王女の肖像 1 時の氏神

NL注意。百合要素なし。


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 アレクシスは妹の去った森の径を、無言で見ていた。

 いつになくささくれ立った様子に、遠巻きに警護する近衛たちも緊張が隠せない。


 王太子時代もそうであったが、アレクシスは無駄に周囲を威圧する王ではない。

 そんなことをせずとも、自然と忠誠を集める生まれついての王者だった。

 気さくな性格と言うわけではないが、感情の浮き沈みが少なく、かと言って人の感情が理解できない理屈やでもない。


 その王があからさまに不機嫌をまき散らしている。

 そもそも近衛からしたら、この状況自体が不穏過ぎた。


 王とその王妹ソフィーリア王女の仲の良さは、周知の事実だ。

 それが外向けの演技ではないことは、常に側にいる近衛にとって疑うべくもない。

 その二人が、凄まじく険悪な雰囲気になっている。

 更には、あの麗しき王女のご尊顔が、泣き腫らした後のように乱れていた。

 職務として顔や態度に出したりはしないが、近衛の心中は混乱のさなかにあった。


 近衛にとって、王女ソフィーリアは王の妹である王族だと言うだけの存在ではない。

 騎士とは、主君に忠誠を誓うとともに、高貴な貴婦人に剣を捧げるもの。

 その剣を捧げる相手として、王女ソフィーリアは絶大な人気を博している。

 たおやかで気品のある、騎士が理想として夢見る美しき姫君。それでありながら、王家の宝具を身にまとい戦場に立てば、一騎当千の騎士でもある。

 この姫に剣を捧げられるなら、命も惜しくないと思える、まさに戦女神。


 その王女と王の意見が違えるなど、悪夢以外のなにものでもない。

 騎士である以上、主君の命令は絶対。

 しかし、剣を捧げた貴婦人の意向に背くことは、騎士にとって剣を置くに値する背律だ。まして、その相手が王女ソフィーリアであるなら、近衛騎士が割れてもおかしくない。


 近衛にとっては、それほどの事態だった。

 そんな、近衛たちの胃を痛める時間が過ぎ去る。


 アレクシスのまとう空気がかすかに和らいだのは、ソフィーリアが去った径から魔女ティティスが戻ったのを見た時だった。

 魔女はアレクシスに近づくと、その完全には消えていない尖った気配に鼻をならした。


「お前の妹は成し遂げたぞ」

「…そうか」


 アレクシスはどこか遠い目で、妹が去った先を見る。

 その目にあるのは寂寥だったか。


「これで良かったのか?」

「契約の短剣まで渡しておいて何を。これで魔女モルガナも少しは安定するだろう」

「ふん。言っていることは立派だが、顔が不満たらたらだぞ」

 

