第31話
どこか怯えを含んだ様子の近衛を引き連れて、宮殿を進む。
宮殿を歩くのも、これが最後になるかもしれない。
だけれど、もう私には何の感傷も浮かばない。
そんな自分は全部、殺したから。
二人の近衛が扉の脇に立つ部屋の前で立ち止まる。
私の姿を見咎めた近衛が一瞬、驚いたように目を見開き、その視線が私の後ろに流れ、それから私に戻ってくる。
泣きはらした私の顔は、目も充血してまともには見えなかったのでしょう。
後ろの近衛の様子か、私自身にただならぬ気配を感じたのか、一人が扉を塞ぐように移動し、もう一人が一歩前に出る。
「姫様。こちらは今、陛下が使われています」
「存じております。通していただけませんか」
そのつもりもないけれど、力づくで押し通ることはできない。
宝具を持たない私では、近衛の一人にだって勝てはしないのだから。
私にはもう、近衛に命令する資格もない。あったところで、王の命令は私のそれより上位にあるのだから意味はない。
「…総主教猊下も参加されている重要な会議で、姫様でもお通しすることはできません」
総主教がいるのなら、間違いなくテレサに関わることでしょう。
怒りに近い感情が沸々と湧き上がる。
この扉の向こうにいる人たちが、テレサを一人に追いやったのだ。
王女の私が尊敬し、敬愛してきた人たち。
でも今は憎しみさえ感じる人たち。
「それでは、終わるまでここで待たせていただきます」
私の言葉に、対応に迷った近衛が何か言うよりも早く、扉が開いた。
開いた扉から姿を見せた王に、近衛が一歩引く。
王の目が私を見据える。
ローレタリアの民を背負う王者の目。もうそこに兄妹の親愛は感じられない。
私は礼もせずに、その目を正面から見返した。
近衛の雰囲気がいっそう張り詰めるのを感じる。
「来たか。入れ」
鷹揚に告げて、王は身を翻す。
ほんのわずかな間を空けて、私は何も言わずに部屋の中に入る。
振り返りもせずに上席に戻る王。
私は後ろで扉の閉まる音を聞きながら、部屋を流し見る。
長机を囲んで座るのはわずかに四人。
王、前王、総主教、ティティス。
私を見る目に誰も戸惑いはない。
つまりは、私がここに来ることは予測されていたということ。
「それで、何の用だ」
席に戻った王が、そのよく通る声で言う。
王者としての威厳に満ちたその声は、今までの私であれば気圧されていたかもしれない。
「テレサはどこですか」
端的な私の言葉に、かすかに王の眉が跳ねる。
「それを聞いてどうする」
「ただ、会いに行くだけです」
「会ってどうする」
「何も。この命が尽きるまで傍にいるだけです」
部屋に沈黙が落ちる。
だけれど、私の言葉に困惑している人は、やはりいない。
かすかな違和感。
私とテレサの関係を王から聞いていれば、私がここに来たことを不思議に思わないのは分かる。
だけれど、私がいま言ったことは、まともではないはず。
それなのに何の反応もないのは、私がどう考えるかとは関係無く、テレサの傍に私を置くことが検討されていたということでしょうか。
一体、何のために。
いや、この人たちの思惑なんて関係ない。
例えそれがこの人たちの掌のうえであろうとも、私のやるべきことは変わらない。
「聖女と魔女の関係は、五王家と正教会でも最重要の機密」
沈黙を破ったのは前王だった。
穏やかな口調だけれど、その目はまったく笑っていない。親が娘に向ける情愛は欠片も感じられない、為政者の目だ。
「そなたが聖女テレサの傍にいようとするなら、そなたは急死したことになる。王都はもちろん、公の場には二度と姿を見せることは許されぬ。そこまでする理由があるのかね」
これは私を諌める言葉ではない。
覚悟を問う言葉だ。
普通であれば、緊張し、委縮する場面なのだろうか。
今の私には、
誰も、テレサを助けなかったくせに。テレサを孤独に追いやったくせに。なぜそんな人たちに、テレサの傍にいることの覚悟を試されなければならないのか。
もちろん、王族であった私は理解している。
