第25話

 テレサが神殿に戻ってしまった。


 戴冠式でのテレサの役割は王冠を授けるくらいのものだけれど、儀式の手順などを知らないでいられるわけではない。

 その打合せや準備のために、建国祭まで神殿に戻ることになったのだ。

 そんな当たり前のことに、私は気が付いていなかった。


 そして、私は執務室で暇を持て余していた。

 私の公務は国政機関や民間施設の慰問が大半なので、建国祭の準備にどこも忙しいこの時期は、ほとんど止まってしまう。むしろ、建国祭までに主要な所を訪問するために予定が詰め込まれたとも言える。


 執務机には戴冠式の予定書類以外は何も置かれていなかった。

 戴冠式の予定も、私は座っているだけなので、全体の流れを把握してしまえばすることはない。

 私の公務を補佐をする儀典官たちも、他の仕事に行っているので、執務室には私しかいない。


 戴冠式の書類を指で軽く突く。

 今さらながら、不満が湧き上がってくる。

 そもそも、総主教猊下が滞在しているのだから、戴冠式も猊下に頼むのが正当でしょう。それなのにテレサを駆り出したのは、舞台性を重視したから。

 要は美しい聖女が、若き勇者に王冠を授けると言う劇的な絵面を選んだ。

 ええ、それは絵になる場面になるでしょう。

 さぞ、お似合いの二人だと民衆受けすることでしょう。


 腹が立つ。

 あの人は私と口づけを交わした人なのに。

 無意識にそう考えて、我に返って恥ずかしさに死にたくなった。

 私は口づけをしただけで、テレサを自分の所有物のように思ってしまったのか。


 最悪なことに、自己嫌悪しながらテレサの唇の感触を思い出してしまった。

 小さくて、柔らかくて、私の動きに合わせてどこまでも自在に応えてくれる。軽く触れあうだけで、頭が蕩けるほど気持ちがよくなってしまう。

 思い出すだけで、心臓が高鳴る。

 指先で自分の唇にそっと触れた。

 感触はまだ残っているけれども、本物の感触がもう欲しくなっている。

 次は、いつできるのでしょうか。


 そんなことばかり考えてしまう自分が、本当にいやになる。


「死にたい」


 机に突っ伏して、ぽつりと漏らす。


「暇そうだな、お前」


 旋毛に突き刺さった冷たい声に、私は慌てて顔を上げる。

 開け放した部屋の入口の扉に寄りかかっって、アレクが立っていた。

 手に持った綴じた書類をひらひらと振っている。


「ノックくらいしてください」


 扉の外に立つ近衛に聞かれないように、何とか荒げそうな声を抑える。


「したぞ。お前が気が付かなかっただけだろ」


 疑いの視線を向けるけど、鉄面皮は崩れない。

 扉を閉めたアレクが、無遠慮な足取りで近づいてくる。


「こんなところで時間を無駄にしていいの?私と違って忙しいのでしょ」

「何、そうでもないさ」


 嫌みも通じない。

 相当量の執務に忙殺されているはずなのに、顔には疲れの一つも見えない。実際、アレクにとっては大したことではないのでしょう。

 私では徹夜しても片付かないような量の仕事も、あっさりと処理してしまうことが目に見える。


「それで、何の用なの?」


 ソファーに腰を落ち着けてしまったアレクに、投げ遣りに言う。


「そろそろ答えが出たかと思ってな」

「答え?」

「ああ、俺も王になると、お前と気軽に話せる機会も減るだろうから、今のうちにお前の意思を確認しておこうと思ってな。今ならテレサの邪魔も入らないしな」

「だから、何の話し?」


 言っている意味が分からなくて首を傾げる私に、アレクが呆れたような表情を浮かべる。


「お前がどうしたいのか考えろと言っただろう」


 そう言えば、バルジラフ討伐に向かう前に、アレクと二人だけで最後に話したのはそのことだと思い出す。

 あれから、まだ十日も経っていないのに、随分前のことのように感じる。


「それで、答えは出たのか」

「私は…」


 どうしたいのか、と言われれば私のなかで答えは出ている。

