第27話

※性的暴行を示唆する表現あり。苦手な人は注意。


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「聖女…テレサ」


 男はどこか遠い目をして、その名を口にする。

 静かだった男の目に、かすかに、だけれど間違いのない感情の揺らめきが見えた。


「そうですか、あの子は聖女になりましたか」


 懐旧、執着、そして哀れみ。

 その目、言葉には私には読み切れないほどの、複雑な感情が潜んでいるように思えた。


「殿下は、どこまでご存じですか」

「正教会で行われていた不正については一通り目を通しました」

「なるほど。では、あの子の身の上に関してはご存知なのでは」

「書類上のことは。ですが、私が知りたいのは、彼女がどんな様子であったかと言うことです」


 男は私の言葉に目を閉じ、しばし瞑目する。

 それから、ゆっくりと思い出すように語り始める。


「当時、正教会では様々な不正が横行しておりましたが、その一つとして人身売買が行われていました」

「聖女テレサの名もその被害者の一覧にありました」

「正教会では、孤児院で育てた捨て子を修道士として受け入れることがありますが、見目の整った子を教会籍に入れると偽って国内外の貴族の方などに売っておりました」


 そう、法で禁止されている人身売買を行っても、捨て子は国民ではないから足も付きにくいし、見逃したところで騒ぎ立てる人がいないから。


「売り先が貴族中心ですから一、二年ほど見習い修道士として教育を施してから出荷されることになります」

「売られていった子どもたちは、そのことを知っていたのですか」

「直前まで知らされません。ですが、修道士とは関係ない教育もされるため、聡い子はおかしいと感じていたでしょう」


 それなら、きっとテレサは何かに気が付いてはいたのでしょう。


「教会の不正が摘発されて保護されたとき、テレサは十三歳でした。テレサは、何故売られなかったのですか」


 孤児院は十歳で養育期間が終わるのだから、十二歳には売られているはず。

 書類に記載されていたのは、テレサの名前が人身売買の商品の一覧にあったこと、そして正教会内で複数の人間から性的な被害を受けていたということ。

 あとは、この男の罪状の中にその名前が出てくるだけ。

 テレサの貞操観念の低さは、この時期の経験に根差している気がする。


「あの子は美しすぎたのです。人身売買を主導していた者たちは、手放すことがおしくなって自分たちだけで囲った」

「十をいくつも出ない子どもを…なんて汚らわしい」

「まったくです。ですが、あの頃からすでに人を狂わせる魅力を、あの子は持っていました」

「他人事のように言っていますが、貴方も同類でしょう」


 私は吐き捨てるように言う。

 この男は直接、人身売買に関わっていたわけではない。だけれど、この男は凡そ一年にわたってテレサに対して性的な暴行を続けたことと、不正の隠ぺいに関わったことで捕まっている。


「耳が痛いですね。あの子のことを知ったのは、あの子が十二歳になる頃ですが、あの子を手元に留めるために多くの不正に手を貸してしまいました」


 テレサが売られなかったのは、教会でも高い地位にあったこの男が執着していたことも理由なのかもしれない。


「逃げ出そう、という様子はなかったのですか」

「逃げてどうなります。殿下は非合法の場末の娼婦の悲惨さをご存知ですか。神殿の囲われものの方がましだと、そう判断したのでしょう」

「テレサは…そういう行為を受け入れていたのですか」


 口づけをしたときのテレサの上気した頬、潤んだ瞳、甘い吐息を思い出す。

 他の人に抱かれているときも、同じ顔をしていたかと思うと、嫉妬で頭がおかしくなりそうになる。


「難しいところですね。あの子がそういうことに抵抗や嫌悪をしめしたことはありません。ですが、同時に快楽や反応を返すこともありませんでした。それは誰に対してもです。自分の境遇は受け入れていても、行為そのものは受け入れていない、とでも言いましょうか」


