夏の夢 1
王女という生まれと育ちの割にと言うのは偏見なのかもしれないけど、ソフィは物欲が薄くて、こんな辺境の暮らしにもすぐに馴染んでしまった。
美容品など身の回りの実用品にはそれなりにお金をかけるけれど、趣味や装飾品、調度品といった嗜好品を買うことはめったにない。たまに、ごっこ遊びみたいなすごく馬鹿なことにお金を使うこともあるけど。その遊びで使った服も、ひとしきり自分で着て、わたしに着せて楽しんだ後は、村や行商に古着ということで格安で売ってしまった。元とは言え、王女の使用済み衣装が市井に流れたわけだけれど、大丈夫なのだろうか。
お金をかける実用品にしても、本当はわたしに使わせるために買っているではないかという疑惑を最近、感じている。
あまり自分のものを買わないソフィが珍しく買ったものの一つが、武骨な長剣だった。
騎士が持つような優美さを兼ね備えた片手剣とは別に、飾り気のない、片手でも両手でも取り回しができるように長い柄をもつ蛮剣。
ソフィは朝食前の日課に、その剣を振り回している。
朝食を作り終えたわたしは、ソフィを呼びに庭に出て、その姿に目を奪われていた。
ゆっくり、とてもゆっくりとソフィは動く。
銀のスプーンすら重いと言いそうなたおやかな容姿で、毛筋ほどもぶれることなく武骨な剣を取りまわす。
無駄な力は、どこにも入っていない。
内魔力すら使わず、羽毛でも扱うかのように軽々と、丁寧に型に沿って剣を振るう。
緩やかに、でも留まることなくソフィは動き続けている。
春の涼やかな気候でも、半刻(一時間)も続ければ、びっしりと汗をかく。
それを薄い肌着でやるものだから、白い肌が透けてしまっている。
知らず、ため息が漏れる。
心臓が高鳴る。
わたしだけのソフィ。
他の人にはもう絶対にこんな姿を見せたりしない。
あなたはわたしを無防備だと思っているようだけど、それは逆だ。わたしは無関心だっただけで気付かないわけではない。
むしろ、今なら自分がそういう目に鋭敏なのだと分かる。
あなたは、とても鈍感。
戦勝祝典のときもそうだった。
宮殿にいるときも、近衛騎士の訓練で今みたいに肌を透けさせていたのを見かけたときは唖然とさせられた。
女騎士が壁を作って、王女の肌に見惚れた若手騎士を冷たい目で見ていたのにも気付いていなかった。
正直、苛々する。
わたしがいくら奇麗だと言っても、身贔屓だとしか思ってくれない。
やきもきさせられる恋人の身にもなってほしい。
こんなとき、すごく触れたくなるし、触れられたくなる。
最近は深い口づけをしても大丈夫になってきたし、そろそろ平気だろうかと思う。
無理だ。
考えるだけで、頭が沸騰しそうになる。
「ソフィ、ご飯ですよ」
ずっと見ていたい気持ちもあるけれど、こういう時のソフィは無心で、放っておくと延々と剣を振り続けている。
わたしが声をかけると、静かに動きを止めて深く、長く息を吐き出す。
余韻を残したその姿が、あまりにも美しかった。
黄金の鬣をもつ美しい獣。
軽く剣先を払う動きをして、踵を返したソフィはわたしの所に戻ってきた。
壁に立てかけてあった鞘を渡すと、剣を納めていつもの優しい微笑みを向けてくる。
「ありがとう、テレサ」
先ほどまでの研ぎ澄まされた雰囲気は消えて、柔らかい空気に戻っている。
いつ見ても詐欺みたいだな、と思う。誰がこのおっとりとしたお姫様が、優れた騎士で、獣のような戦士だなんて思うだろうか。
用意しておいた手拭いで、ソフィの汗を拭う。
額から下がって、髪を上げているから露になっている項のあたりで、くすぐったそうに身をよじらせる。
汗で強くなった甘い匂いが漂って、頭がくらくらした。
「テレサ、自分でするから…」
ソフィの言葉を無視して、ほとんど抱きつくような近さで胸元を拭きながら、首筋に唇をつける。
汗は、少ししょっぱかった。でも、いやな味ではない。わたしは夢中になって、舌を這わせる。
ソフィの手が抱き締めるように回されて、わたしの腰を触れるか触れないないかという強さで撫でた。
