王女の肖像 2 侍女の結婚

 王女ソフィーリアの葬儀はしめやかに行われた。

 王都は悲しみに包まれ、宮殿から神殿に棺を運ぶ葬儀の列には、一目見送ろうとする人々が集まった。


 王女ソフィーリアはローレタリア王家の中でも、最も民に近しい王族だった。

 十歳にもならない頃から、亡くなった王妃に代わって行啓を務める王女の成長を、国民全員で見守ってきたのだ。

 美しく、立派に育った王女は、ローレタリアの民の誇りだった。


 王家は日常通りに過ごすように布告を出したが、民の多くは自主的に喪に服した。

 一般用に本神殿に設けられた弔問受付には、弔花が山となって積まれることになった。


 ローレタリアの宮殿は、悲しみよりも混乱のほうが大きかった。

 何しろ、つい先日まで王女の健やかな姿を見ていたのだ。

 王女の姿を数日見なくなったと思ったところに、突然の訃報であった。


 この混乱はいい方向にも働いた。

 王家は殉死を厳しく禁じたが、もし王女の死に対して心構えする期間があれば、禁を破っても後を追うものが出たであろう。

 寝耳に水の訃報は、その覚悟をする期を奪った。


 混乱が収まる頃には、今度はまことしやかな噂が囁かれるようになった。

 王女は実は存命なのではないか、と。

 王の密命を受けて旅立ったという噂もあれば、同時期に王都を去った聖女と道ならぬ恋の果てに駆け落ちしたという噂もあった。

 しかし、王は王女のことを口にすると、極端に機嫌を損ねることから、次第に王女の話題は禁忌となっていった。


 そんななか、近衛騎士隊長サリア・クオ・トラヴィスは、王女が使っていた部屋から出てくる侍女を見かけた。


「シャーロッテ嬢。掃除ですか」


 王女付きの侍女であった、ルーメル伯爵家の三女シャーロッテ。

 美しいと言うよりは愛らしい容姿の少女は、サリアの声に振り向き、少し困ったように眉を下げた。

 同じ王女付きとは言え、職分の違う二人はほとんど話したことはない。


「トラヴィス様。はい、姫様がお戻りにならないなんて、まだ信じられなくて」 


 自分が今出てきた部屋の扉を、悲し気な目で見つめる侍女に、サリアは心を痛める。

 王女は生きているが、それを口外することはできない。


「姫様は…」


 シャーロッテは扉を見つめたまま、ぽつりと漏らす。

 それは、サリアに言っているというよりは、思わず零れ落ちてしまったという様子だった。


「いつも完璧な方でした…」


 その言葉はサリアに苦い痛みを呼び起こす。

 王女は完璧だと、完璧であることが当たり前なのだと、何も考えずに思い込んでいた。そんな人間はいないのだと、王族も人間なのだと弾劾する聖女の言葉が、今も耳に残っている。


