夏の夢 4
ティティスが告げた魔女の夜会が行われる夏至の日までは凡そひと月。
このローレタリア王国の北方からだと、徒歩では間に合わない。
乗合馬車などを利用する手段もあるけど、わたしもソフィも人目につくことはできるだけ避けたい。
顔を見られてどうこうと言うほどではないけど、長期間同じ空間で過ごせば余計な詮索を受けかねない。
だから、わたしたちは馬で向かうことにした。
馬は少し前にソフィが購入したものだ。
栗毛の牝馬で、間近で見ると思ったより大きかった。ソフィが言うには乗用馬なので、軍馬よりは小さいらしい。
その金額は、わたしが思わず二度見するほど高かった。ソフィは金額をろくに確認することもなく支払っていて、お姫様なんだなぁと変なところで感心した。
そう伝えると、軍馬ならもっと高いと、笑いながらソフィは言っていた。
馴らしに何度か一緒に乗せてもらったけども、一人で乗れる気はしない。
馬の背は思ったよりも高くて怖かった。
馬は普段、村で面倒をみてもらっているから、わたしたちは旅の準備を兼ねて村に来ていた。
ソフィが馬を引き取りに行っている間に、わたしは雑貨屋で旅に必要なものを揃える。
とは言っても、街道沿いを進む予定の旅なので、それほど必要なものはない。
わたしは手持ち無沙汰で、ソフィの戻りを待つ。
正直なところ、居心地のいい場所ではなかった。
カウンターの向こうにいる娘の視線を感じる。
この娘はソフィに憧れていて、ソフィと親しいわたしには、きっとあまりいい感情を持っていない。
この娘の願望は、ソフィとの同一化だ。憧れと言い換えてもいい。ソフィ自身になりたいから、なるべくソフィに近づきたい。
もっともそれは、この村の若い娘なら多かれ少なかれ大半が持っている願望でもある。
だからソフィとはまるで違うのに、その隣にいるわたしのことが気に入らないのだろう。ソフィとは親しそうに話すのに、わたしには様子を窺うような目しか向けてこないのは、そういうことなのだと思う。ソフィは人前でことさらにわたしを大事にしているそぶりを見せるから余計に。
「魔女様は、ソフィア様とご旅行ですか」
声をかけられて、思わずため息をつきそうになる。
分かり合えないのが分かっているのだから、お互いに干渉しないのが一番いいのに。
「ええ。旅行と言うよりは所用で行かなければいけないだけですが」
ソフィとの旅が羨ましいのだろう。
ソフィとの旅が目的ではないと言えば、少しは溜飲が下がるかもしれない。
正直なところ、魔女の夜会はどうでもいいけど、ソフィとの遠出は楽しみなのでこの娘の懸念は間違っていない。
「いいなぁ。ソフィア様って旅行中、すごく優しくしてくれそう」
「ソフィはいつも優しいですよ」
「それも羨ましいですけどぉ。旅行中だと普段とは違う特別な優しさを見せてくれそうで」
なんだろう。
思っていた反応と少し違う。
もっと嫉妬に満ちた嫌みを向けられると思っていた。
「ソフィア様が男だったら恋人にしてほしいです」
「…そうですか」
なるほど、見た目や振る舞いは女として憧れているけど、内面的には男性的な憧れを持っているから、その乖離が同一願望をとどめているのか。
わたしはソフィが男だったらとか、考えたこともないので盲点だった。
「ああ、でもソフィア様だったら女同士でもいいかも。あんな恋人がいて、魔女様が羨ましいです」
「…ソフィに聞いたのですか?」
わたしはソフィとの関係を誰かに言ったことなんてない。
何でだろう。ソフィとの口づけを誰かに見られても平気なのに、他人にわたしたちの関係を知られていることに羞恥を覚えるなんて。
「あ、やっぱりお付き合いしているんですね」
「かまをかけたのですか」
自分の頬が赤くなるのが分かる。
上目遣いに睨むと、なぜか娘まで頬を赤くした。
「うわぁ。魔女様、可愛い」
「な、なにを言っているのですか」
わたしは熱くなった自分の頬を掌でほぐす。
「ソフィア様が入れ込むのも分かるなぁ、と思いまして」
「…あなたはわたしを厭っているのではないのですか」
「どうしてですか?」
不思議そうに娘が首を傾げる。
