月の満ち欠け 4

 もちろん、シーツとテレサの下着が大変なことになった。

 だから、終わってからにしようって言ったのに。


 自分で片付けると言うテレサの体を奇麗に拭いてから、夜着を着せて私の寝台に放り込んで、血とかいろいろなものでぐちゃぐちゃになったものを洗い場で洗って庭に干す。

 空を見上げれば、日は天頂を越えていた。

 朝から二刻(四時間)も何をしているんだ、私たちは。


 反省はするけれど、心は充実感に満たされているのだから、本当にどうしようもない。

 ひと月ぶりに、しかもなんの憂いもなく愛でられるテレサの体は、言葉に出来ないほど良かった。

 私を呼ぶ切なく甘い声、汗ばんだ白い肌、誘うような蕩けた瞳。油断するとそれらが思い出されてしまいそうで、なるべく考えないようにする。


 朝から何も食べていないのを思い出して、台所で麦粥を作る。

 これくらいは、野営でも定番なので、私でも作れる。

 その時間で頭を冷やして、粥を持ってテレサのところに戻った。


 部屋に戻ると、寝台で上半身だけ起こしたテレサの目が私に向けられる。

 しっとりとした、情事の熱を残した瞳。

 私は思わず、目を逸らしてしまった。


「テレサ、その目やめてくださいませんか」

「なんのことです?」


 声も吐息混ざりになっていることに、本人は気が付かないのでしょうか。

 煽っている自覚がなくて、困る。

 爛れた生活になって、そのうちテレサから色魔扱いされそう。

 テレサが悪いのに。


 私はため息をついて、寝台の端に腰かけ枕元に麦粥を載せたお盆を置く。

 テレサの顔色を確認すると、辛そうな様子は感じられなかった。


「具合は大丈夫ですか。無理をさせていませんか」

「いえ。むしろ、だいぶ楽になりました」


 たしかに、血色もよくなって、艶々しているように見える。

 無意識に私はテレサのお腹を撫でようと、手を伸ばした。

 その手を、ぺしりとテレサがはたき落とす。


「いたいです」


 私の抗議に返ってきたのは、じっとりとしたテレサの半眼だった。


「ソフィ。それ、絶対またしますよね」


 そんなことはない、とは言えなかった。

 いえ、違う。そうじゃない。


「テレサが変な雰囲気とか声をだしたりしなければ平気です」

「無理なので、やめてください」


 無理なんだ。そうなのですね…

 私たちの間に気まずい沈黙が流れる。

 気まずいけど、嫌な雰囲気ではなくて、それこそ情事の前の雰囲気に思えてしまった。


「あ、あの。ご飯作ったので食べましょ。ね」


 お盆の上の麦粥をテレサに差し出す。

 黙って受け取り、食べ始めるテレサを横目に、私も自分の分を食べ始める。


 しばらく、匙がお椀に当たる音だけが、部屋に響いた。

 食べ終えた私が口元を手拭いで拭いていると、テレサの視線を感じた。

 もの問いたげなその目に、首を傾げてみせる。


「ソフィは月のもの軽いのですか。あまり大変そうな様子はありませんが」

「私ですか? 私は止めていますので」

「え」


 ぽかんとしたテレサの顔を可愛いな、と思いながら説明する。


「言ってませんでしたか。内魔力で生理機能を制御しているって」

「それは聞いたことがありますが。そんなこともできるのですか。ずるい」

「ずるい、と言われても」

「それ、わたしにもできますか」

「どうでしょう。近衛の女騎士はできたりできなかったりでしたが」

「それ、最高峰の内魔力制御技術を要求されるってことですよね。わたしには無理そうです」


 テレサはため息をついて、自分のお腹を押さえた。

 もう何年もその辛さを味わっていない私には、慰める言葉がなかった。


「はぁ…こんなのいらないのに」

「魔女って、子どもできるのでしょうか」

「どうでしょう。ソフィとは試せませんし、わたしには本当にいりません」

「そぉ、ですね」


 思わず、声が上擦ってしまった。

 そういうこと、恥ずかしげもなく言うんだから。


