第28話

 戴冠式後の晩餐会も一通りの挨拶を終えたところで無礼講となり、テレサは抜けていった。

 王族として残らざるを得なかった私に、去り際に冷たい一瞥を残して。


 それは、いつもの感情の感じられない冷たさではなくて、明確な棘が感じられた。

 何でしょう。今日のテレサは少し変。

 あんなに感情を表に出す人ではなかったのに。

 それが私だけに向けられていると思うと、鼓動が早まってしまう。


 ようやく晩餐会が終わって解放された私は、足早に離れに向かった。

 テレサはきっとそこで待っていてくれると、どうしてか自然とそう思える。

 それでも、離れの窓から漏れる灯りが見えた時には、嬉しさが溢れそうになった。


 入口の前で胸に手を当てて呼吸を整えてから、扉を開ける。

 居間のソファーに腰かけていたテレサが、立ち上がってこちらを見る。


「おかえりなさい、姫さま」


 その声が心なしか甘い気がして、背筋が震える。

 聖女の正装を脱いで、肌着だけの恰好。無防備にさらされた華奢な肩や、胸元の白い肌に目線が吸い寄せられてしまう。

 駆け寄って、抱きしめて、口づけをしたい衝動が強く湧く。


「ただいま戻りました」


 誤魔化すように、なるべく普段通りを装って言うと、テレサの目が今日何度も見た不満をたたえたものに変わる。

 ため息を一つもらして、ソファーに腰を戻してしまった。

 その急な態度の変化についていけずに、私はとまどってしまう。


「テレサ…何か怒っていますか?」


 呼びかけても、こちらを見てもくれない。

 心臓が締め付けられるように痛む。

 泣きそうな気分でテレサに近づき、隣に腰を下ろす。

 距離を取ろうとされないことに、少しだけほっとする。


「ねぇ、こちらを見てください」


 肌着をつまんで軽く引っ張ると、肩紐がずり落ちて胸元が緩んでしまい、慌てて目を逸らす。

 下着、また着けてなかった、な。


「姫さまは、また公務でここにいらしたのですか」

「え?」

「今日も公務ばかりで、ぜんぜんお話してくれませんでしたよね」

「何を…」


 何を言っているの。

 私を放って、今日ずっとアレクの隣にいたのは、テレサの方じゃない。


「もう、わたしには飽きてしまいましたか」


 その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。

 気がつくと、私はテレサをソファーの上に押し倒していた。

 そのままテレサの上に馬乗りになる。


「言っていいことと悪いことがあります」


 私はテレサの目を覗き込みながら、言葉を落とす。

 テレサはまた、視線を逸らす。

 そう言えば、テレサが人と目を合わせないなんて珍しい気がする。


「姫さまが…」

「私が?」

「戴冠式の前に少しは時間ありましたよね。晩餐会の前も…わたしが抜けた後も追いかけてきてくれませんでしたし」


 え。

 何それ。なに、それ。


「テレサ、私に会いに来てほしかったのですか」


 目を逸らしたままのテレサの頬に、うっすらと朱が差す。

 嘘。何。これも演技なの。

 私はテレサの頬に掌を当てて、強引に私の方に顔を向けさせる。


「あの、テレサ。さすがにそれも演技ですと、私も辛いのですけれど」


 少しだけ驚いたように目を見開いたテレサの顔から、全ての表情が一瞬で抜け落ちる。

 あぁ、この顔は初めて見た。

 きっとこれが、テレサの素に近い表情なのだと思うと、少し嬉しくなってしまう。


「わたしが演技していると、分かっていたのですか」

「分かりますよ。貴女のことをずっと見ているのですから」

「怒らないのですか」

「どうして怒らなければいけないのですか」

「だって、わたしは姫さまを騙していたのですよ」

「え、騙すと言うのとは違いませんか。テレサは私が求める人間を演じていただけでしょう。私が民の求める王女として振舞っているのと何が違うのですか」

「違います」


 表情のないテレサの瞳の奥深くに、微かな、でもたしかな苛立ちのような感情が見えた。


「わたしには悪意がありました。わたしに好意を向けさせてから、見放して傷つけてしまおうと思っていたのです」


 そんなことを考えていたのね。

 ですが、それを聞かされても私はとくに傷つきはしなかった。

 もちろん、悪意よりは好意を向けて欲しいけれど、それを私以外の人に向けられるよりは全然いい。

 私はきっと、テレサの感情の全てを独り占めしたい。


「どうして、わざわざそんなことを言うのですか。言わなければ分からないことなのに」


 テレサの頬をそっと指先で撫でる。


「私のことが嫌いだからですか」


