エピローグ

 森のお屋敷には、魔女が住んでいる。

 この村の人間なら誰でも知っていること。


 魔女は村にお買い物に来ることもあるし、怪我した人を治してくれることもある。

 でも、幼馴染のセイラがお泊りに来た日に、同じ寝台の中で秘密を打ち明けてくれた。


 お屋敷には、魔女に捕まったお姫様が閉じ込められている。


 セイラのおうちは薬師で、セイラもよく森で薬草を摘んでいる。

 まだ十三歳のわたしたちは森に入ってはいけないけど、セイラはおうちの手伝いで特別に許されている。

 それはセイラがしっかりしていて、大人に信用されているからでもある。


 森の中でお屋敷の近くを通った時に、窓から外を見るお姫様が見えたというのだ。

 きらきらとした金髪のお姫様がどれくらい美しかったか、珍しく興奮気味にセイラは語ってくれた。

 でもわたしは、熱にうかされたようにお姫様を誉めるセイラがたまらなくいやで、耳をふさぎたかった。


 だからわたしは、お姫様なんているはずないと、セイラを嘘つきだと言ってしまった。


 そのときのセイラのとても傷ついた顔を見て、わたしの胸は張り裂けそうに痛んだ。

 すぐに謝りたくなったけど、他のひとを誉めるセイラに納得できなくて、言葉がでなかった。


 別れ際の、泣きそうになりながら睨んでくる瞳が忘れられなかった。


 その日、セイラは家に帰らなかった。

 そのことをセイラのお母さんから聞いたわたしは、決まりを破って森に入った。

 きっとセイラはお屋敷に行ったんだ。


 暗くなり始めた森は怖かったけど、お屋敷までは小径があって迷うことはなかった。

 お屋敷、と村では呼ばれているけど、村長の家とそんなに変わらない大きさだ。


 玄関の前まで来て、今さらのように怖くなってきた。

 セイラが言ったことが本当なら、ここにいるのはお姫様を閉じ込めている悪い魔女と言うことになる。

 でも、もしセイラまで捕まってしまったなら、見捨てることなんてできない。


 そっと、玄関を少しだけ開く。

 柔らかな光が隙間から漏れてきて、思わずほっとしてしまう。


「あら、今日は可愛らしいお客様の多い日ね」


 内側から開いた扉の向こうに立っていた女の人を見て、わたしは言葉を失った。


 灯りを反射してきらきらと輝く、ゆるやかに波うった長い金色の髪。優し気な光をたたえた青紫の瞳。穏やかな微笑みを浮かべた艶やかな唇。

 ほっそりとした、でも柔らかな曲線を描く体。着ているのは村の人と変わらない質素な服なのに、それがドレスのように見える。

 女の子と大人の女の人の真ん中にいるような、物語から抜け出してきたお姫様。

 セイラの話しは、ぜんぜん嘘なんかじゃなかった。


「そんなところにいないで、入って?」


 わたしの手を取って、エスコートするように招き入れてくれるお姫様。

 お姫様にお姫様扱いをされて、どきどきしてしまう。

 ふわりと花のような香りが、お姫様から漂う。


 中に入ると、そこは居心地のよさそうな居間だった。

 真ん中のテーブルを挟んで置かれたソファーを見て、わたしは固まってしまう。


 セイラが座っていて、わたしを見て一瞬だけ嬉しそうに顔を綻ばせそうになって、それから顔を逸らせてしまう。

 心臓がぎゅっとするように痛んだ。

 泣きそうになってしまう。


「座って?」


 お姫様に手を引かれて、セイラの隣に腰かける。

 反対側のソファーに腰をおろしたお姫様の隣には、魔女が座っていた。


 綺麗さなら、魔女もお姫様の隣にいてまったく見劣りしていない。

 艶やかな黒髪の、お人形さんのような女の人。

 でも、この人をお姫様だとは思わない。お姫様はきらきらした雰囲気とか、ひとつひとつの動きが綺麗なところとか、本当にお姫様だった。


 魔女はお姫様とまったく同じ、でも色だけ真っ黒な服を着ていて、二人は似ていないのに一緒にいることがすごい自然に見える。


 お姫様は肩が触れるくらい魔女の近くに座って、その手に手を重ねる。

 魔女の指が当たり前のようにお姫様の指と絡まった。

 それが何だか、見てはいけないものを見てしまったみたいで、どきっとした。


 お姫様は魔女に心まで捕まっているのかな。


「あなたはセイラちゃんのお友だち?」

「え…う、うん」


 お姫様に聞かれて、思わず頷いてしまう。

 まだ、友だちって言っていいのかな。

 友だちって思ってくれているのかな。


 ちらりと横を見ても、セイラはこちらを見てくれない。

 その代わり、軽く手を握られた。

 セイラの頬がうっすらと赤い。

 どきどきしながら、手を握り返すと、セイラも強く握り返してきた。


