テレサ 7

 魔王の呪体が動かす自分の体から、あなたを見ていた。


 あなたが何故、ここに来たのかは分からない。

 でも、光輝の剣を抜き、低い構えをとった時、本気で殺すつもりだと悟った。


 あなたは多分、気が付いていない。

 守りの戦いをするとき、あなたは騎士として戦う。

 でも、殺すための戦いをするときのあなたはまるで獣のよう。這うように低く駆ける姿は、大地を駆ける美しい一匹の獣。


 嬉しかった。

 別に誰に殺されても構わない。でも、この世界でただ一人わたしを想ってくれたあなたの手に掛かるなら、これほど幸せなことはない。

 そうさせないように離れたのに、わざわざ追いかけてきてくれたことは複雑だけど。

 これは、約束の清算なのだろうか。

 黙って出て行ったら打つという約束の。

 わたしはもう、それを口約束だなんて思わない。だけど、約束を破った怒りで殺されるのだったら、少し悲しい。

 きっと違うと、分かっている。

 あなたはわたしが口にできなかった望みを叶えようとしてくれているだけ。


 満身創痍になりながら、わたしの心臓に短剣を突き立てるあなた。

 ああ、あなたと一緒に終われるのなら悪くない。

 きっと、わたしが望める最上の終わりだ。


 でも、短剣の刃が刺さった瞬間に分かった。

 これは、術式だ。

 高度過ぎてすぐには理解しきれないけど、私とあなたの魔力が一つに繋がったのが感覚的に分かる。


 崩れ行くあなた。

 切り落とされた左腕からの失血がひどい。

 このままでは、長くもたない。

 わたしと一緒に死んでくれるならいいけど、わたしを残して死ぬなんて許せない。


 今すぐに、魔王の呪体を抑え込む必要がある。

 抑え込むこと自体は、時間をかければさほど難しいことじゃない。でも、それでは間に合わない。

 わたしの魔力を全て使えば可能だけど、それではあなたを治療できない。


 わたしは馬鹿だ。

 何で、何で今まで黙って見ていた。

 あなたを見た瞬間に、魔王の呪体を抑え込んでおけば、こんなことにはならなかった。

 悲劇の主人公にでもなったつもりだったの。


 だめ。どうしよう。あなたが死んでしまう。 


 そこで、わたしは気が付いた。


 今、わたしに繋がっている、莫大な魔力がある。

 わたしは、あなたの魔力を自由に使うことができる。

 この魔力があれば、魔王の呪体を無理矢理抑え込んでも、あなたを治すだけの余力がある。


 そう気が付いた瞬間には、わたしは魔王の呪体を支配下におき、体の自由を取り戻していた。

 自分の魔力の下に魔王の呪体とあなたの魔力が統合され、一つの巨大な魔力をもった生き物へと変質する。

 人間の体と言う器をもっただけの、魔女と言う別の生き物。

 それを悲しいとは思わない。

 人間になり切れなかった自分が、本当に人間以外の何かになってしまっただけ。


「ソフィ!」


 無我夢中で、自分が何を叫んだかも分からなかった。


◇◇◇


 治療を終えたわたしは、膝の上に乗せたあなたの頭を撫でながら、目覚めを待つ。

 目覚めたあなたに言うことを考える。

 言いたいことが多すぎて、待つ時間がまったく苦にならない。


 あなたと別れたのは昨夜のことなのに、もう長いこと会っていない気がする。

 そう。もう、会うことなんてないと思っていたのに。


 ここにあなたがいると言うことは、本当に全てを捨ててきたのだろう。二十年近い人生で積み上げてきたものを、たった一晩で捨てる決断をするなんて。

 小石をひたすらに積み続けるような、そんな人生だったはずだ。

 それを捨てると言うのは、きっと自分自身を捨て去るのに等しいのではないのか。


 わたしなんかのために。

 違うのかな。わたしのためではなくて、それがあなたの望みなのかな。

 他の何もかもより、わたしだけを選んでくれたのかな。


 わたしとあなたの時間なんて、一年程度。

 あなたがどうしてそこまでわたしを望んでくれるのか分からなくて、それが怖かった。

 本当は昨日、わたしはあなたから逃げたんだ。

 だって、わたしが望めばあなたは応えてくれる。でも、それはいつまで。

 いつかあなたも心変わりしてしまうかもしれないし、そうでなくても、数十年も経てば老いていなくなってしまう。

 だから、これ以上あなたの温かさを知ることが怖かった。


 それすらも、覆して。

 この魔力のつながりはきっとそういうことなのだろう。


 嫌い。嫌い。本当にそういうところ大嫌い。

 なんで、こんな人がいるのだろう。

 まるで、わたしも人間のように人に愛される資格があるのではないかと勘違いしてしまいそうになる。


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 あなたのまつ毛が震えて、その目がうっすらと開く。


 その瞳が澄んだ青から、青紫に変わっている。

 瞳の色は魔力の性質を反映しやすい。あの透き通った青が私の紫で汚れてしまったことは残念だけど、どこか背徳的な悦びも感じてしまう。


 目が充血している。

 目じりも赤くて腫れぼったいのは、泣いたからだろうか。

 わたしがいなくなって、泣いてくれたのだろうか。


「おはようございます、姫さま」


 わたしが声をかけると、宙をさまよっていた目の焦点がわたしに合う。


「…もう、姫ではありません」


 言いながらごろりと体を回転させてわたしの下腹部に顔を埋めながら、腰を抱き締めてくる。