 私にその機能があったら、試してみたいということでしょうか。

 だからと言って、男になりたいとは思わない。

 私が女でなかったら、きっとテレサとこうはなっていなかった。同じ女だからこそ、分かってあげられるものもあるし、与えられるものだってある。


「まあ、健康な証拠なのですからいいではないですか」

「他人事だと思って」


 不満そうな目を向けてくるテレサに、愛想笑いを返す。


「ですけど、どうしてちゃんと来るようになったのでしょうね」

「はぁ?」


 誤魔化すように言った私の言葉に、テレサの目の険が強まった。


「本気で言ってます?」


 静かな声が、怖い。

 これは、本気で怒りかけているときのテレサだ。


「えぇ、と。何か気に障ったでしょうか」


 じっと私のことを無言で見てから、大げさにため息をつく。

 それから、冷や汗でたじたじの私の様子に、小さく笑いだす。

 次第に大きくなっていく笑いを我慢できなくなったのか、寝台に蹲って背中を震えさせている。


 呆気に取られた私は、その笑いが治まるまで、その背中をさすり続けた。


「もう、どうしたんですか」


 ようやく笑いの発作を治めたテレサが、背中をさすっていた私の手を握る。


「だって、わたしたちって本当に馬鹿だなぁって」

「どういう意味です?」


 テレサは握った私の手を持ち上げて、その甲に唇を寄せる。


「お互いのことばかりで、自分のことがぜんぜん分かっていない」


 かすかに触れた唇と吐息の感触が、手の甲をくすぐる。

 テレサがこんなふうに自分から私に触れてくるのは珍しいので、嬉しい。


「わたしの心が体に、きっとこう言っているんです」


 目を閉じたテレサが、愛し気に私の手の甲に頬を寄せる。


「この人の傍にいれば安心だよって。何も心配することなんてないんだよって」


 そのとき、胸に溢れた気持ちを言葉になんてできない。

 どうして、涙が零れそうなのだろう。


 私はテレサの全部なんて、救ってあげられていない。

 自分がテレサの傍にいたいから、一方的に押しかけてきただけ。

 私が擲った責任や立場に相応しいだけの意義のあることなんて、きっと出来ない。

 それは、世界に背を向けてテレサだけを選んだときから私が背負った罪。


 罪は罪だとしても、テレサを救わなかった世界に許されたいわけでもない。


 それでも、少しは、何かはテレサの救いになれたのなら。

 そうであるなら、それだけが私の罪を贖ってくれる。

 きっと、テレサを選んだその日から、テレサだけが私に許しを与えられる存在になった。


「ソフィ、また泣いているのですか」


 私の頭を、テレサが抱き締めてくれる。

 その胸に顔を埋めて、腰を抱き返す。

 温かい。その温もりだけが、私が生きて、この手に残った全てだ。


「いいえ、少し嬉しかっただけです」

「そうですか。ソフィは泣き虫だから心配です」


 貴女を救うどころか、貴女に縋る弱い私を許してほしい。


 愛しているなんて、いまは言えない。

 ようやく人の心を取り戻したばかりの貴女に、私がそれを言うのは卑怯すぎる。

 私を手放さないためだけに、貴女はきっと受け入れてしまう。


 いえ、そんなの言い訳だ。

 私は、怖い。

 唇や体を重ねても、きっと貴女は恋や愛を知らない。

 私が貴女に向ける想いと、貴女が私に抱く想いが別のものだと気が付かれてしまうのが怖い。

 だから、私は貴女の想いが私に追いつくのを期待して、待っている。

 それどころか、貴女に私しかいないのをいいことに、そうなるように仕向けている。

 そんな卑怯な私を知られたくなくて、隠している。


 それでも、この想いのすべては貴女のものだから。

 幾年月重ねても、想い続けるから。

 想うだけは、許してほしい。

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