「二人とも、ご両親にはここに来ると言っていませんね?」


 魔女が穏やかな声で聞いてくるので、セイラと二人で頷き返す。


「そう。今日はもう遅いから泊まっていって。ご両親にはわたしから伝えておきます」


 そう言って、魔女は席を立つ。

 立ち上がった魔女と座ったままのお姫様が見つめ合って、それからつないだままだった手を離す。

 二人は離れることを惜しむように、指先が離れる瞬間まで触れ合っていた。


 魔女はそのまま家の外に出て行ってしまった。

 わたしも、お姫様も出ていこうと思えば、いつでもこの家を出れてしまう。


「あの、お姫様は魔女に捕まって、閉じ込められているんですか」


 魔女が出て行った方に目を向けたままのお姫様に、聞いてしまった。

 お姫様は少し驚いたような顔をする。


「お姫様って私のこと? そうね、閉じ込められているわけではないけれど、あの人に捕まえられたかと聞かれたら、その通りかも」


 そう言ってお姫様は、目を細めてくすくすと笑い声をもらした。

 口元をおさえた品のある笑い方だけど、どこか子どもっぽいと思ってしまった。


「閉じ込められていないなら、どうして村には来ないのですか」


 今度はセイラが聞く。


「そう言えば、何年も村には行っていないわね。別に禁じられているわけではないけれど、私が他の人と仲良くするのが嫌みたいだから」


 誰が、とは聞かなくても分かる。

 分かるし、そう言って浮かべたお姫様の微笑みは少し怖くて、それ以上は聞けなかった。

 それはセイラも同じみたいで、わたしの手を握る力が少し強くなった。


 それから、お姫様と他愛ないお話をして、わたしとセイラは同じ寝台で寝ることになった。

 わたしに背中を向けてしまうセイラ。


「ごめんね。セイラのこと嘘つきなんて言っちゃって」

「…どうしてあんなこと言ったの」

「セイラがお姫様に夢中なのがくやしくて…」


 わたしの方を向いたセイラに、そっと頭を抱き締められた。


「わたしもごめんね。他のひとのことばっか話をして」


 わたしはセイラの腕の中で緩く首を横に振って、セイラの背中を抱き締める。

 セイラはほどなくして眠ってしまったけど、わたしは何だかどきどきして寝付けなかった。

 普段と違う寝台だからなのか、セイラの体の柔らかさがすごく気になってしまう。


 それでも、しばらくすると眠気がしてきて、うとうとしている中で部屋の外で話し声が聞こえた。

 きっと、魔女が帰ってきたのだろう。

 はっきりと聞こえたわけじゃないけど、秘めやかな二人の声は何だかとても甘かった。


 翌朝、わたしとセイラは魔女とお姫様に見送られて家を出た。

 寄り添うように立つ二人が、なぜかとても羨ましくなってしまった。


 セイラと手をつないで家から離れながら、ふとわたしは後ろを振り返った。

 半開きになった扉の向こう。

 隙間から、お姫様の唇を貪るように口づける魔女の姿が見えた。

 うっすらと開いた魔女の目が動いて、たしかにわたしと目が合った。


 その深い紫の瞳の奥に、わたしはたしかに炎を見た。


 わたしは慌てて目を逸らす。

 心臓が早鐘を打っていた。

 怖い。でも、それ以上にさっき見た二人の姿が瞼の奥に焼き付いて離れなかった。


「どうしたの?」


 いつの間にか足を止めてしまったわたしを、セイラが怪訝な顔で見ていた。

 その唇に、目が吸い寄せられる。

 薄い桃色の艶やかな唇。

 その唇になぜかとても触れたくなって、わたしは目を逸らした。


 最近すごく綺麗になったセイラは、村の男の子たちからの視線を独り占めしている。

 十五歳の成人になる頃にはもっと綺麗になって、山のような縁談が来るのだろう。


 いやだな、と思う。

 セイラの一番は、わたしがいい。


「…ううん、行こ」


 握ったセイラの手を引こうとして、強い力で引っ張り返された。

 吃驚して、わたしはセイラの方を振り向く。


 セイラは真っ直ぐにわたしを見ていた。

 わたしを、わたしだけを映すその瞳の奥に、わたしは魔女と同じ炎を見た。

 わたしは…


<了>


____________________


ここまでお読みいただきありがとうございます。

本編はここで完結です。


次からは番外編となります。

断章 力量不足で本編に収められなかったこぼれ話(2編3話)

後日譚 本編後の二人(2編10話程度予定)書きあがり次第投稿

よろしければもう少しだけお付き合いください。

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