夏の夢2
もちろん、わたしが悪い。
そんなことは分かっている。
こんなことをしても嫌わないよね、と甘えているだけ。親の愛情を試すために悪戯をする子どもと、何も変わらない。
親を知らないからと言って、母親までソフィに求めるのは恥ずかしすぎる。
あんなことを言って、どうなってしまうか心配する気持ちもあったけれど、喧嘩にすらならなかった。
結局、食事は一緒にとったし、家事も一緒にしたし、夜はソファーで隣にくっついて座っている。
静かに書物に目を落とすソフィの様子を窺っても、今朝のことを気にしている気配はない。
それが逆に胸につかえる。
何をしても怒らないなんて、無関心なのと変わらない。それはいやだ。
普段は気にもならないのに、わたしと一緒にいるのに、他のものに目を向けていることにすら不満が募る。
「なんで怒らないんですか」
ぽつりと漏らすと、ソフィの目がゆっくりとわたしの方に向けられた。
ソフィの目を奪えたことで、少しだけ溜飲が下がる。
わたしはいつから、こんなに面倒くさい女になったのだろう。
「なぁに。今朝のこと?」
「あんなこと言ってしまったのに、腹は立たないんですか」
「うぅん…楽しかった、かな」
「え?」
考えてもいなかった言葉がソフィから出てきて聞き返してしまう。
「なんで、あんなこと言ったのかなって、考えてたから」
「わたしのことを考えていたんですか?」
「だいたい、ずっと貴女のことを考えているわ」
心臓が柔らかく締め付けられる。
そんなことばかり言うから、わたしが面倒くさくなっていくのに。
ソフィの太ももに軽く手を乗せて、身を乗り出す。
「それで、分かったのですか?」
「そうね。最初は口づけが足りなかったのかな、とも思ったけど」
足りない、と言うのはあながち間違っていないかも。
「でも、思い返すと、テレサは私が口づけをしてあげているって感じたのよね」
「…」
「私、そんなにしたくなさそうに見えた?」
「そうではないですけど…」
ソフィの肩に額を落とす。
「なんだかソフィはすごく落ち着いてしまって、わたしばっかり浮かれているみたいで」
「そういうふうに見えるのね」
その声が、何だか冷たく感じて、思わず顔をあげてソフィを見る。
一瞬だけ、目の端に映ったソフィの笑みが酷薄なものに見えたけど、それは気のせいだったかのようにいつもの優しい微笑みを浮かべていた。
「だって、前はあんなに求めてくれていたのに…」
「あら。だって、テレサがまだ無理だって言うから」
「そんなの、したいなら無視すればいいじゃないですか」
「しないわよ」
ソフィの声は、いつになく断定的だった。
静かだけど強い言葉に、思わず私は沈黙する。
「貴女と一度別れた夜、私がしたことは許されない行為だった。あなたを傷つけたものたちと何も変わらない。私はもう二度とあんなことはしない」
「ソフィは違う! なんでそんなこと言うんですか!」
ソフィがそんなふうに考えていたなんて知らなかった。
あの夜のことは、わたしだって求めていたものだ。むしろ、ソフィとの思い出がほしくて、わたしが誘ったと思っていた。あの時は体の関係を求めていたわけではないけど、そうなるということは分かっていたのだから。
「私にとって、あれは許されないことなの。貴女が許してくれたとしても」
「許すとか、許されないとか、そういうことではなくて…」
違う。そんな話しをしていたんじゃないのに。
「暴力をふるって、相手が許してくれたからといって、暴力が悪いことではなくなるわけではないでしょ」
「ソフィにとってあれは暴力だったんですか。わたしを愛しているからしてくれたことじゃないんですか」
「愛していれば、何をしてもいいわけではないわ」
「わたしがいいって言っているのに」
駄目だ。感情的になるな。
でも、どうしても耐えられない。あなたと初めて肌を重ねたあの夜のことは、わたしにとって嬉しい思い出だったのに。
ソフィにとっては違った。
それがこんなにも辛いなんて。
でも、思い返せばたしかにあの夜、ソフィはとても罪悪感に苦しんでいる顔をしていた。
わたしは勝手に思い出を美化して、ソフィの気持ちを蔑ろにしていたのだろうか。
「貴女が許してくれるかどうかではなくて、行為そのものの良し悪しよ」
「そんなの知らない! 世の中の良い悪いなんて、わたしたちには関係ないじゃないですか」
そんなの全部捨てて、わたしを選んでくれたのに。
なんで今さら。
「貴女を傷つけた人たちと同じにはなりたくないの」
「ソフィにならなにされたっていい。殴りたいなら殴ったっていい。でもわたしへの気持ちよりも優先するものがあるのは嫌なんです」
理性はやめろと言うのに、感情が言葉を止めてくれない。
別にソフィが、そう考えていたっていいはずだ。
ソフィとの関係を進めたいなら、わたしが頑張ればいいだけ。
なにも焦る必要なんてない。
なんでもソフィに頼るな。
ソフィとはものの見方も考え方も全然違うのは分かっていたこと。だからこそ、好きになったのに。
それなのに、わたしにとって嬉しかったソフィとの思い出が、同じ想いを共有できていないことに、こんなにも傷つくなんて。
「貴女より優先しているものなんてない。ただ、貴女のことを大切にしたいの」
「ソフィはいつだって、わたしを大切にしてくれています。ちょっとぐらい、強引に抱いたっていいじゃないですか」
「私は、私の初めてをあげたあの夜の、貴女のあの声を、絶望を知っているのよ。強引なことなんてできるわけがない」
「他の人と、ソフィがすることを一緒にしないで!」
もう、自分が何に怒っているのかもよく分からない。
過去の話しをしているのか、これからの話しをしているのか、区別もできない。
ただ悲しさが怒りに転化されているだけだった。
「待って、落ち着いて。どうしたの」
困ったような顔すらも、苛立ちを募らせる。
なんで分かってくれないんだろう。
わたしは、ただ。
ただ?
自分からソフィに抱いてほしいって言えないから、少しくらい強引でもソフィからしてほしかった。
そんな軽い気持ちで甘えてみただけなのに。
それなのに、考えてもいなかった頑ななソフィの気持ちを聞かされて。
でも、それが全然わたしには納得できなくて。
「わたしは落ち着いています。ソフィこそ、わたしに飽き、」
言いかけて、なけなしの理性がぎりぎりで止める。
ソフィの目がすっと細まっていた。
言ってはいけない言葉だ。
ああ、でも。
これはあの夜、ソフィの激情を最初に引き出した言葉でもある。
あの時と同じことが起きるなら、言ってみたい。
言ったら、どうなってしまうのだろう。
わたしのことを滅茶苦茶にしてくれるのだろうか。
「言ってもいいわよ。その代わり、お説教だから」
穏やかな、でも優しくはない声で機先を制された。
思わず、ソフィの太ももを掌で叩く。
「ちょっと」
「ソフィの分からず屋っ」
今日二回目の捨て台詞を残して、わたしは逃げ出した。
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