翼はないけど 2

「姫様、食後のお茶をお淹れしました」


 ソファーに腰掛けたわたしの前に、音もなくカップが置かれる。

 本当に、ほぼ一日、お姫さま扱いされてしまった。


 料理も掃除もさせてもらえず、ほとんどソファーに座っているだけの一日。

 役割を演じるのなんて慣れているはずなのに、どうすればいいか何も分からなくて、ただただソフィの奉仕を受けているだけだった。


「…ありがとうございます」


 礼を言っても、ソフィは澄まし顔で一歩引いて立っている。

 その態度に遊びと分かっていても、少しだけ胸の奥が針で刺されたような痛みを訴える。


 それにしても、侍女の役が、これほど似合わない人もいないと思う。

 童顔気味でふんわりとした容貌のソフィに、お仕着せは可愛らしいとは思うけど、この人が侍女に見える人なんていないでしょう。

 ソフィの場合、容姿、立ち居振る舞い、雰囲気の何もかもがお姫さま過ぎて、何を着ててもお姫さまなのだ。

 あなたを侍女にしなければいけないお姫さまがいたら可哀想すぎる。

 ソフィがこの格好で本物のお姫さまと一緒にいても、お姫さまが侍女の格好をして遊んでいるとしか誰も思わないのではないだろうか。

 いや、事実としていま、まさにその遊びをしているのは置いておいて。


 考えるだけで頭が痛くなる。

 たまにこの人、本当に馬鹿なんじゃないかと思うことがある。

 元とは言え五王国の王女にお姫さま扱いされて、侍女扱いしなければいけない遊びって何。

 ローレタリアの近衞騎士にでも見られたら、卒倒するか、わたしに切りかかってくるのではないだろうか。

 自虐でやっているのかとも思ったけど、ソフィは屈託なく楽しそうだ。


 わたしはため息をついて、ソフィの淹れてくれたお茶を口にする。


「…美味しいです」


 家事全般なら孤児院や神殿で経験のあるわたしの方が得意だけど、こういう上流があることだとソフィの方が上手いことが多い。

 自分でやったことがなくても、どうすれば美味しくなるのか、美味しいものを飲んだことがあるのかの知識や経験が違うから。


「光栄です」


 短く答えて、ソフィはおすまし顔に戻ってしまう。

 何だか、ソフィに奉仕されるのは慣れているはずなのに、妙に緊張する。

 普段はすごく自然にわたしの世話を焼こうとするから、仰々しくされるのに慣れない。


 半分ほど減ったカップを、受け皿に戻す。


「…あっ」


 カップから引いた指先を取っ手にひっかけてしまう。

 倒れたカップから零れたお茶が、手にかかる。


「テレサ、大丈夫?」


 素早くわたしの手を取ったソフィが、エプロンで拭きとる。


「火傷していない?」

「そんなに熱くなかったから大丈夫です」


 心配そうにわたしの顔を覗き込むソフィは、いつものソフィだった。

 なぜか、じわりと涙がこみあげてくる。


「テレサ、本当に大丈夫? 熱かったの?」

「ちが、います」


 わたしの手を握ったままだったソフィの手を、強く握り返す。


「いつものソフィが、いいです」


 涙ぐんだわたしの言葉に、ソフィは驚いたように目を見開く。

 手を握ったまま、わたしの隣に腰かける。

 温かな体温を感じて、体の強張りが解けるのが分かった。


「テレサは楽しくなかった?」


 わたしはゆるゆると首を横に振る。


「上手くできなくて、ごめんなさい」

「遊びなんだから、そんな真面目に考えないで。でも、気づいてあげられなくてごめんね」


 こんなことで泣きそうになっている自分に、幻滅する。

 ソフィを楽しませてあげることもできないなんて。


「ソフィが楽しいなら、わたしも楽しまないと…」

「そんなこと言わないで。私の遊びには、仕方ないなぁくらいで付き合ってくれればいいから。テレサはテレサが楽しいと思うことを見つけて」


 そんなこと、考えたこともなかった。

 ソフィといるだけで、温かで、それでいて想いが溢れて心臓が高鳴る。変わることのない毎日に、わたしは十分に満たされていた。

 ソフィは違うのだろうか。わたしといるだけでは、満たされないのだろうか。


 不安な気持ちが強くなって、ソフィに体をぴったりと寄せる。

