月の満ち欠け 2
新しい家の中を歩いて回る。
入り口から入るとすぐに広めの居間になっている。
真ん中に置かれた足の短いテーブルを挟んで、二人掛けのソファーが置かれていた。
「テレサ、テレサ。広い居間ですね」
「姫さまの部屋の半分もないのでは?」
「あ、また、姫と言いました」
私の指摘に、テレサは口を押える。
まだ慣れないのか、たまにぽろりとテレサは私を姫と呼んでしまう。
「ソフィ」
「はい、ソフィです」
ソフィーリアは王女の名前なので、私はソフィアと名乗っている。
テレサが私を「ソフィ」と呼んでくれるから、その部分は変えたくなかった。
私をソフィと呼んでいいのは、この世で一人だけ。
「ソフィ。暖炉があります」
「冬になったら暖炉に火をいれて、ここでゆっくりしましょうね」
私が頬に軽く口づけると、テレサはくすくすと忍び笑いを漏らす。
頬に頬を重ねると、冷やりとして吸い付くようだった。
その腕を引いて、居間の奥に向かう。
居間の奥は台所になっていて、詳しくない私から見ても、かなり最新の設備が整えられているように見えた。
先代の魔女は、料理が趣味だったのかもしれない。
「テレサ。台所です」
「ふふ。お料理はわたしが作りますね」
「嬉しい。でも、私だって作りますよ」
「ソフィ、野営料理しかできないじゃないですか」
「これでも、王女なんてやっていましたので。宮殿で料理は、させてもらえませんでした」
「王女様が野営料理できるほうがどうかと思いますけど」
それはそう。
騎士団の軍事訓練で覚えた技術なので、普通の王女はできないでしょう。
「お手伝いしますから、教えてくださいね」
そのまま二人で、台所の奥を覗き込む。
浴槽の置かれた洗い場になっていた。
「テレサ。浴槽があります」
湿度の低いローレタリアの更に北で、一般家屋の風呂場に浴槽まで置かれているのは珍しい。
都市部であっても、公衆浴場が普通だ。
「二人でも入れそうですね」
「…いやらしい」
「えっ?」
未だかつて言われたことのない言葉に、私はテレサの顔を見る。
その頬がうっすらと朱に染まっており、思わず見とれてしまった。
「…テレサだって私のこと裸にして洗ったくせに」
「あれは介護です」
「嘘です。罰だって言っていました。変態」
睨みあった私たちは、でもすぐに我慢できずに二人して吹き出してしまう。
私たちはひとしきり笑いあった後に居間に戻り、今度は居間から伸びる廊下に進む。
廊下には扉が三つ。
手前から扉を開ける。
部屋の中は書庫になっていた。
所狭しと並べられた書棚に、ぎっしりと本が詰め込まれている。最近では印刷技術の発達で廉価になってきてはいるけれど、それでも本は庶民には高価だ。
「テレサ、本お好きでしたよね」
宮殿にいた時、テレサは暇があると本を読んでいた気がする。
「あ、いえ。まあ、そうですね」
煮え切らない返事に、私は首を傾げる。
「何かあるのですか」
「…いえ、何でもありません」
「言って」
「本当に、大したことではないんです」
そう言いながらテレサの浮かべた微笑みは、作った聖女の顔に近くて気に入らなかった。
私はテレサの頬を両の掌で挟んで、紫紺の瞳を覗き込む。
「言いなさい」
テレサの瞳が揺れ、私の手の甲に掌を重ねてくる。
「宮殿で読んでいたのは、魔女に関する本と、魔女が著したと思われる本です」
「どうして?」
「魔女の役割とはどういうものなのかと思って」
「貴女は…」
まだ、そんなことを。
責めるようなことを言いたくなくて、私は無言でテレサを強く抱き締めた。
そんな私の気持ちはきっとテレサに筒抜けで、テレサの腕がそっと私の背中に回されて、抱き締め返してくれる。
少し泣きそうになってしまった私の背中を、テレサがあやすように撫ででくれた。
「今はもう、そんなこと考えていませんから」
「本当に?」
「はい。今はソフィとの生活を楽しみたいです」
「テレサ…」
抱擁を緩めて、テレサの唇に軽く口づける。
テレサの唇が微笑みの形を作ってから、ほんの少しだけ開く。
今度は下唇を食むように口づけると、テレサの方から噛みつくように深く唇を重ねてくる。
テレサは自分から口づけしてくることはないくせに、私がすると待っていたとばかりに深く長くしてくる。
誘っているのか、たんに口づけが好きなのか、私には分からない。
ぴちゃぴちゃと頭の内側に響く淫靡な音に、だんだんと理性の箍が緩んでくる。
いつの間にか、私の手がテレサの胸に触れていた。
「あっ」
急に素に戻ったテレサの上げた声に、私は慌てて胸に触れていた手を離す。
口づけの胸の高鳴りとは別の意味で、心臓がバクバクいっている。
何で私が、悪いことをしているみたいな気分にさせられているんだろう。
「ソフィ。早く部屋を見て回らないと日が暮れてしまいます」
「ぅん。そうですね」
えぇ…
もしかして、私と睦事になるのを避けている?
テレサと関係したのは、あの夜の一度きり。無理矢理ぎみだったのは否定できないので、テレサが嫌悪感を持っていても仕方がない。
そもそも、テレサは別に私に性的な欲求を持っていない。
普通に考えれば、女同士でそういうことをするのに拒否感があってもおかしくない。
テレサが倫理観に欠けているのは、相手に何の感情を持っていないから。
自惚れさせてもらうなら、私のことを特別に想っているからこそ、負の感情だって持つ可能性があると思う。
そう言えば、テレサはお友だちになりたいと言ってくれたけれども、お友だちはそういうことをしないというくらいの常識はテレサも持っていた。
つまりあれは、お友だち以上のことはしない、という意味だったのかしら。
でも、口づけは受け入れてくれるわけですし。唇の口づけだって、お友だちはしないでしょう。
悶々とする私の手を引いて、テレサは次の部屋の扉を開ける。
寝台と執務机に衣装箪笥と、ごく普通の部屋だ。先代の魔女が生活していた部屋でしょうか。
その隣の部屋も、同じような寝台の置かれた部屋だった。
どちらかが客間なのか、それとも一緒に暮らす人がいたのか。
「ソフィ、どちらの部屋を使いますか」
「えっ」
一緒の部屋じゃないの!?
いえ、テレサだって一人になりたい時間はあるでしょうし。
一つ屋根の下で暮らせるのですから、それくらいは我慢するべきことなのでしょうが。
せめて、寝室は同じがいい。
「どうしたんですか?」
「いえ、私は護衛と言う建前ですし、手前の部屋を使います」
「そうですか」
怪訝な顔をするテレサに微笑みかけ、手を握る力を少し強める。
大丈夫。
時間だけはたくさんあるのだから。
嫌われているわけでもないのですし。いえ、例え嫌われていたとしても、振り向いてもらえるように頑張るだけ。
私の中に、テレサに対する疚しい気持ちは、ある。
テレサの体のいたるところに触れて、口づけて、甘い声で鳴かせたい。
それはテレサに向かうあらゆる感情と密接に結びついていて、切り離せるものではない。
でも、だからこそ、あの夜のように一方的に気持ちを押し付けることは、もうしない。
テレサとお友だちでいたいのだって本当だ。
友情とそれとは違う想いは両立するのでしょうか。
私を縛る王女と言う枷はもうないけれど、今の関係が壊れてしまうことが怖い。
私にはまだ、想いの全てを打ち明ける勇気はなかった。
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