その手つきに余裕が感じられて、わたしは少し不満に感じる。
前だったら、絶対に寝室に連れていかれていた。
あんなにわたしの体に夢中になってくれていたのに。
わたしが無理だと言ったから、大切にしてくれているのは分かるけれども、我慢できるくらいの衝動なのかなとも思ってしまう。
もう、わたしの体にそんなに魅力を感じていないのだろうか。
わたしはソフィへの気持ちが大きくなりすぎて、そういうことをする余裕がないだけで、むしろ欲求は強くなっている。
以前は快楽よりも心が満たされることが嬉しかったけど、いまはソフィをそういう目で見ているし、情欲もある。
ソフィの気持ちを疑っているわけではない。
あなたの態度も、言葉も、目も、その全部がわたしを愛していると語っている。あれが嘘だと言うなら、世の中に真実なんてないし、その嘘がわたしにとっての真実だからそれでもいい。
でも、わたしはソフィに求められたい。
だって、わたしは自分の体が未だに好きになれない。ソフィに求められて、夢中になってもらえれば、自分の体を認められる気がする。
「テレサ…朝食、でしょ」
軽く腰を叩かれた。
冷静すぎて、腹が立つ。
もう汗を拭くの何てとっくにやめていて、いくつもの痕をあなたの首筋に残すことだけしかしていなかった。
唇を離して、あなたの目を見る。
愛しいものを見る、慈しみの目。でも、そこに情欲の火は感じられない。
唇に唇を押し付ける。
わたしは口づけが下手になった。ソフィと唇を重ねていると思うだけでいっぱいいっぱいで、上手くすることができずにぎこちなくなってしまう。
気持ちいいとか思う余裕もない。
何度も、唇を押し付けながら、ただ想いを溢れさせる。
「ソフィ、好き…大好き…」
腰を掴まれて、壁に押し付けられた。
頬を撫でられ、下唇を軽く食まれて舌先でつつかれる。
薄く開いた口の中に舌が侵入してきて、歯茎を一しきり舐めた後、舌を絡められた。
わたしからしても上手くできないから、いつもこうやって導いてくれる。
奉仕するような口づけだと思う。
恋が落ちるものなら、愛は捧げるもの。
ソフィは私のことを愛してはくれているけれど、恋してはくれているのだろうか。
あなたの想いは深くて、大きくて、恋なんてとっくに通り過ぎてしまったのかもしれない。
それは少し、寂しい。
そんなのわがままだって分かっている。
どれだけのものをこの人に
一緒にいてくれて、愛してくれて、毎日が穏やかで楽しくて。わたしには何の関係もないと思っていた人並みの、いえ、それ以上の幸せをもらっているのに、もっと欲しがるなんて。
壁に押し付けられた体を押し返すように、ソフィに体を押し付ける。
口づけが深くなり、ソフィの掌が置かれた腰から体の奥に痺れが広がっていく。
なんて、あさましい心と体なんだろう。
でも、そういう体にしたのはソフィにだって責任がある。
わたしからして欲しいなんて恥ずかしすぎて言えないのだから、わたしの言葉なんて無視して、ソフィが強引に進めてくれればいい。
そんなずるいことを考えている。
足に力が入らなくなったわたしを、ソフィが抱えるように支える。
唇が離れ、荒い息であなたを見上げるわたしの唇を、あなたの指が撫でる。
「もう、いい?」
そのソフィの言葉に、わたしは自分でも驚くくらいに頭に血が上った。
なに、それ。
「なんですかそれ」
考えていることが、そのまま口から出てしまう。
「わたしがして欲しそうだったから、してあげたってことですか」
「え?」
ああ、わたしは無茶苦茶なことを言っている。
まったく理解できていない、きょとんとした顔にも腹が立つ。
「ソフィの馬鹿! きらい!」
ソフィを押し退ける。
本当は、私が押したくらいでは小動もしないくせに、一歩下がってくれるのにも苛立つ。
家の中に駆け込むわたしの背中を、ソフィの声が追いかけてきた。
「きらいはだめでしょ!」
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