 つなげたばかりであまり動かない左腕は、ほとんど力が入っていないけど。

 心臓が締め付けられるような感覚を無視して、頭を緩く抱き締め返す。

 胸の中に暖かい気持ちが溢れてきて、少し泣きそうなってしまった。


「あの短剣は…わたしに何をしたのですか」

「…使い魔契約の術式です」


 そこに顔を埋めたまま、しゃべらないでほしい。

 昨晩の行為が思い出されて、体が勝手に反応してしまう。


「人間のように強い自我をもつ生き物の使い魔化は不可能と聞きましたが」

「使い魔側の心臓に術式を刺した後に、主人となるものの心臓に術式を刺すことで自我による無意識の魔力抵抗を回避できるそうです」

「大陸条約違反の大罪だと思うのですが…」

「知りません。どうでもいいです」


 頭を下腹部を押すように、擦りつけないでほしい。

 与えられた快楽の残り火がまだ燻っていて、体がむずむずする。


「…そんなことして。わたしが生きている限り、生き続けることになりますよ」

「ずっと一緒に生きられるなんて素敵ですね」


 わたしの体をよじ登る様にして、首筋に抱きついてくる。

 その背中を緩く抱き締めながら、顔が見たいな、と思った。


「わたしが死んだら、一緒に死んでしまうんですよ」

「残される心配がなくて幸せですね」


 耳元でため息のように囁く声が、脳を蕩けさせる。


「どうして、わざわざ危険を冒して魔王の呪体が支配しているときに。話してくれればいいのに」

「話したら断ってたくせに」


 そうかな。そうかもしれない。


「話して、断られたら、貴女は二度と隙を見せない。話さなくたって、この短剣を見られた時点で警戒するでしょう。私には貴女が貴女ではない、この機会しかありませんでした」


 首筋に触れた唇から漏れた息が、熱い。

 もしかしてここでする気なのかな、なんて考えてしまう。

 するのはいやではないけど、血まみれだし床は汚れているし、ここではちょっとどうなのだろう。


 身構えてしまったけど、そこから何をされるでもなく、首筋に少し荒い息だけがかかっている。

 少し、湿っぽい気がする。

 あれ、これ泣いて…


「あの…」

「ごめんね。こんなことしかできなくて」

「え」


 何を言っているのだろう。


「私には貴女を魔女から解放することはできない。貴女の過去に起きたことを変えることもできない」

「はい、そうですね?」


 ぐすぐすとわたしの首下で嗚咽が漏れている。

 意味が分からな過ぎて困る。だって、そんなことできる人いるわけがない。

 それが、本当の意味でのわたしの救いなのだとでも、思っているのだろうか。


 ぐずるあなたの背中を撫でながら、だんだんと腹が立ってきた。

 この人はどれだけのものをわたしにくれたか、分かっていない。


 きっと、わたしたちはずっとこうなのだろう。

 お互いに完全に分かり合うことはない。

 でも、そんなのは当たり前のことだ。

 わたしたちは違う人間で、違うからこそ一緒にいたいと願った。


 あなたの両肩を軽く押して、剥がす。

 もともと泣き跡でむくんだ顔が更にひどいことになっていて、せっかくの綺麗な顔が台無しだ。

 泣き虫なくせに、決断力はありすぎて、やることは想像もつかない。

 わたしは本当に、この人のことが全然理解できない。

 別に、この人のようになりたいわけでも、全てを知っていなければ不安なわけでもない。わたしが欲しかった、ずっと傍にいてくれる証はもうもらったから。


 わたしはあなたの眦に唇を寄せ、涙を唇で掬いあげる。

 驚いた顔をするあなたの、もう片方の目元にも口づけをしてから、唇に口づけて軽く食む。


「ふふ。血の味がします」

「…テレサ」


 わたしの名前を呼んで、今度はあなたから少し長い口づけをしてくる。

 ああ、やっぱりあなたとすると気持ちいい、な。

 

「貴女の運命の人じゃなくて、ごめんね」

「…何です、運命の人って」

「きっと、貴女を救ってくれる運命の人はどこかにいるんです」

「意外と乙女なことを言うんですね」


 こらえ切れずに、笑ってしまった。

 目の端で、あなたが心外だと言うように顔をしかめるのが見えた。


「笑いごとではありません」

「もし、そんな人がいたとしても、わたしに何もくれなかった世界に選ばれた人なんていりません」

「そう、ですか」

「だって、わたしには自分の意思でわたしだけを選んでくれた人がいるんですから」


 うっすらと頬を染めるあなた。

 血は飛び散っているし、涙でぐしゃぐしゃの見れたものではないはずの顔が可愛くて仕方なかった。


 あなたの手をそっと握る。

 剣を持つものとは思えない、ほっそりとした指。だけど、わたしを掴んで離さない指。


「ねぇ、前に言ってくれたこと、まだなしになっていませんか?」

「え?」

「友だちになってほしい、って言ってくれたこと」

「もちろん。えぇ、もちろん、なしになんてしません」


 わたしもあなたも友だちなんていたことがないから。

 この関係が友だちと言っていいものかどうかは分からない。

 でも、ずっと二人で一緒にいることを、わたしは友だちと名付けよう。


「ソフィ。わたしと友だちになってください」

「…はい、ずっと一緒です」


 そう言って花が開くように笑ったあなたの顔を、たぶんわたしは永遠に忘れない。


 あなたが友だちになってくれたなら、永い夜のようなわたしの人生も寂しくはないかもしれない。

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