第24話

 うつらうつらと眠りと半覚醒の間を行き来するテレサと、数え切れないくらいの口づけを交わす。

 こんなことをしたら、私たちの関係は終わってしまうと思っていた。

 ですけれど、現実には何も終わらず、何かが始まると言うこともなかった。

 私たちの関係が変わったかどうかも分からず、ただ口づけを交わした言う事実だけが残っている。


 テレサから甘いものが含まれるでもなく、彼女はただ受け入れるだけ。

 この口づけの思い出を縁にして、テレサと別れても私は王女として生きていけるでしょうか。

 いやだな、と思ってしまう。

 もっと、ずっとテレサと触れ合いたい。

 テレサと触れ合ったこの体を、他人に上書きされるのは耐えられない。


 先が見えないから、今が終わってほしくない。

 このテレサと触れ合う時間が、永遠であればいいと思う。

 今が幸せだから、満たされているから、終わらせることができない。


 窓から差し込む陽の光は傾き、黄昏色に変わっている。

 外で待つ近衛たちは、いつまでも私が出てこないことを不審に思っているでしょうか。

 でも、まだ離れたくない。

 もう少しだけ、こうしていたい。


「そう言えば、姫さま」

「何でしょうか」


 私が熟睡を妨げていたけれども、仮眠をとって少し意識が浮上したのか、テレサが話しかけてくる。


「何か公務で来たと言っていませんでしたか」


 煩わしいな、と一瞬思ってしまった。

 この大切な時間に、そんなつまらない話をしてほしくない、と。

 その苛立ちを、軽く口づけをすることで逸らす。


「今年の建国祭の日に、アレクの戴冠式が行われます。そこで、戴冠の儀式をテレサに務めて頂きたいのです」


 本当は書状を読み上げるものだけれど、居間に落としてきてしまったし、取りに行くために離れたくはない。


「ああ、なるほど。それで最近、本神殿の使いがここに来ていたのですね」

「え、その使いの方から聞いていないのですか」

「もう別にいいかなと。会いませんでした」


 きっと、結界を解かなかったのでしょう。

 本当に徹底して本神殿を避けているのですね。

 聖女ともなれば、本神殿では下にも置かない丁重な扱いをされていたでしょう。それを喜ぶ人ではないと言うのは分かりますが、ここまで避ける理由にはならない。

 その理由に興味がないわけではないけれど、孤児院の時のような失敗をしたくない。


「アレクシス殿下には、承りましたとお伝えください」

「…分かりました」


 何だか、アレクにテレサを取られたようで悔しい。

 取り返そうとするように、テレサを抱きしめる力を強める。口づけを続けようとすると、唇の間にテレサの掌が差し込まれた。


「姫さま、ちょっとし過ぎです。唇がふやけてしまいます」

「もう少し…」

「駄目です。口づけ禁止にしますよ」

「え、それって、またしてもいいと言うことですか」

「姫さまがしたいのでしたら、いつでも?」


 そうなんだ。

 それって、何かすごい。

 何だか私の中での口づけに対しての認識が壊れそう。こんな簡単に許されてしまっていいものだったのでしょうか。


 口づけを止められてしまったので、テレサの首筋に頬をすり寄せる。

 テレサの甘い匂いが、心までも満たしてくれる気がする。


「そう言えば、建国祭はいつでしたか」

「…十日後ですが」


 この国にいて、建国祭の日取りを聞いてくる人がいるとは思いませんでした。

 まあ、テレサはそういうことに興味なさそうですし。


「日取りを知らないわけではありませんよ。ここにいると、日にちの感覚が薄くなってしまって」


 少し呆れた私の気配が伝わったのか、弁明するようなテレサの言い方が可愛かった。


「建国祭の日は、王家の方々がパレードをするでしょう。子どもたちが見たがるので、連れて行っていたのです」

「ではテレサも見ていたのですね。少し、恥ずかしいです」

「お綺麗でしたよ、とても」

「もう、そんなこと言って」


 そんな思ってもいないことを言われても嬉しい私は単純だ。

 それが悔しくて、猫のように額を鎖骨に擦りつける。

 くすぐったそうに微かに身をよじらせたテレサの手が、私の背中を優しく撫でる。


「パレードから見ているだけですが、出店もたくさん出てて楽しそうですよね」