「ですが、私たちが小さな失敗をすると、少しだけ楽しそうに笑ってくれたんです…」


 ああ、そうなのか。

 そんなことも自分は知らなかったのかと、サリアは思う。


「でも、そんなとき姫様は寂しそうにも見えて…」


 自分などよりも、この子のほうがずっと姫様をよく見ていたのだと、サリアは感心する。

 今年で二十五歳になるサリアよりも八つも年下の小柄な少女が、大人びて見えた。


 シャーロッテは自分の漏らした言葉に、はっとしたようにサリアに頭を下げる。


「申し訳ございません。姫様に失礼なことを」

「いえ。姫様はきっと咎めませんよ」


 サリアは少しだけ逡巡して、それからシャーロッテに声をかける。


「シャーロッテ嬢、よければ私に姫様のことを教えてくれないだろうか」


◇◇◇


 それからサリアは、非番が重なるとシャーロッテと会うようになった。

 サリアは公務での王女のことを語り、シャーロッテは王女の日常を語った。


 次第に王女以外のことも話すようになり、非番の日を合わせるように調整するようになっていた。


 二人はどちらも王宮住まいだが、会うときは街に出ている。

 話す内容が王族のことなので、話しが漏れないように喫茶の個室を借りることが多かった。


「…それで姫様ったら、お戻りになった日に聖女様と腕を組んだまま、おすまし顔をされていたんですよ。私もう微笑ましくて」

「そんなことが。あの日は酔っていらしたようですし。会場の警備をしておりましたが、男性が姫様に鈴なりになって大変でした」

「まあ。お酒の入った姫様は、同性でも少し目に毒なくらいですから」


 ころころと笑う少女に、サリアは微笑んで目を細める。

 愛らしい少女だと、思う。

 王女や聖女のような際立った美しさではないが、品のある愛らしい容姿をしている。

 飾り気のない白のワンピースが似合っていて、耳元を慎ましやかに彩る耳飾りと、若さを活かした自然な薄い化粧がお洒落だった。

 男物の動き易さを重視した洒落っ気のない服の自分が情けない気持ちも最初はあったが、今となっては彼女のお洒落を見るのが楽しみになってきていた。


「…トラヴィス様。聞いてはいけないことかもしれませんが」


 シャーロッテの瞳が揺れる。

 不安、だろうかとサリアは見て取る。


「姫様は、聖女様をお慕いしていたのでしょうか」

「そう言った噂があったことは聞いています」

「では、事実ではないと?」

「私には分かりません」


 事実として、サリアには分からなかった。

 あの二人が互いを想い合っていたことは間違いない。だが、二人が体の関係を持っていることを知っているサリアでさえ、それが恋愛感情なのかどうかは判断がつかなかった。


「しかし、何故そのようなことを? 下世話な噂に興味があるとは思えませんが」

「トラヴィス様は、女性同士の恋があると思いますか」

「ありますよ」

「え…」


 そのあっさりとした答えに、シャーロッテは年相応の幼げな表情を浮かべる。


「女騎士や貴女のような侍女の社会では、珍しいことではないでしょう」

「でも、それは女性しかいない集団だからの、代替行為ではないのでしょうか」

「そう言った場合もありますが、どちらも集団としては女性しかいませんが、周囲に男性がいないわけではありません」

「それはそうですが…」

「私は女性しか愛せない女性も知っていますし、たまたま容姿や人間性に惹かれて愛した相手が女性だった女性も知っています」

「それが、本当に恋愛なのかどうかは誰に分かるのでしょうか」


 その若い問いに、サリアは苦笑いを浮かべる。


「それは、女性同士とは関係ありませんね。誰かに恋をすることも、愛することも、本人以外にそれが本当かどうかなんて分かりません」


 いや、本人にだって本当のところは分かりはしないと、胸の痛みとともにサリアは思う。

 偉そうなことを言った自分自身にだって、分かってはいないのだから。


「そうですか…」


 シャーロッテが目を伏せたせいか、顔が翳る。

 女性を愛してしまったのだろうか、とサリアは考える。

 その想像はサリアの胸の痛みを深く抉るものであった。

 

◇◇◇


 そんな月日が過ぎた、ある日のこと。

 最近は王女のことを話すことも少なくなり、それでもいつも通りの個室で二人は話していた。


 やがて話は途絶え、テーブルを挟んで座る二人の間に沈黙が落ちる。

 シャーロッテは唇を噛み、それから意を決したように口を開く。


「侍女を、辞そうと思っています」

「正妃様が輿入れされる、この時期にですか」

「お妃様と姫様を比べてしまいそうで。そんなの失礼でしょう?」


 その葛藤は、サリアにもあった。

 アレクシス王に正妃として輿入れするのは、他の五王国の王女だ。五王国の王女は近衛の訓練に混ざったりはしないし、毎日のように公務や執務を入れたりはしない。

 それが普通の王女と言うもので、ソフィーリアを基準に考えるべきではない。

 聖女の言葉を思い出す。その人の何に仕えるべき価値を見出すのか。

 比べるのではなく、その人自身を見てみようとサリアは思っている。

 そんなことはシャーロッテもきっと分かっていて、それでも彼女は職を辞す方を選んだのだろう。


「そうですか。これからどうなさるのですか」

「父には好きにしていいと言われていますが、実家に戻ってお見合いを受けようかと思っています」


 そもそもが侍女と言う職自体が、貴族の次女三女が行儀見習いとともに、武官文官に見初められるためにあると言う側面がある。

 王女付きの侍女たちは、王女の結婚が決まるまでは、と自分の結婚を後回しにしているものが多かった。


「そうなると、こうして会うこともできなくなりますね」

「はい、残念ですが」


 シャーロットの目は穏やかに、しかし逸らすことなくサリアの目を見つめ続けている。

 何かを求めるように、どこか責めるように。


「それでしたら…」


 言いかけて、サリアは口ごもる。


「その、実は法服ですが子爵位を賜ることになりまして」

「まあ、おめでとうございます」


 ローレタリアにおける貴族とは、王の代理人として領地を治めるもののことだが、功績のあった武官や文官などに爵位だけを授けることがある。

 これを法服貴族と言い、徴税権をもたない代わりに貴族としての納税義務ももたない。名誉称号に近いが、貴族の社交界に参加できる人脈こそが最大の利益かもしれない。


「それで、その、妻を持つ必要がありまして」

「えぇ、そうですね。女当主でもサロンで交遊される奥様はいらっしゃった方がいいかと思います」


 ローレタリアでは女当主であっても、女の妻をもつことが慣習である。

 貴族夫人の社交界であるサロンに参加しないと、貴族社会の情勢から取り残される可能性があるための措置だった。

 とくに最大派閥であった王女ソフィーリアのサロンが消失し、おそらくは正妃が中心となって再編される現在は情勢に注意が必要な時期だ。

 もちろん、形だけの妻であり、別に夫を持つことも許されている。


「シャーロッテ嬢。私の妻になってくれないだろうか」


 シャーロッテは驚いたように目を見開く。


「それは妻の仕事のご依頼ですか。仕事以外は好きにしていいのでしょうか」


 聞き返したシャーロッテの顔からはいつもの柔和な笑みは消え、目は真剣な光をたたえていた。

 これは、どちらなのだろうか、とサリアの手に汗がにじむ。

 普通に考えるなら、形だけの妻であることを確認しているのだが。

 しかし、逢瀬を重ねた時間を信じたい気持ちのほうが強い。

 分からない、がサリアには誠実であることしかできない。それは、勇気の必要なことではあるが。


「いえ。貴女との時間を失いたくない。貴女と支えあって生きていきたいのです」


 シャーロッテが微かな笑みを浮かべて、その眦に涙が浮かんだ。


「一つだけ、条件があります」

「はい、何なりと」

「夫も愛人も作らないでください」

「言われるまでもないことですが、お約束しましょう」


 サリアの言葉に、シャーロッテは花が綻ぶように笑った。


「喜んで。あなたの妻になります」

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