 ソフィの左手に光る指輪が目に入って、驚くほど簡単に心が落ち着いた。

 大丈夫、わたしがどんなに欠けた人間でも、ソフィはわたしを見放したりなんてしない。

 わたしだって、ソフィから離れたりなんてしない。


「…今度は、わたしがソフィに服を贈ります」

「ごっこ遊びは楽しくなかったのでしょう」

「ごっこ遊びはよく分からなかったですが、奇麗なソフィを見るのは好きです」

「嬉しい。でも、いいの?」

「何でですか?」


 ソフィが意味ありげな目でわたしを見る。

 最近、見なくなったわたしを抱こうとする時の目だった。


「女に服を贈るって、脱がせたいからよ」

「なんでそういうこと言うんですか!」


 一瞬で、自分の顔が真っ赤になったのが分かった。

 ソフィに掴みかかり、ソファーの上で揉み合う。

 ソフィはすごく楽しそうで、恥ずかしかったけど、わたしも嬉しくなってしまう。


 しばらく戯れのような揉み合いをした後、わたしたちはお互いの肩に寄りかかるように座り直した。


「さっきの…ソフィもそうなのですか?」

「服のこと? もちろん、下心もあるわ」

「…そうなんですね」


 横目でソフィの様子をうかがう。

 下心があると言っているけど、ソフィにそういう様子は感じられなかった。


 ソフィとするのは、楽しいと言っていいのだろうか。

 口づけや、それ以上の行為も、あれほど満ち足りた気持ちになれることを他にわたしは知らない。でも、あれを楽しいと言ってしまうのは何かが違う気もする。

 どちらにしろ、いまのわたしにソフィとそういうことをするのは無理だ。

 好きすぎて、心臓がもたない。

 あんな痴態をソフィに晒していた少し前までのわたしに、羞恥心はないのかと説教をしてやりたい。

 

「今度は、馬でも買いましょうか」

「…うま?」


 あまりにも唐突なソフィの言葉に、一瞬、何を言っているのか分からなかった。


「馬ですか? わたし馬、乗れません」

「教えてもいいし、私たちくらいなら二人で乗れるから。それで、ちょっとした旅行でもしてみましょう」


 わたしは、その言葉に頭を殴られたような衝撃を受けていた。

 なぜかわたしは、自分がこの家から離れられないものだと思い込んでいた。

 旅をする魔女の記録だって読んだことがあるのに。


 旅行。旅。ソフィと二人で。

 それはとても楽しい気がする。

 この家に来るまでの旅は、楽しかった。


「いいですね。それは楽しそうです」

「よかった」


 わたしを見るソフィの目が優しすぎて、心の襞を撫でられたようだった。


「魔女になることが、何も変わらなくなることじゃなくて」


 そうだ。

 魔女になったばかりの頃のわたしと、いまのわたしでは全然違う。

 わたしはいまが満たされていると思っているけれど、停滞し、変わらなくなったら、きっと心は動かなくなってしまう。

 そうなったら、たとえ二人でいても、時の流れにおいて行かれて孤独の絶望に囚われてしまう気がする。


「ふふ。太って嫌われないように気をつけます」

「テレサはもう少しお肉つけて!」


 そう言って、ソフィはわたしの膝に頭を乗せてきた。

 口元をおさえて、欠伸を隠している。


 取り止めのない話しをしながら髪を撫でていると、やがて穏やかな寝息が聞こえてきた。

 膝枕であどけない寝顔を見せるあなたの髪を、飽くことなく撫でる。

 今日は一日動いていたから、疲れてしまったのでしょう。

 馬鹿みたいだけど、そういうところが好きだし、そういうところにきっと救われている。


 そして少し、妬ましい。

 以前はそんなことまるで思わなかったのに、あなたを羨ましいと思う気持ちがある。

 自由で、ある意味欲望に忠実。

 わたしはきっと、あなたのようにはなれない。

 自由な心の翼は、わたしにはない。


 でも、それでもいい。

 二人でいれば、わたしも変わっていける。


 あなたという翼があれば、わたしもどこへだって羽ばたけるのだから。

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