「そうですね。子どもを大勢連れていると危ないので、立ち寄ったことはありませんが」

「ああ、なるほど。ああいう出店ってすごく美味しそうに見えます」

「姫さまは、お忍びで参加されたりとかしてそうですが」

「あー…」


 困ったのが伝わってしまったのか、テレサの手の動きが止まる。


「姫さま?」

「幼い頃に一度やろうとして、アレクにひどく叱られました」

「そんなにですか」


 不思議そうにテレサが言う。

 お忍びなんて、物語ではありふれているから、当たり前のことのように感じてしまうのは仕方ない。


「私がですね、お忍びで街に出たいと言うとですね。まず、宮内省と協議して当日の巡回経路を決めます。それから、その経路に危険などがないか調査が行われます。当日は市民に変装した近衛が周りに気付かれないように護衛につきますが、武装ができないので経路の要所にも近衛を待機させることになります。当然ですが、近衛の警備計画が大幅に変更されるので、近衛騎士団長とも協議する必要があります」

「お忍びとは?黙って出ていくわけにはいかないのですか」

「もし、私が近衛の目を眩ませて姿を消すと、その瞬間に戒厳令が敷かれて王都から人も物も出入りできないようになります。そのうえで、全ての近衛が動員されて、見つかるまで捜索が行われます。見つかっても見つからなくても、警護についていた近衛は騎士位を永久剥奪され、その隊長は斬首刑に処されます」

「夢のないお話しですね」


 だから、警護につく近衛は王族を見張るものと、それ以外を見張るもので明確に役割が分かれている。

 お忍びで街に出ようとしたときに、そのことをアレクに懇々と説教された。このことは、自分で気が付くか、実際にそれを行おうとするまで教えられないのが習わしで、近衛たちはその覚悟で務めている。

 それ以来、私はお忍びで街に出ようとは思わなくなった。

 私の我儘で多くの人に迷惑を掛けられないし、ましてや人生を歪めるようなこと、できるはずもない。


「姫さま、寂しかったのですか」

「え…」


 思ってもみなかったテレサの言葉に、私の思考が止まる。

 思わず顔を上げると、慈しむようなテレサの目があった。


「他の子どもと、同じことが出来ないのは辛かったですか」

「そう、なのですかね」


 パレードの馬車の上から見ていた。

 みすぼらしい格好で、それでも連れ立って楽しそうに駆け回る子どもたちを。

 手を繋いで歩く、仲の良い親子を。


 それを見て、彼らの生活を守るのが王族の使命だと感じていた。

 そこに嘘はない。


 それでも、羨ましいと思う気持ちが、どこかにあったのかもしれない。

 だから、お友だちがほしかった。


「姫さまは立派ですね」

「子ども扱いはやめてください」


 耳元で囁かれるテレサの優しい声に、脳が蕩けそうになる。

 テレサの指が頬を撫で、それに気を取られている間に、軽く触れるだけの口づけをされた。


「テレ、サ」

「子どもに、こんなことはしませんよ」


 ああ、嬉しい。

 テレサの方からしてくれることが、こんなに嬉しいなんて。

 一度、口づけと言う行為を受け入れてしまえば、テレサとすることに喜びしかなかった。


「今日はもう、しないのではなかったのですか」

「姫さまはすぐ、深くしようとするから」


 たしかに、触れ合うだけの口づけでは、もう全然満足できない。

 でも、それはテレサが悪い。

 テレサとの口づけが、あまりにも気持ちよくて、魅力的なのが悪い。


「足りません」


 私は甘えるように、催促するように、テレサの唇を軽く食む。


「もっと、テレサからしてください」

「わがままなお姫さま」


 含み笑いを漏らしながら、テレサが私の唇を優しく啄む。

 優しすぎて、もどかしい。

 誘うように唇を舐めると、その舌を舐め返され、深く唇を重ねられる。

 私たちは日が暮れるまで、長い口づけを交わした。


 その後、近衛にテレサが儀式を引き受けてくれたことのアレクへの伝言を頼み、そのまま離れに泊まることを伝えた。

 私は眠るまでの間、飽きもせずに何度も何度もテレサと口づけを交わした。


 そして、それから次の日に、テレサは神殿に戻っていった。

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