第36話

 『影身エイリアス』とは、内魔力によって自分自身の同位体を作り出す技。

 それは個の完全な掌握であって、発動中の私は外からの魔力の干渉を一切受けない。

 それは例え、聖剣の防護すら貫通する魔王の外魔力領域であっても。


 意識が離れる。

 テレサの記憶に飲まれていたのは、どれくらいの時間でしょうか。

 立ったままだと言うことは、さほどの時間は経っていない気がする。


 半ば砕け落ちたステンドグラスから差し込む陽の光の中に、テレサの身体が浮かび上がる。

 霊銀糸の修道服を纏った姿は、禍々しくも美しい。それは、どこかティティスの妖艶さにも似た、魔女が持つ魔性の美。


 だけれど、それは私が惹かれたテレサの美しさではない。

 宙に浮いたままこちらに向けられた瞳には、私の心を捉えて離さない魅力は欠片も感じられなかった。

 そこにあるのはたしかにテレサの身体なのに、何も惹かれない。


 あの、何もかも見透かすような深い瞳で私を見てほしい。

 その目で私を見る貴女を抱きしめたい。

 そのために、私は。


 ほとんど本能と反射で、私は光輝の剣を抜き放つ。

 さして広くもない神殿。テレサまでの距離は凡そ二十歩。

 この距離で、もしテレサに自分の意識があるなら私に勝ち目はない。一足一刀の間合いでもなければ、結界の展開速度と技術に封殺されるだけ。

 だけれど、身体を動かしているのがテレサの意識でないのであれば勝機はある。


 勝敗は一瞬。

 長期戦になれば強固な結界を構築されて、私には手も足も出なくなる。

 その前に、テレサが恒常的に励起状態にしている三重の術式を抜けるかどうか。


 低い姿勢で突撃しながら、その瞬間で込められる最大の魔力で光輝の剣を横凪に振るう。

 魔力同士が干渉したとき特有の空間の軋みが発生し、何かが砕け散る。


 知らなければ、一瞬で私は両断されていた。

 今のは、極薄に圧縮された結界の側面を高速で飛ばしてくるテレサの攻性法術。

 無音不可視の結界を攻撃に転用すると言う、おそろしく対人殺傷能力の高い法術で、こんな結界の使い方をする人をテレサ以外には見たことがない。

 弱点としては、あまりにも薄いため面から衝撃を受けると簡単に砕けることだけれど、高速で飛来する不可視の刃を察知することなんて、魔力を視覚的に捉えることが出来る高位の術者以外には、来ると分かっていても勘に頼るしかない。


 その勘が、凄まじい警鐘を鳴らしていた。

 横凪に剣を振った反動を利用して、咄嗟に聖盾を発動させた左腕をほとんど無意識で振るう。

 中途半端に形成された光の盾を砕きながら私の左腕を切り飛ばした結界が砕け散る。


 まったく同じ軌道での時間差攻撃。

 性格が悪い、と言いたいところだけれど、テレサなら軌道を変えていた。

 足でも狙われていたら、確実に詰んでいた。


 切り落とされた左腕が訴える激痛を無視する。

 少しだけ泣きそうになったのは、痛みだけではなく、またテレサに怒られると思ったからか。

 内魔力で止血を行う余力はない。


 二つの結界を砕く間に、私はテレサを自分の間合いに捉えていた。

 まったく躊躇なく光輝の剣を振るう。


 三枚目の結界が防ぐ確信があったし、たとえ間違って殺してしまっても、それはそれでかまわない。

 私が傍にいられないのなら、死んでしまってもいい。

 テレサだって、私の手に掛かることを喜んでくれるはず。これは私の願望などではなく、テレサと意識を共有した確信。

 殺してしまったら、私も後を追うだけ。

 何だか無理心中みたいで気持ちよくはないけれど。


 振り下ろした光の刃が結界に阻まれ、次の瞬間、外側に向けて凄まじい勢いで結界が砕け散る。

 攻性結界!

 砕けた結界の破片が、私の身体中を切り裂く。

 光の刃も結界と相殺で砕けている。

 天の羽衣がなかったら、確実に致命傷を負っていた。


 それでも、目の前にはついに無防備になったテレサ。

 光輝の剣を手放し、腰の後ろのティティスから受け取った短剣を抜く、と思考が走り。

 私は光暉の剣の刃を再び生み出して、切り返していた。


 思考の通りに動こうとした魔力体と違う動きを無理矢理したことで、全身の骨が軋みを上げ、筋繊維がぶちぶちと音を立てて千切れる。


 光の刃がテレサを切り裂く直前に、の結界に阻まれて共に砕け散る。


 思考が自分の行動の結果に追い付く。

 励起状態の術が三つと言っていたのは嘘か!

 本当に、本当に性格わるい。


 今度こそ私は光輝の剣を手放す。

 失血と思考に反した動きをしたことで、影身はすでに維持できておらず、体は泥のように重い。筋が切れて悲鳴を上げる体を無理矢理動かして短剣を抜く。

 あと少し。少しだけもって、私の体。


 ティティスから受け取った短剣。

 その、禍々しい漆黒の刃。

 明らかに金属ではない。

 これは、魔力そのものを編み込んだ呪いの刃。

 その効果が知られれば、封印間違いなしの禁忌の呪具。

 使い方によっては、国一つひっくり返すことだってできる。どうしてティティスがこんなものを持っていたのか、私には分からないけれど、そこには必ず何かしらの目的があるはず。

 だけれど、ティティスが言う通り、これは私にとっての福音。


 私は倒れ込むように、体ごとぶつかってテレサの心臓に短剣を突き立てる。

 魔力の刃は何の抵抗もなく、寒気がするほど滑らかに心の臓を貫く。


 そのまま、私の体はその場に崩れ落ちる。

 薄れていく意識の中で、テレサが私の名を呼んでくれた気がした。

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