この人たちは、多くの人の命を背負っている。少数を切り捨て、多くを救う判断を日常的に求められている。
だけれど、どうして、と言う気持ちが私の中から消えない。
「…誰も」
かすれた声が、私の口から漏れる。
四人の顔に視線を巡らせる。
「親も、国も、勇者も、正教会でさえ、あの子を守らなかった。それなのに、聖女なんて役割を押し付けられて、それでも世界を救ったのに…最後は魔女になって生贄になれなんて。あの子の人生は貴方たちの玩具じゃありません」
私が竜なら、きっと言葉は炎の吐息となってすべてを焼き尽くしていた。
「世界の全てがあの子を守らないと言うのなら、世界よりもあの子を大事にする人がいないとおかしいでしょう」
歯を食いしばって涙が零れそうになるのを堪える。
私はもう、泣いたりなんてしない。そんな意味のないことをしている時ではない。
「勇者でさえあの子を救わないのなら、私はいつかあの子を救う誰かなんて待たない。私がその人になります」
私は長く、大きく息を吐く。
「…なぜ、テレサだったのですか。当代の聖女は三人もいるのに。テレサが捨て子で切り捨てやすかったからですか。それとも、正教会の不正をテレサごと消し去りたかったのですか」
「それは違います」
冷たい棘を孕んだ私の言葉を、総主教が否定する。
「魔女が魔王となってしまうのは、その心が弱くなった時なのです。どんなに強い使命感をもって魔女となった聖女も、数十年、百年の孤独には耐えられません。一方で、ティティス様のように最初の魔王封印から一度も代替わりされていない方もいらっしゃいます。ですから、次の魔女には、孤独そのものへの耐性が強い方が選ばれることになったのです」
痛みを堪えるように言う総主教。
祝典の時の言葉からも、彼は罪悪感に苛まれてきたのでしょう。
それでも、結局はテレサを犠牲に選んだことを私は許さないし、許してはならない。
「…ふふっ」
どうしようもなく、お腹の底からこみ上げてくるおかしさに耐えられずに私は笑いを漏らした。
くすくすと私の笑い声が、静かな部屋に響く。
なんて。
何て、愚かな人たちなんでしょう。
「テレサが、ずっと一人だから、だから一人でも平気だって。貴方たちはそんな下らない理由で、あの子を生贄に選んだのか」
笑いながら、私は怒り狂っていた。
「あの子の優しさも、繊細さも、子どもっぽさも、寂しがりやなことも…ちゃんと向き合えば誰でもわかることなのに。本当に、誰もテレサを人として見なかったのか」
今の私なら分かる。
テレサのあらゆるものへの無関心さも、人に合わせて最適な言葉選びをすることも、自分自身すら他人のように扱うことも、そうしなければ生きていけない環境がそうさせたものだ。まともな心なんて持っていたら、とても正気ではいられないから。
本当のテレサはもっと、全然、違う。
「分かっております。ですが、あの子は傷つきすぎていて、自分が傷ついていることすら分からなくなっていました。あの子が誰かに心を許すことなど、もうないと思っていたのです」
「そんな、言い訳で…」
私が特別に、テレサの心を開けたなんて思わない。
私にとって、テレサは世界中探しても特別なただ一人だけれど、テレサにとって特別な誰かになれる人は、きっと私以外にもたくさんいる。
ただ誰も、本気で向き合わなかっただけ。
「もう、いい。貴方たちの正しさは私には関係ない。テレサの居場所を教えて。それが、貴方たちにとっても都合がいいでしょう」
今の話しを聞いて、この人たちの考えは理解できた。
テレサが孤独を知ってしまったと判断したから、封印を少しでも長くもたせるために私をあてがおうとしている。
テレサの意思なんて関係なしに。
「いいだろう。テレサ…いや魔女モルガナのところに連れて行ってやる。用がそれだけなら、自室で待っていろ」
昨日まで兄であった人が言う。
私は凍える心で議場を一瞥して、身を翻した。
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