまっていた。

 声で分かっていたけど、ティティスの使い魔だ。

 嘴に封書を挟んでいる。


「あ、貴女、ティティス。こんな夜更けに失礼でしょう!」


 上擦った焦り声を出すソフィを、珍しいと思いながらわたしは見ていた。

 ソフィの顔が羞恥で赤くなっている。


 わたしとの口づけを見られたのが恥ずかしかったのだろうか。

 その感覚はわたしにはよく分からない。わたしは別にあなたと何をしているところであろうと、他人に見られてもどうでもいい。

 ああ、でもあなたの裸や情事の姿を他人に見られるのは嫌だ。


「ティティス。わざわざ使い魔を飛ばすなんてどうしたのですか」


 わたしは乱れた夜着を整えながら、使い魔に問いかける。

 使い魔の嘴から落ちた封書が床を滑り、わたしの足元で止まった。


「そろそろ落ち着いたころかと思ってな。魔女の夜会への招待状だ」

「夜会ですか」

「たいそうな名をつけてはいるが、なに新しい魔女の顔合わせだ」

「全然、興味ないのですが」

「そう言うな。顔を見せておかないと、めんどくさい奴らがここに押しかけてくるかもしれないぞ」


 それは嫌だな。

 ソフィとの生活を脅かされたくはない。


「はぁ、分かりました。どこに行けばいいのですか」

「夏至の日、場所は聖都だ。詳しくは招待状を見ろ」


 わたしが足元の招待状を拾い上げる間に、ティティスの言葉は続いた。


「姫、よろしければ貴女もお越しください」

「言われずとも、テレサが行くのでしたらついていきます」


 え、何。ティティスの敬語なんてはじめて聞いた。

 なんでティティスがソフィに低姿勢なの。

 わたしの知らないところで、何があったのだろうか。

 何か。何か、すごく気持ち悪い。吐き気がするくらい不愉快。


「貴女なら、そう言われると思いました。それでは、お待ちしております」


 その言葉を残して、黒鳥は夜闇に羽ばたいた。

 わたしの胸に消えないわだかまりを残して。

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