 魔女の言葉にアレクシスは舌打ちを漏らす。


「今回の件、お前にしては煮え切らなかったな。妹が失敗していたら、どうする気だったんだ」

「お前がいれば、何とでもなっただろう。それに」


 一瞬だけ、アレクシスは口ごもる。


「あいつが仕損じることなど、ありえない」

「流石にそれは身内贔屓ではないか。実際、ぎりぎりに見えたぞ」

「そのぎりぎりを必ず拾うのがあいつだよ」

「僕にはよく分からないな」

「そういうところは、魔女モルガナ…ちっ、めんどくさい、テレサの方がいい勘をしていたよ」


 力量的には確実に、と言っていいほどに上回っていたテレサに、ソフィーリアとだけは戦いたくはないと言わせたのだ。

 勝てる、勝てないの問題ではない。テレサは自分の死など恐れていなかったのだから。

 戦うことになれば、戦いに勝ったところで、何かが決定的に敗北する。

 そんな、理不尽とも言える予感。

 その感覚はアレクシスも共有するものだった。


 もちろん、単純な戦う力も侮れたものではない。

 武芸の腕前は上の下の下。それでも大したものだが、近衛騎士で試合をすれば最下位争いをする程度。しかし、殺し合いをするとなれば話は別だ。

 剣も槍も馬術もそこそこ。ただ、本人すら理解していない戦うことそのものの才能だけが傑出している。

 何でもありの殺し合いなら、宝具なしでも近衛上位ですら危うい。


 アレクシスの認識では、あれは一種の獣だった。

 だからこそ、バルジラフにも単騎でぶつけた。

 宮廷魔術士や騎士をつけたところで、それらを守る戦い方をしては意味がない。それらをすり潰す戦いをしろと言っても、本人が意識して切り替えているのではないのだから。

 皮肉なことに、死地に単騎で放り込むことで最も発揮される類の才能なのだ。


「お前こそ、良かったのか。あの短剣を使ってしまって」

「ん。お前との契約は二十年後だから、また作ればいい」


 ティティスはそこで、首を傾げてアレクシスの目を覗き込む。


「しかし、兄妹揃って同じ選択をするとは、おかしな奴らだ」

「…あいつは、俺と同じではないさ」


 その目が、かすかに翳った。

 伸ばした指先が、かすかにティティスの頬に触れる。


「俺には何もかも捨てて、お前を選ぶことはできなかったからな」

「お前と妹では、立場が違うだろう」

「それでも、あいつだったら同じ道を選んだ気がするよ。だからこそ、お前だってあいつに肩入れしたんだろう。何を天秤にかけても、テレサを選んでくれると思ったから」


 アレクシスの言葉は、どこか自嘲を含んでいた。


「何だ。お前、妹に劣等感を持っているのか」


 その言葉にアレクシスは、盛大に顔を歪めた。

 ティティスの頬に触れていた指が、柔らかな頬を抓る。


「おい」

「…ふん。魔女はどいつもこいつも俺の大切なものを奪っていくな」


 頬をぐにぐにとこねる手をティティスにはたかれて、ようやく離す。


「いい加減、妹離れしろ。そんなに妹を取られて悔しいのか」

「悔しいさ。よりによって何であんな女にくれてやらなければならないんだ」

「呆れたものだな」


 一国の王とも思えない子供のような悋気に、ティティスは肩をすくめて首を振る。

 こんな男のどこが祖王の再来だと言うのか。もうおぼろげとなった千年前の記憶を遡り、いやどいつもこいつもろくでなしだったな、と考えるのをやめた。


「まあ、百年後くらいには仲直りしておけ」

「テレサの奴が百年ももてばな」


 いまだ嫌みを言うアレクシスの足をティティスが踏むが、まるで堪えた様子はない。


「百年、か。契約を果たした後だと、俺も歳をとっているだろうな」

「そうだな。誰か分からんかもな」


 嫌みを返されて、アレクシスは鼻を鳴らす。


「お前はいいのか。二十年後では、俺も老けてきているだろう」


 アレクシスのその言葉に、ティティスは冷たい視線を返す。


「自意識過剰もほどほどにしておけ。言っておくが、僕はお前のその胡散臭い王子様顔は嫌いなんだ。二十年くらい歳を重ねれば少しは見れたものになるだろう」

「ふむ。この顔をそこまで悪し様に言われたのは初めてだな」


 どこか趣深げに感心するアレクシス。

 妹のこと以外では何を言っても堪えないアレクシスに、ティティスはため息をつく。

 なんで、こんな男を、と思う。それでも、千年もの間で自分だけを選んでくれたのはこの男しかいないのだから、仕方がない。


 もう一度ため息をついて、ティティスは空間転移の門を開く。

 それを見て、アレクシスが怪訝な顔をする。


「何だ。帰るのか」


 どこへ、とはアレクシスは聞かなかった。

 それが、ローレタリアの宮殿ではないことは、二人には言うまでもないことだった。


「ああ。二十年後にまたな」

「そうか。またな」


 門をくぐろうとしたティティスの足が止まる。

 しかし、振り向きはしない。


「…なあ。別に契約何て果たさなくても、僕は別に恨まないからな」

「笑わせるな。そんなことを言うなら俺から奪ったものを返せ」

「それ、さっきも言っていたが、僕は別に何も奪っていないぞ」


 アレクシスは何も答えなかった。

 ただ、無言でティティスの頭を乱暴に撫でて、髪をくしゃくしゃにした。


「…恥ずかしい奴め」


 門の先に消えていったティティスが残した声は、どこか嬉し気だった。

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