第5章
間章 4
かつては壮麗な神殿だったのでしょう。
半ば崩落した建物は、不気味さよりも寂寥感を覚える。
この神殿は、一千年前の魔導文明時代の建造物のはず。
その時代の信仰とは、どういったものだったのでしょうか。
魔導文明が滅び、魔王と言う脅威を打ち払う聖剣をもたらした精霊を神格化することで生まれた聖教。だけれど、魔導技術の発展復興とともに精霊神の存在は否定され、聖教は正教に名前を変えた。
正教会はあるがままの精霊を信仰する組織で、宗教色は薄い。
今よりもはるかに優れた文明を築いていた時代にも、人は形のない神を信じていたのでしょうか。
私自身はそれほど熱心な精霊信仰者というわけではない。
もちろん精霊に王権を授かった王族の一員として、正教に帰依はしているけれども、聖剣に拒否された身としては、精霊に対する想いは微妙なものがある。
そんなことを考えながら回廊を歩く。
そんなことを考えてしまえるほど、この神殿に危機感を覚えなかった。
最低限の警戒こそ解かないけれど、感覚はそれすら必要ないと告げている。
靴音だけが響く回廊を抜けると、突き当りには大きな扉。
三人に目配りをしてから、私が扉を開ける。
広大な聖堂。
朽ち果てた祭壇。
半ば崩れた神像。
入り口から祭壇に向かう擦り切れた絨毯。
何もない。
はずなのに、凄まじい違和感。
聖堂に一歩踏み入る。
瞬間、脳裏に知らない光景が走った。
崩壊する都市。
大地を覆う呪い。
星から生まれる五つの光。
光が呪いを切り裂く。
祈りを捧げる九人の乙女。
孤独に壊れ行く乙女。
乙女の姿が黒く染まる。
白昼夢から覚めるようにそれらの光景が消え、そしてそれがいた。
影。
一言で言ってしまえば、私と同じ程度の大きさの直立する影。
女性のような輪郭にも思えるけれども、捕えようとするとぼやけて輪郭を掴めない。
視界に入れているだけで、悪寒が止まらない。
私たちが礼拝堂に踏み入っても、何の反応も示さない。
「これが、魔王」
思わず、そう漏らしてしまう。
警戒は解けるはずもないけれど、殺意も何も感じない。
存在すらも希薄に感じる。
魔王と言うには、あまりにも儚い存在に見えてしまった。
だけれど、私の直感はこれを触れてはいけない不吉な存在だと警鐘を鳴らしている。
「そう、これが魔王だ。哀れな成れ果てよ」
そう答えるティティスは、魔王を何ら警戒していない。
それはつまり、魔王がそういう存在だと知っていたということ。
それにしても、いつもはほとんど私を無視しているティティスが、声をかけたわけでもないのに応えるなんて珍しい。
私の横を通り抜けながら、アレクが聖剣を抜き放つ。
この世には存在しない、完全な白色の刀身が大気に触れて、青白い輝きを放つ。
星の髄から精霊が生み出した、世の理を超えた真なる至宝。
私を否定した物。
そっと目を逸らした私の心のうちなど関係なく、アレクは無造作な足取りで魔王に近づいていく。
その背に付き従うように、テレサも進み出る。
二人とも、自分のやるべきことを心得ていると分かる。
この場で、私だけが状況を何も理解していない。
おそらくは、勇者や聖女にだけ開示されている情報があって、私には知らされていない。
それは別に仕方のないことだけれど、自分が脇役でしかないと思い知らされる。
それでも、私のやるべきことは変わらない。
不測の事態に備えて、警戒を続けるだけ。
アレクは魔王から少し離れて立ち止まるけど、テレサはそのまま魔王の目の前まで近づく。
何でしょう。すごく胸がざわつく。
魔王と聖女。対極とも言える存在なのに、何故か一瞬、鏡合わせの相似に見えてしまった。
「準備はいいか、テレサ」
「はい」
アレクの言葉に応えて、テレサは首に提げたペンダントを、服の下から取り出す。
それは、小指ほどの大きさの銀の筒。
テレサはその筒を開いて中身を取り出し、両の掌で包み込む。
一瞬だけ、白い欠片のようなものが見えた気がした。
あれが、
祈るように目を閉じたテレサの掌から淡い光が漏れ出す。
光は徐々に広がり、テレサと魔王を包み込んでいく。
光が広がり切り、結界のようにテレサと魔王を囲んだところで、歩み寄ったアレクの聖剣が魔王を貫いた。
何の抵抗もなく貫かれた魔王は、貫かれた部分から霧散していく。
同時に、聖剣の輝きが凄まじい勢いで減衰していった。
やがて、黒い霧となった魔王は、光に導かれるようにテレサの掌の中に納まる。
それは聖画のような神秘的な光景。
それなのに、胸のざわつきは吐き気をもたらすほどに、不快感を強める。
今すぐ、あの中からテレサを引きずり出したいと言う、意味の分からない焦燥感。
やがて、黒い霧が完全に消えるのと同時に、テレサの掌から零れる光も消えた。
テレサは聖遺物をペンダントに戻して筒を閉じる。
「これで、終わり?」
「そうだ。魔王は封印された」
治まらない胸のざわつきのまま、漏らした私の呟きに、ティティスが答える。
これは、魔王の討伐などと言うものではない。ただの儀式だ。
たしかに、魔王の気配は完全に消えている。
聖堂に踏み込んだ時に感じた違和感や悪寒は、もう感じない。
それなのに私は何故か、自分が取り返しのつかない失敗をしたのではないかと言う不安を感じていた。
体が勝手に動いて、気が付くとテレサに駆け寄っていた。
駆け寄ってから、自分の行動に戸惑う。それで一体、私はどうしようと言うのでしょう。
「テレサ。その、大丈夫、なのですか」
「姫さま。ええ、無事終わりました」
振り向いたテレサと、目が合う。
あれ。
背筋がぞっとする。
テレサの瞳、こんなに深い色だったかしら。
瞳の色が変わったわけではない。
だけれど、底の見えない海のような深い紫に吸い込まれそう。
その目を見て、胸のざわつきは、何かが決定的に失われてしまったような、そんな喪失感にも似た感覚に変わっていた。
けして、いい変化がおきたとは思えない。
それなのに。
私は、そんな瞳にどうしようもなく惹かれてしまっていた。
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