 そう、なの。

 それなら、テレサのあの顔を見たことがあるのは、私だけなのでしょうか。

 ああ、私はどうしてこんなに人でなしなの。

 テレサがひどい経験をした怒りや悲しみよりも、あの顔を見せてくれたのが自分だけであることにほっとしている。


 私は本当は、ここに何を確認しにきたのでしょう。

 教会の不正の記録からテレサの過去を知り、これからテレサとどう接するか考えるために、その時のテレサの様子が知りたかった。

 だけれど、あの書類を読んでから私の中で渦巻いていた怒りと不快感が今、ほんの少しだけ薄れてしまっている。

 だけれど、テレサの気持ちを独り占めできるのなら、それ以外のことなんて些事だと思えてしまう自分もたしかにいた。


 ふと、いつの間にか下がっていた視線を上げると、じっとこちらを見る男と目が合う。


「殿下にとって、あの子は何なのですか」

「それを答える必要を感じません」

「分かりますよ。貴女は私と同じ目をしている」

「は?」


 揶揄するでもなく、同情的ですらある男の目がひどく気に障った。


「私にはかつて黒髪の恋人がおりました。ですが、彼女は私の前から姿を消してしまった。ですから黒髪の女性に未練、というか執着があるのです」

「貴方の事情など、知ったことではありません」

「この国では黒髪は珍しいですし、おそらく生国が近いのでしょう、あの子は雰囲気も似ていました」

「ですから…」

「殿下の目にも私と同じ執着がありま、」


 男が言葉を言い切るよりも早く、私の拳が男の顔面を打ち抜いていた。

 男の身体が寝台が備え付けられた壁に打ち付けられ、拳とドレスに血が飛び散る。

 内魔力こそ使っていないけれど、まったく躊躇なく振るった拳。歯の数本は砕いた手ごたえがあった。

 

「言葉には気を付けろ、と申し上げたはずです」


 私は痛みをこらえて蹲る男を冷たく見下ろして吐き捨てる。

 こんなに怒りが一瞬で沸点を超えて、制御できなくなったのは初めてだった。

 こんな男に私の中にあるテレサに対する欲を見抜かれたようで、それをこの男がテレサに行った行為と同一視されたようで我慢ならなかった。


「貴方のような人間が何事もなかったように罪を許されて生きていくなんて吐き気がします。もう二度と会うこともありませんが、次に私の前に顔を見せたら命があると思わないことです」


 もうこの男に聞くこともない。

 言い捨てて、私は踵を返した。


「お待ちください」


 背中から掛けられた声は、くぐもってこそいたけれど、落ち着いたものだった。

 もし、その声に私に対する不満や怒りが一欠けらでも感じられたら、足を止めることはなかったでしょう。


「貴方にもう用はありません」

テレサについて、全て話せと言ったのは殿下ですよ」


 その言葉に、私は振り返る。

 男は血を拭いながら、何事もなかったかのように元の場所に座りなおしていた。


「アレクシス殿下が魔王を倒したということは、あの子が魔王を封印したのですね。しかし、殿下はその本当の意味をご存知ないのでは」

「貴方が聖女について何を知っていると言うのですか」

「私はかつて、秘蹟部の長、つまり聖遺物レリックとそれにまつわる秘事を管理していたのですよ。そうであるが故に、私はここを出れば秘密裏に処分されるでしょう」


 別にそれを私は哀れだとは思わない。

 テレサを一年ものあいだ弄んだ対価としては安すぎる。

 ただ、聞く価値はあるのかもしれない、とは思った。アレクがあの書類を見せた真意がそこにあるのではないかと、気が付いてしまったから。


「私に保護を求めているのですか」

「まさか。教会と王国の密約です。殿下のお力ではどうにもなりませんよ」


 たしかに政治的な力に対しては、私は無力に近い。

 せいぜいがアレクに慈悲を乞うくらいしかできないでしょう。そして、アレクに対して対価のない訴えは無意味に等しい。


「それでは、何故私にそれを?」

「そうですね、殴られた意趣返しだとでもお考え下さい。これを伝えることで殿下は苦しむことになるでしょうから」


 それが本心だとは思わない。

 ですが、この男のテレサに対する屈折した感情を知りたいとも思わなかった。


「いいでしょう。話しなさい」


 そして私は、魔王と聖女に関わる真実を知った。

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