「ソフィに憧れているのでしょう? 隣にいるわたしが愉快ではないのでは」
「ええっ。ソフィア様と仲良くはなりたいですけど、お二人でいるのを見るのも好きですよ。眼福です」
「そういうものですか?」
ソフィの隣にわたしを並べても、見劣りするだけだと思うけど。
芸術品と、ただ造詣が整っているだけのものを並べても、差が際立つだけではないだろうか。
「まあ、魔女様には失礼ですけど、ソフィア様の奇麗さは別格だと思います」
「いえ、まったく同感です」
「ソフィア様って、こう内側からきらきら輝いている気がしません?」
「します。湯上りとか歩いたあとに光が舞って見えますから」
「まぁ、湯上りっ。見てみたいですっ」
「駄目です。他人には見せられません」
「あぁん。意地悪です」
「ソフィの奇麗なところならわたしが一番詳しいです」
「惚気られましたっ」
なぜか意気投合してしまった。
考えてみれば、わたしもこの娘と大して変わらないのかもしれない。ソフィと言う光に惹かれてしまったもの同士なのだから。
わたしたちのソフィ談義は、店の扉がノックされる音で中断させられた。
振り向くと、開いた扉の前に呆れた顔のソフィが立っていた。
髪を結い上げて、騎士服に似た旅装をしたソフィは凛々しい。
腰の剣帯に実戦用の片手剣と光輝の剣を吊るしている。目立たないように蓮の聖盾もつけているし、外套の下には天の羽衣も羽織っている完全武装だ。
何と戦争するつもりなのだろう。
「なにをしているの、テレサ」
「な、なんでもありません」
わたしはいそいそと荷物を抱えて、ソフィに近寄る。
「ミナさんとお話ししていたの?」
「なんでもないから行きましょう」
荷物でソフィを店の外に押し出しながら、小さく振り返る。
先ほど初めて名前を知った雑貨屋の娘のミナが手を振っていたので、会釈を返した。
店の外に出るとソフィに荷物を片手で取り上げられたので、空いた手に腕を絡める。
「ミナさんと仲良くなったの?」
「なっていません」
「楽しそうにお話ししていたじゃない」
「していません」
店から引き離そうとソフィを引っ張り気味に歩きながら答える。
ああ、どうしよう。わたしが言っていたことをミナがソフィに伝えてしまったら恥ずかしすぎる。
旅に出ている間に忘れてくれないかしら。
「テレサが村の人と仲良くなってくれて嬉しいけど…」
組んでいた腕の手をそのまま繋がれて、指を絡められた。
「私より仲良くしないでね。やきもちやいちゃうから」
「ソフィ、やきもちとかやくんですか」
「はぁ? すごく嫉妬深いでしょう、私は」
「そうなのですか」
首を傾げると、ため息を返された。
「恋人でもない貴女に、他の人と口づけしたら殺すなんて言ったのよ。頭がおかしいくらい嫉妬深いのでなければ何なの」
「王女の唇の対価と言っていたので、そんなものかなと思っていました」
「なんでそう言ったのかを考えて?」
「なんで…」
なんで、はわたしには難しい。
わたしに求めるもの、わたしをどうしたいのかは、その人の立場や性格から読み取るのは難しくない。
でも、わたしに何かを与えようとする人なんて、ソフィ以外にいなかったから、今まで考えてこなかった。
「テレサは、わたしが他の人とテレサよりも仲良くしたり、口づけしたりしてもいいの?」
「いやっ。絶対に駄目ですっ」
そんなの考えるだけで悲しくて、泣きそうになってしまう。
安心させるように、わたしの手を握る力が少しだけ強くなった。
「嫌なこと言ってごめんね。でも、私も同じようにいやなのだと言うのを分かってほしいの」
「ソフィも? そうなんですね…」
それは、何というか、不思議な気持ちだった。
嬉しいもあるけど、それだけでもない。
わたしはソフィが愛してくれるなら、それだけで良かった。でも、ソフィも嫉妬するのだと知って、ソフィの愛を別の角度から見た気がした。
ソフィの愛にも、ただ優しくて温かいだけではない、別の面があるのだろうか。
それを、わたしは知るべきなのだろうか。
知りたいの、だろうか。
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