テレサ 5

 退屈だ。

 聖女としての最後の仕事と思い、ローレタリア本神殿に戻ったわたしは、連日の会議に飽き飽きしていた。


 戴冠式の予定なんて、一度目録に目を通せば覚えられる。

 それなのに、毎日のように会議が開かれては、戴冠式とは関係ない私の機嫌伺が繰り返されている。

 相も変わらず、私を恐れるような目は変わらない。


 正直なところ、個性の乏しい画一的な僧服を着られると、わたしにはほとんど個人の識別ができない。

 それが、余計に退屈さを加速させる。

 いちいち発言内容や口調、身振りなどから誰かを判断するのは手間なのだ。かと言って、雑に流して委縮されるのも煩わしい。

 わたしが本神殿に戻らない理由の一つでもある。


 もう半ば聖女の役割も放棄しているので、余計に煩わしい。

 こんなことなら、戴冠式の前日まで戻ってこなければ良かった。

 早く帰りたい。


 そう考えて、頭を殴られたような衝撃を受けた。

 わたしは、あの離れを自分が帰るところだと思っているのか。

 おかえりなさいと言える人がいて、ただいまと言ってくれる人がいる、そんな場所。

 だからわたしは、あなたが戻ってきてくれて嬉しかったのか。


 もともと、わたしはあなたを傷つけようと思っていた。

 だから、あの夜、唇を奪われそうになって涙を流したあなたを見ても、罪悪感なんてなかった。

 ただ、美しい涙だと思った。

 あなたを傷つけたのがわたしであることに、優越感にも似た喜悦を覚えていた。


 もう、どうせ近いうちに別れは来るのだから。

 あなたがわたしの体に興味があるみたいだから、体を許したらどうなるか試しただけ。

 このまま会えなくなってもかまわないと思っていた。


 思っていた、はずなのに。

 あなたが次の日から来なくなって。

 何故かわたしは胸に苦しみを感じていた。


 それは、わたしが知らない感情。

 けして知ってはいけない感情。

 侵食が進んでしまう。

 均衡が保てなくなってしまう。


 眠ると精神が弛緩して侵食が早まりそうで、夜は目を瞑るだけにしていたら三日目に意識を失ってしまった。

 内魔力による生理機能の制御も上手くいかなくなっている。もともとわたしは、あなたほど内魔力制御は上手くない。

 いや、その比較はおかしかった。

 あなたと比べたら、ほとんどの人間が下手になってしまう。


 魔力による完全肉体制御術「影身エイリアス」。

 あの旅の途上であなたが至った、内魔力制御の極地。

 狂気の沙汰。

 そんなこと、髪の毛一筋の単位で魔力を制御して、それを自分の身体として動かすことができなければ不可能。

 あなたはそれを宝具の補助があるからできると思っているけれど、それは単純に魔力が膨大だから。もし、常人程度の魔力保有量なら、あなたはこれを宝具なしでも実現できてしまう。


 おそらく、「影身エイリアス」の使い手のほとんどは、あなたと同じ魔力障害の持ち主だったのではないだろうか。

 生まれた時から自分から外に魔力が出ずに、内にある魔力と向き合い続けたものだけが至る極地。

 あのアレクシス殿下ですら使えないと言うことが、その証拠に思える。

 宝具が理由で使えると言うのなら、あらゆる意味で宝具の上位互換と言える聖剣を使いこなすアレクシス殿下が使えないはずがない。 


 あなたは与えられた逆境を何喰わない顔で乗り越える。

 乗り越えていることすら、気が付いていない。

 そういうところが、本当に嫌い。


 嫌いなはずなのに、どうしてあなたの顔を見ると嬉しくなってしまうのだろう。

 あなたに会えないと、どうして胸に澱のようなものがたまっていくのだろう。


 目覚めたとき、あなたが傍にいて、夢でも見ているのかと思ってしまった。

 つかえが取れるように、胸の澱みがすっと洗い流されてしまう。


 ふと、唇に指で触れたい衝動が湧く。

 あなたと口づけを交わした唇に。

 思い出すだけで、背筋が震えるような快感が走る。


 こんなの、知らない。

 口づけなんて、唇同士が触れ合うだけの行為で、意味なんてない。

 それなのに、あなたとするそれは、どうしてあんなに気持ちいいのだろう。

 あんなに深い口づけを、と言うよりは口づけに応えてしまったのなんて初めてで、自分がどうしてそんなことをしたのかが分からない。


 口づけなんてしなければよかった。

 そう思うべきなのに、そうは思いたくない。

 だって、あなたがわたしとの口づけをあんなに喜んでくれるから。


 あなたが嫌い。

 あなたと触れ合うことが嬉しくなってしまうから。


 あなたが嫌い。

 あなたが自分を大事にせずに傷つくと腹が立つから。


 あなたが嫌い。

 あなたがわたしから離れていくと悲しくなってしまうから。


 あなたが嫌い。

 あなたが傍にいてくれるだけで楽しいから。


 わたしの知らない感情をつれてこないで。

 わたしを壊さないで。

 これは、あなたを傷つけようとした報いなのだろうか。


 誰からも望まれずに生まれたのに、世界に必要とされる資質を持ってしまったわたしと、誰からも祝福されて生まれたのに、あるべき資質を持たなかったあなた。

 真逆のようで、どこか似ていてるわたしたち。

 まるで、歪んだ鏡を見ているよう。

 自分が歪んでいると自覚しているわたしを映しているはずの鏡に、美しいものが映し出される違和感。


 あなたの優しさが、繊細さが、共感性が、気高さが、温かさがわたしを苛立たせる。

 そして、どうしようもなく惹きつけられる。

 それを認めたくなかった。

 だから、あの夜わたしはこの関係を終わらせようとしたかもしれない。


 それなのに、あなたは戻ってきてくれた。

 それをわたしは嬉しいと思ってしまった。

 けして抱いてはいけない感情。

 もうわたしには、どうすればいいのかも分からない。


 こんなことになるなんて、思っていなかった。

 不用意にわたしに近づいたあなたを傷つけて、それでおしまいだと思っていた。

 わたしが変えられてしまうなんて。そんなまともな人の心が、自分にあるなんて知らなかったのだ。

 このままではきっと、あなたを巻き込んでしまう。


 アレクシス殿下はあなたに甘い人だけれど、大義のためなら大事な人でも犠牲にできる人間でもある。

 あなたの望みを最大限叶えようとしながら、結果としてそれが世に仇なすものとなれば容赦なく排除する。アレクシス殿下はそういう人。

 それは、バルジラフの件でも明確だ。

 あの時、あなたを単独でバルジラフにぶつけたのは、わたしがあなたに惹かれていることに気が付いて、あわよくばあなたを消そうとしたのではないかとすら疑っている。

 少なくとも、そうなってもかまわない、くらいには考えていたはずだ。

 わたしが、わたしの下らない感情があなたを殺しかけたのかもしれない。


 あなたに対する執着を明確に見せてしまった今となっては、あなたを消そうとはしないでしょう。

 その代わり、あなたの意思に関係なく、あなたの人生をわたしに縛り付けてしまう。

 あなたは、それをどう思うだろうか。

 あなたもそれを受け入れて、望んでくれるだろうか。


 そんなこと、間違っていると分かっている。

 きっと、そんな望みをあなたに口にすることは絶対にない。

 それでも、一度つないだ手は離し難かった。

 触れ合った手の、向けられた眼差しの温かさを知ってしまったから。


 あなたに会いたいという気持ちだけが、解けない雪のように胸に降り積もっていく。

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