 でも、それは王女が望みとして口にして良いものだとは思えない。


「アレク、は、私が修道院に入るのが一番いいよね?」

「俺は前にも言った通り、お前が決めればいいと考えている」


 探るような私の言葉にも、アレクは揺らがない。


「でも、例えば私がここに残ったりしたら迷惑でしょ」

「何故だ?」

「私を利用しようとする貴族とか煩わしいでしょう」

「雑事だな。どうでもいい」

「どうでもいいって…」

「お前を利用しようとする輩が出てくるなら、そういう愚物をあぶりだせただけのことだ。お前が何を選ぼうと、俺の治世に大きな影響はない」


 かなり、ひどいことを言われた気がする。

 まあ、事実として私の存在がアレクの治世を揺るがせることなんてないでしょう。

 それでも、私は傷ついた表情でも浮かべたのか、アレクが珍しくばつの悪そうな顔をする。


「あぁ、言い方が悪かったな。妹の望みくらいは叶えてやるから、好きにしろってことだ。分かれ」


 思ってもみなかったことを言われ、思わずアレクの顔を凝視してしまう。


「吃驚した。アレクがそんなこと言うなんて。でも、王族の責務を放棄するようなこと、許されないでしょう」

「お前は十分、責務を果たしたさ。放蕩三昧をしたいと言うわけでもないだろう?」


 私は下唇をかむ。

 この望みを、口にしていいのでしょうか。

 それを口にしたとき、私を支えていた王女という誇りを捨て去ることになりそうで怖い。


「テレサ、は…ずっとこの宮殿にいられるの?」


 それが出来るのであれば、あの離れで二人だけでずっと一緒にいられるでしょうか。


「それは無理だな」

「…どうして」

「本人にはまだ伝えていないが、テレサは戴冠式が終わり次第、王都を離れることが決定している」


 何を、そんな馬鹿な。

 聖女は基本的に自分を認めた聖遺物レリックのある国の神殿に帰属する。

 聖女が王都を離れてどこに行くと言うのか。

 可能性があるとしたら。


「まさか、正教会の総本山に?でも、猊下はテレサは王都を離れないとおっしゃっていたし」

「それはおそらく、自分の意思で勝手にどこかに行くことはない、という意味だろうな」

「じゃあ、やはり総本山に…」

「いや、総本山のある聖都ではない」


 アレクの言っていることが分からない。

 唐突だし、意味不明過ぎて理解が追い付かない。


「それなら一体どこに行くと言うの!」


 思わず口調が強くなってしまう。

 テレサがいなくなる。急にそんなこと言われても、感情が追い付かない。


「俺は伝えてもいいんだが、決まりでな。継承権のないお前には言えない」


 睨みつける私を意にも介さず、立ち上がったアレクが机の前に立つ。

 そして、手に持った書類を無造作に机の上に放り投げた。


「お前の望みが、本当にだと言うなら、目を通しておけ」

「…これは?」

「俺の即位に伴って、恩赦の対象を選定しているのは知っているな」

「ええ、もちろん」


 王が代替わりするときに、比較的軽微な罪人の刑罰を取り消し、減少させる恩赦は慣例的に実施されている。


「それは、正教会における一連の不正、犯罪に関わったある人物の記録だ。普段は禁書庫で厳重に保管されているから、俺ですらこの時期でしか持ち出すことはできない」


 正教会と言う言葉が、テレサとの関りを連想させて、嫌な予感がする。


「言っておくが、俺は見ないことを勧める。それを見ずに、テレサのことは忘れてしまうことをな」


 それだけ言い残して、アレクは部屋を出て行った。

 机の上に残された、その書類に目を向ける。

 いっそ簡素とも言える紙の束が、何故か禍々しいものに見えた。


◇◇◇


 その夜、私はアレクから渡された書類に目を通してしまった。


 胃の中が空になるまで吐いて、その夜は眠れなかった。

 どうして、この世界は。

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