 何も答えてくれないテレサの髪を一房掬いあげて、唇を落とす。

 テレサは答えにくいことがあると無言になる癖があると思う。そういうところは、可愛い。


「嫌いでもいいです。私のことだけを見ていてくれるのでしたら」


 掌から零れ落ちる髪を追うように指を伸ばし、テレサの唇を親指で撫でる。


「そんなことより、さきほどのが演技だったのか答えてください」


 テレサの瞳の奥の苛立ちが揺らいで、どこか迷子のような不安を覗かせる。


「…演技では、ありません」

「ふぅん。私のこと嫌いなのに、会いたいのですか」


 何でしょう。テレサが愛らしすぎて、嗜虐心がくすぐられる。


「あまりいじめないでください」

「あら、さんざん私を弄んできたのに、自分がされるのはおいやなのですか」


 何か言いたげに、でも何も言葉が見つからないのか、微かに戦慄く唇を割って親指を口の中に侵入させる。

 苦し気に逃げる舌を追いかけるように指で弄ぶ。

 次第に潤んでくる瞳に、背徳的な悦びが背筋を震わせる。

 しばらく舌の感触を堪能してから、唾液に濡れた指でテレサの唇をもう一度撫でた。


「私も会いたかった」


 言葉と一緒に、触れるだけの口づけを落とす。

 それだけで、火種に触れたかのように私の情欲に火がついてしまう。

 テレサの体の全てに触れて、自分のものにしたい。

 そんな浅ましい情欲。


 この気持ちは一体どこからくるのでしょう。

 私たちは女同士なのに、そんな情欲を抱く私はきっとどこか壊れている。

 私と会いたいと思ってくれたテレサだって、きっと私にこんな情欲は持っていない。


 結局、私はテレサを欲望の捌け口にした男たちと同じなのでしょうか。

 お友だちになって欲しい気持ちは今だって嘘ではない。

 それなのに、それ以上に強い感情が私を狂わせる。

 どうしようもないことに、私はこの気持ちを消そうとは欠片も思っていないということ。

 今、この欲望をテレサにぶつけていないのは、たんにそれをした男たちと同じ扱いをされたくないからに過ぎない。


 ああ、いま分かった。

 あの男に会って、本当は何を知りたかったのか。

 私はテレサと体の関係をもつとどうなるのか、自分がそうなったときのために知っておきたかったのだ。


 私は獣だ。

 目的のためなら、どんな手段も厭わないどころか、手段の理非を考えることすらない。

 それでも、テレサが私のことを特別に想ってくれるなら、その関係を大切にしたいから我慢できる。

 だからこそ、私はテレサに問い質さなければいけないことがあった。


「テレサ、私に黙っていることがありませんか」


 テレサの頬を撫でながら、言葉を落とす。

 強張った顔。答えは返ってこない。

 それでも、今度は目を逸らさないで私を見ている。

 それはきっと、話すつもりはないと初めから決めていたからなのかもしれない。


 私の指は頬を下に伝い、首筋に軽く触れる。

 細い首。

 内魔力を使えば、私なら片手で簡単にへし折れてしまう。

 

「黙っていなくならないという約束を破るつもりですね」


 軽く力を入れた指先が、テレサの首にわずかに食い込む。

 脅しでも何でもない。テレサの態度次第では、私は本当に殺すつもりだった。

 それは、テレサにだって分かっているはず。

 それなのに、テレサはただ無言で私を見ている。

 この距離でも身を守る自信があるのか、それとも殺されてもかまわないと思っているのか、私には分からない。


 言い訳の一つでもすればいいのに。

 そうすれば全て終わらせてあげられるのに。

 貴女の苦しみだけの生を。それが貴女の救いになるのでしたら、私が躊躇う理由はない。

 だけれど、何も言ってはくれないのね。


 私はため息をついて、一瞬、首を絞める直前まで力を入れてから指を離す。

 それから、テレサの上からどいて、身を投げ出すようにソファーにもたれかかる。

 先ほどまでの高揚感は消えて、どうしようもない虚しさが胸中を支配していた。


「結局、私は貴女にとってその程度の存在にしかなれなかったのですね」


 テレサから目を逸らして、八つ当たりのように、私は言い捨てる。

 その私の腕に、そっとテレサの手が触れる。

 初めてテレサと触れ合うことがわずらわしいと思ってしまった。

 それでもテレサの手を振り払うなんてことは、私にはできなかった。


「あなたが嫌いです」


 囁くような声は、驚くほど近くから聞こえた。

 思わず振り向いた私の唇に、テレサの唇が重ねられる。


「こんな痛みを知るくらいなら、心なんていらなかった」

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