春を想う 4
わたしは、ソフィと口をきかなくなった。
傷つける言葉を言ってしまうのが怖かった。
だけど、その態度が逆に傷つけていることは分かっていた。
どんなふうにあなたと話していたのかも、分からなくなってしまった。
それでも、あなたは言った通り変わらなかった。
普通に話しかけてくるし、過剰にわたしに気を遣うこともない。
わたしも無視したいわけではないので、話しかけられれば首を縦か横に振るだけで返事はする。
あなたに触れられない。
でも、離れるのも嫌だった。
だから、あなたの動きを気付かれないようにずっと目で追うようになった。
いえ、きっとあなたは気が付いている。気が付いていて、知らないふりをしているだけ。
料理をさせてくれなくなったのと、入浴を一人でさせてくれなくなったのも言った通りだった。
料理は別にかまわない。
ソフィが喜ぶから作っているだけで、別に好きなわけではない。
でも、入浴はいやだった。
体を見られたくないし、わたしの体はあなたに触れられたら、勝手に準備を始める。あなたにそういう体にされてしまった。
そういうわたしを見て、あなたが止まってくれるとは思えなかった。
でも、あなたは服を脱がずに事務的にわたしの体を洗うだけだった。
そのことに、わたしの心も体も不満を抱いている。
自分のあまりのあさましさに、吐き気すらする。
一緒に寝ることはやめた。
いつも寝るときはソフィの部屋だったから、自分の部屋で寝るようにすれば、何も言わなくてもあなたは分かってくれる。
あなたの温もりがないと、もうまともに寝付けないことに今さらのように気が付いた。
それでも、一緒に寝てあなたに触れられないことにも、触れてもらえないことにも、我慢できるとは思えなかった。
あなたのことが、憎くすらあった。
こんなにもわたしの心を依存させて、支配して、犯して。あなたがいなければ、息もできないような人間にされてしまった。
それの、何がいけないのだろうか。
そう思うわたしがいる。
何もかもあなたに委ねてしまえば、楽になれると分かっている。
心も体も全部、預けてしまえば、あなたはわたしを捨てたりしない。こんなふうに拒絶するみたいなことをしていたら、本当に離れていってしまうかもしれないのに。
それなのに、なんでこんなに頑なになっているのだろう。
あなたがいいって言ってくれたのに。
ソフィが「良い」と言ったことは良いのに。
依存して、支配されて、心まで犯されて。
それで、いいのではないだろうか。
あなたがくれた心が、あなたのものなのは当たり前のことなのに。
それなのに、それでは駄目だと言う自分がいる。
それがどうしてなのかが、分からない。
対等と言ってくれたあなたの想いに応えたい。
同じだけの想いを返したい。
そんな理屈は分かっても、それが自分の心のどこから出てくるのかが分からない。
分かったふりをして、人とまともに向き合ってこなかったせいなのだろう。
きっと、わたしはあの孤児院の裏庭で蹲る子どものままなんだ。
そんな答えの出ない迷いの日々でも時間は過ぎて、本格的な冬が訪れていた。
雲竜山脈にも近いこの地域は、冬になると雪に閉ざされる。
すでに家の外はだいぶ雪が積もってきているよう。
「テレサ、村に買い出しに行ってきますね」
あなたの言葉に、ソファーの上で黙って頷く。
冬になると行商の数も減るから、食料品などを買いだめに行くのだろう。
減るとは言え、数日に一度は来ていたものが十日に一度になるくらいだけど。
ソフィが言うには行商には斥候の兵士が混じっていて、行商自体に国の手が入っているようだ。
魔女が飢え死にでもしたら笑い話にもならないから、様子見と物資補給を兼ねているということなのだろう。
今までは、買い物も一緒に行っていた。
手を繋いで、二人で森の径を歩いて。
それだけのことが、どれだけ楽しかったのか、どれだけ幸せだったのか、今になって分かる。
失ったわけではない。
追いかけて、手を掴んで、一緒に行こうと言えば、それだけでいつだって取り戻せる。
でも、それだけのことができない。
ソファーの上で、膝を抱えて目を閉じる。
今ごろ、あなたはどのあたりだろう。
そろそろ、村につく頃だろうか。
あなたが何を見ているのか、気になる。
わたしのいないところで、何を見て、何を思うのか、気になって仕方がない。
そして、無意識に自分がやろうとしたことに愕然とした。
やめろ。
駄目だ、そんなことをしては。
でも、もしあなたがわたしのいないところで、わたし以外の誰かにあの笑顔を見せているとしたら。
そんなの我慢できない。
理性が、わたしのなかのソフィが「それは悪い」という声を無視して、わたしは。
繋げて、しまった。
こんなことのためにくれた契約じゃない。
使い魔の契約はあなたがわたしの傍にいる約束としてくれたもので、本当にその主としての権能を行使することは、その約束を貶めるものだ。
あなたの尊厳を無視した、絶対に許されない行為。
涙がこみあげてきそうな後悔とは裏腹に、権能はあなたの見ているものをわたしに見せてくれる。
視界を繋げるときに深く繋げすぎてしまったのか、吃驚するあなたの心の動きが、少しだけ伝わってきた。
その驚きはすぐに収まり、何でもないように繋がりを許す。
臆病さで、せめていつでもあなたから繋がりを断てるようにしたけど、あなたは気にした様子もなく歩き出す。
森を抜けて、村に入る道。
あなたと二人で何度も歩いた道。
ああ、でも。
あなたの目から見る世界の、なんて美しいことだろう。
風にそよぐ木々の合間からこぼれる木漏れ日はきらきらと瞬いて。
冬の高い空は透き通るように澄んでいて。
降り積もる雪ですら心躍らせる綿菓子のよう。
村の人たちも、あなた見ると顔を綻ばせる。
雑貨屋の娘はあなたに憧れていて、自分をあなたに似せようと頑張っている。
自警団の青年たちがあなたに向ける視線は熱い。
あなたは声をかけられる度に立ち止まって、話を弾ませる。
ずるい。
五王国の王女なんて至尊に近い立場にいたくせに、なんでそんな自然に人と打ち解けられるの。
わたしは役割の仮面がなければ、人と上手く話すこともできないのに。
あなたしか見ていないわたしとは違う。
あなたは王女なんて枷がなければ、どこへだって行けるし、誰だって選ぶことができる。
いつか、その自由な翼を広げて羽ばたいてしまうのだろうか。
翼を捥がれたわたしをおいて。
視界の繋がりを断つ。
あなたが見ているものを見ていたいけど、見続けているのも辛い。
目を開けると、そこはいつもの居間。
あんなに居心地がいいと思っていたのに、あなたがいなければ寒々しくて、何も感じないただの部屋だ。
ここが、この家がわたしの檻。
どこにも羽ばたくことなんて出来ない。
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